キリンジ「牡牛座ラプソディー」
~「来やれ」









キリンジや小沢聞いててほんっとに思うんだけど、渋谷系のボーカルラインってどうしてこうも弱いんだろう?


「高い」
、じゃなくて「弱い」。腹筋使わなさそうな・・・喉から声出す、みたいな・・・。少なくともカラオケで歌っても汗かかないしダイエットにもならないし、という印象って凄くあって。


そして高い。低音じゃおしゃれでポップな感じってさあ、そりゃ出ないけどね・・・、するとますます喉に悪い(笑)。


あと、歌詞みんな凄い。はっきり言って渋谷系ミュージシャンの歌詞って、その辺の流行系(誰とは言わんが)と比較すること自体犯罪じゃねえかっつうくらい質高いよね。



つうかアートですらあると思って。小沢小山田、カヒミ、ピチカート、そしてキリンジなんかはそれが顕著だよねー。特に小沢なんて、もう・・・。



「銀河を見上げる冬の小径」
「萌え立つ霧と蜜の流れる波をたゆたう姿」
「あなたが怒りの後ろに隠す女の顔 女の本能」
「幻のとき遊び慣れた双子のように 
友達でも知らない 共犯者のように」





そこでキリンジ。この曲の歌詞は彼らの中で僕が一番好き。だってさあ、ね、考えてみ?


「来やれ」、って。


なによ、それ(笑)。



初めて聞くもの、そんな日本語(笑)。でも、じっくり聴いてて分かるんだけど、この曲の歌詞の流れを考えれば「来やれ」は「来やれ」以外では何にもありえないんだよね・・・。


「来なさい」「来たれ」「おいで」「カムヒア」「集え」・・・。どれも、はっきり無理。っつうかそれは単純に音数とか響きが変、みたいな表面的なことじゃなくて、


ガチガチピパッパーで小股もシャープなシスターにとっては「来やれ」は「来やれ」で、それ以外ありえない不可解でポップな自分の世界をセルフプロデュースできる力こそが「キリンジ」なんだよね・・・。


はっきり言ってこの人ら、天才だと思う。小沢や小山田とは全く違う意味で、だけど。


ていうのは、キリンジの曲はキリンジにしか歌えないんじゃないかなーって。プロデュース不向きそうだなあ、って。分かりやすく言えば不器用そう。下手に変な若手渋谷系崩れに歌わせても普通に歌詞の世界ぶち壊すだけのような・・・。歌い手のキャパシティーを相当に要求する、えらく繊細な世界。


繊細、っていう点でいえば小沢も小山田も満更遠くはないんだけど、特別器用だから、彼ら・・・。キリンジとは随分話が違うと思う。小泉今日子の「華麗なる休日」とかマナカナの「じゃがバタコーンさん」とか聴けばなんか、分かるというか・・・。


まあもっとも「華麗なる休日」は小山田のやる気のなさがでてるって言うだけの人もいるんだけどさ。今回はそこには目を瞑るとして。


そりゃ確かにキリンジもやれば小山田小沢と遜色のない仕事が出来るのかもしれないけど、そこがいまのところ目だって見えてこない以上「どうなんだろうね」と呟く程度で終わってしまうわけですよね。


でも、それが見えてくることが「楽しみかどうか」って言われれば、そうとも思えないところが難しいところだね、っていう話。期待しにくいというか。キリンジはキリンジで出してるのが一番よさそうだとか、まあ、そんな。



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