
今回は内容的に番外編、と見てもらったほうがいいかもしれない。今回は今までの様な意見表明系メディアテキストとはちとばかし違いますむしろ小沢的精神論・・・?違うか・・・。 なんつうんだろう?わからん。とりあえず、つまらんと思う人にとってほんとにつまらんだろう。まあどこで読むのをやめるか・はたまたここでブラウザを閉じるかは完全に皆さんの勝手です。良しなに。 ・・・ところで、いきなりであれなんですけどもね、恐らく皆さんも、此処一年くらいの間にさ、絶対一度は「明日死んでしまおうかしら(≠スガシカオ「thank you」)」とかなんとか考えてる筈だよね。 「・・・自分はんなことはないっつうのバーカ」、などと本気ではったりかませる人はただ単に鈍いのか大嘘つきなのかどっちか。世の中そんなに何の悩みもなく生きていけるわけなんかない。 何にも考えてないような夜中のコンビニ近くでたむろってるような「今時どこで見つけてくるんだ」って言うようなボンタンはいてチェーンつけてタバコぷかぷか吸い飛ばしてるヤンキー高校生だって、絶対その手首に一回は冷たいものを当ててるんじゃないのかな。 彼らヤンキーの人たちは基本的に、ルールを守ること自体ががいやなんじゃなくて単にこんな自分にはいつも世間が冷たいもんだ、とかいろいろ被害妄想に溺れて(いや、まあその人にとっては実際にそうなのかもしれないけど)このままんじゃ生きていけない、って思ったような人たち、 つまり悩みや絶望感に満ち満ちてる焦った人たちなんだからむしろあなたの横で澄ました顔してタバコふかしてトリビア見て笑ってる恋人よか遥かにナイーブだと思いますよね。まあそんなもんは所詮ただの青春の産物なんだろうからこういうのもあれなんだけどさ。 その時期のボイズンガルズのナイーブな心にストレートに受け入れられたのがパーフリ後の生きた童話(爆)としての生き王子「オザケン」だったわけですよ。 むしろ悩みと苦悩の象徴ともいえるようなヘッド期のパーフリの壁を越えたさきに彼が演じた「王子様としての自分」が、心に夢も希望も抱けない人たちの心の隙間に入り込んでリアルな夢を見させたわけだ。つまり生きた抗鬱剤だったんですよね。 うーん、なんとも微妙な例えかたな気もするけど。あんまそういうクスリとかに関する偏見とかってさー、正直世間にゃまだ少なからずあると思うんだよね。だからあんまりネタとかメタファとして使用するにはに難しいんだよね。慎重に行かないとダメなんだけど、 こっちはさ、なんかひさびさに本気で小沢コラム書いてるからアドレナリンが出まくってるんだ、この程度くらい勘弁してよねって言う話さ(笑)。 言葉もすいすい出るよ!ていうか口調も普段のとは違うね(笑)。なんか僕って昔から間欠泉的に時こういうモードに入って不安定なライティングをするから「喜怒哀楽が激しい人なんですね」とか「躁鬱ですか」とかいわれたんだろうね。 なんかそういうのっていちいち嫌だったんだけど、だからといってその時その時に「いやー、違いますよぉ何いってんですかぁ」とか言えなかった自分ってのもいるわけさ(笑)。 つまり腹の底で自分の性格の難しさというか掴みどころの無さは実感してるからさ。なんか否定するにもそうできるだけの根拠がね、自分の脳の中に用意できなかったのね(笑)。 それでどんどん僕のイメージが一人歩きするようになって来ちゃってさ。そして最終的に親友だと思ってた人のサイトでこきおろされてカメファクは歴史を閉じたわけ。とにかく難しいよ、僕は。 ていうか子供過ぎるのかも。それはそうなのかも知れないね。女の子に求めるものは活発さもそうだけど「いろんな意味で包み込んでくれる」なんですよ(笑)。 フォローしてほしい、っつうかさあ(死)。だから昔も言ったよね、「尽くして尽くされる関係」が、いいな、とか。精一杯愛を注ぐ分それなりのものを返して欲しいんですね。無償なんてそんな都合のいい話なんかしてらんないさ(笑)。 とにかく僕は傷つきやすいんだ(爆)。だから真綿でくるむように扱ってくれなきゃダメだよみんな(死)。 ・・・つうかそんな自意識と歪みに満ち溢れた自分史語りはともかくとして(死)・・・あれ・・・、マジでなんの話だっけ・・・? ・・・あー、オザケンは「夢であり抗鬱剤」って話でしたっけ・・・。そっか。マジで頭から抜けてた。そして次なに話したいんだったか忘れた(笑)。 オザケンねえ・・・。うん、そうなんですよ、幸せ疲れってよく言われることなんだけど、「LIFE」を聴きおわった僕らが真っ先に思うことって、決して爽快さじゃなくてむしろ「疲れ」というか「目覚めたとき」のような、これから逃避していた現実が迫ってくる感じってあるとおもうんです。 このアルバム聞いた後に何かしようなんて全然思わない。むしろ小沢の余韻に浸ったままそのまま何もせず何も考えずにいたい。 当然寝るなんて考えられないし、かといってテレビをつけて余計な情報を頭に流し込みたいとも思わない。またテンションおかしくなってるわけだから勉強なんか手につかないし、どうしようもない。とにかく幸せすぎ。 でもそれは言ってみれば小沢、っていうメーカーをことを全く意識しないでアルバムに接した場合であって、パーフリ~犬の頃の彼ら姿を思い浮かべてしまうと(ましてや最近ならeclecticなんて考えてしまおうものなら)それはなにやら効果が逆転してしまう感じがあるよね。むしろテンション下がるよね。 このころの小沢の気持ちをいろいろ考えてしまいます。 今までの小沢とこの頃の小沢、どっちが本当の小沢なんだろう・・・?? みたいな。そしたら、もう、なんかダメだね。これまでの全ての幸せの享受が・・・なんかかすれて見えてくるっていうかむしろ、心配と痛みに変わってくる。 それはある意味小沢に対する感情移入の度合で話もぶれて来るんだろうけどそうなってくると、抗鬱剤としての「LIFE」は、本当に諸刃の剣になり得るってことが言えるわけだわね。 余計な事を考えられない人や他人は所詮他人、っていう視点で小沢を見てる恩知らずな人々はそんなものなどきっとなんだっていいんだろうが、もし仮にこのアルバムで幸せの王子小沢に嵌まって新しい信仰抱いちゃって改めてパーフリからずっと聞きなおしなぞしようものなら、その感情移入の度合に比例してがっつりへこむ。笑い事じゃないくらい凹む。 ・・・と、こんなことをかこうものなら「あなたの記事がきっかけで、大好きだったあのアルバムを平静に聴けなくなりました一体どうしてくれるんですか」とかなんとか戯けたことを申してくる人もいるかも知んないけども、 実際んとこそれは全然僕のせいじゃなくてね、こんな話はさ、一度真剣に小沢の作品と向き合って考えた人なら誰だって気付く話な訳でさあ・・・。 本来全然どうっつう事でもない話なわけですよ。冷静になってみてくださいよ、って話。 確かにインスピレーションだけで小沢を聴いてる人には甚だ申し訳ないと思うけど(というよりそんな人がウチのサイトの記事を読むことがまず間違ってるんだけど)、本当に小沢健二っていうアーティストを「人と人の関係として」愛するのならちったあじっく考えることをしましょうよ、って事。人を非難する前にさあ・・・。 だけどよくいますよね、そういう市民団体主義の人。 「ショッピングモール建設反対!」とかいって町内会かき集めて積極的に運動とかやってるわりにいざ店が出来てみたら開店セールに並んでたりとかさ(笑)。 「リサイクル推進!」とか言ってる割に条例とかで今後電化製品ゴミにはリサイクル費用がかかります、ってことになったら急に今度は「有料化反対ー!」とか。じゃあどうして欲しいんだよっていうどうでもいいおばさんみたいな。要するに我儘。 「死ぬまできっと(僕は)ワガママだかーらー♪」ってそれは男の立場の話だからね(笑)。女の子はもっと柔らかくものを考えなきゃいかんですよ。 プラカードもって市役所に押しかけるおばさんになるには皆さん早すぎるよ!!って、僕はあなたがいくつだか知らないし知りたいとも思わないけれども(爆)そう思うわけですよね(謎)。 とにかく僕が言いたいのは、王子様が王子様でいられた裏には絶対彼なりの苦悩があったに決まってるんだしそれに感情移入して(例え似非的にでも)考えることで、またパーフリ→犬→王子→eclecticっていう流れを俯瞰できて、さらにそこでいろんな想像をめぐらすことで新しい楽しみ方も出来ていくんではなかろうかということですね。 オンガクを受け止めるだけの人と、それを元にいろんなものを感じる努力をする人(または意識して努力しなくても勝手に脳がそれをやっちゃえる人=またはそれを天才と言うのかもしれんが僕は知らん)、そこには随分感性に開きが生まれるということですよ。 実際それは精神論だけじゃなくて、最近僕がしきりに名前を出す東京大学の若手研究者池谷裕二氏の本にも書いてあることだよ(・・・まあ自己解釈も含め)。東大だよ?そこまで小沢的じゃん(笑)。もう信用しない理由なんか何もないでしょ(笑)。 とにかく脳は生きているうちに使おうよ(当たり前だが)。聴きながすだけなら幼稚園児だって出来るんだからさ。せっかくその触媒として僕らの元にはフリッパーズギター(コーネリアスと小沢健二)っていう特級品が存在してるんだからさ、せっかくだもんその恩恵にあずかって、感性豊かにしてがっつり賢くなっちゃおうよ! 僕の学校の人間みたいに、ファッションセンスも感性も勉強の出来も横一列で(もっと言うと化粧の具合なのかみんな同じ顔してんだよな。大竹一樹じゃないけど「気ぃぃぃぃっっっっ持ち悪ぃぃぃ!」んですよね、正直。もっと言うとクローンかよ!みたいな。これは三村マサカズだけども<^^;;)、埋もれていったって、なんにも面白くなんかないでしょ!! 前置きとか余談でごちゃごちゃ言ってた割に言いたいことなんか実はそれしかなかったんですけれどもね(爆)。馬鹿は克服できる。これが、今回の全てです。 なんかはじめとえらく違うような気もしますが(死)、僕はいつでも、別に、結局最後に何が言いたいかなんて、いちいちそんなこと、考えて記事書いたことなんか、ねえよ(大竹一樹風に)。 ていうかなんでここまできてさまぁ〜ずオチなんだかさっぱりわからんけど。 |