![]() |
|||
小沢健二「犬は吠えるがキャラバンは進む/dogs」 |
|||
| ていうか犬キャラってさー、皆さんはどうかは知りませんけど、多くの人のファーストインプレッションってそんなによくない、いや、それどころじゃなくて、下手したらもう「滅茶苦茶悪かった」んじゃないですかね?なんか今聞きなおしててそう思っちゃった。 だって、これ、難しい。普通に聴いてそのよさが十分分かるかって言ったらどうなんだろう。歌詞の文学性やパーフリストにとってはなんとも験クソ悪い隠喩や全否定(「神様を信じる強さを僕に」とか「意味なんて何もないなんて僕が飛ばしすぎたジョークさ」)、 かといってパーフリ上がりじゃないファンにはただの難しいメタファーでしかないだろうし、そうなるとほんと、なんでわざわざこんなきつい船出を選択したんだ小沢は、っていう感じって、すごくあるよね。 ただ、小沢健二っつう男の力が怖いのは此処からで、一度目に「なにこれ」、でも二度目三度目と・・・聴き続けてってそのいかがわしい神通力みたいな何かが頭を掠めた途端・・・ダメだよね。それも嵌まっちゃって・・・。 いや、そんなことは僕もカメラファクトリィで散々ネタにしてきたし、近いことはクイック・ジャパンで小沢当人も言ってた事なんだけど・・・、 すると、もうそのへんのヘボい連中のものに比べて麻薬性とかなにやら知らぬ後光の様なものが僕らの肌を嘗め尽くしちゃって、それこそ小沢の切れ味抜群の魂にずたぼろにされて、まあなんつうか甚振り尽くされた場末の通りの娼婦のような気持ちになっちゃう(超謎フレーズ)。 音楽に嘗め回されるって、この事ですよね。背徳に似た魔法の刃に切り刻まれる恐怖と快感(カメファク時代の人々はあの清純だったyoheyがこんな隠喩なんぞ使うようになってショックを受けてるかも知れん。が、如何せん僕も今年成人式でしてね。もうそろそろ、いろんな意味でどうしようもなくなって来てるのですよ)。 要するにそこが小沢の「悪魔であり天使」だったところなんだろうね。実は自分勝手な価値観で振舞ってるように見えて、実はリスナーに公平に送られる小沢のゲーム性とインテリジェンスに満ちた母性愛のような(なんか違う気もするが他にいいメタファーが思い浮かばない)、 それで・・・そこにまたひとつの悦楽の炎が・・・ていうか表現がどんどんやばくなってきた気がするけど(爆)・・・。 特に「天使たちのシーン」の13分。カラオケで歌ったら絶対嫌われる一曲ですけど(笑)、 ♪いつか誰もが花を愛し歌を歌い 返事じゃない言葉をしゃべりだすのなら 何千回ものなだらかに過ぎた季節が 僕にとてもいとおしく思えてくる 文学。写実と心象風景を微妙にミックスさせた世界観。はっきり言ってこの詩についてどう思うかでその人物の人間としての面白みが分かると思うよ(笑)。 これだけ見てただ「意味わかんない」とか「つまんない」程度の意見しか持てない人だったらほんとに、感性の貧しい人というか田舎の高校生というか、とにかくなんにもないんだね、みたいな印象持っちゃいますよ。もうちょっと感じ取れませんか?っていう。 「じゃあどんな感想を持てば満足なんだお前は?」とかっていう話になると思うけど、それもそれで答えが一つしかないような単調でつまらない世界だったら今の小沢のカリスマ性とか文才への評価とかはない訳でさ。 当たり前の文字面からそれぞれの空想する世界を描いていって、それを最終的にはカモン、なんつって本当の扉を開いてさ、ここまできて最後にやっと小沢なりの結論として「神様を信じる強さを僕に」っていう文字列を提示してさ、 「みんなは、この曲で何を感じてくれたかはわかんないけど、にぎやかな音楽と神様を信じる強さこそがいまの僕には必要なんだ」 っていう空気で締めて自分なりに話は完結するんだけど、それでもまだ僕らには絶対的な答えを明示しないで、まだ空想の余韻に浸る隙を与えてくれてるわけでしょう。 それこそがこの曲でありこのアルバムの奥の深さを最も明確に体現してる部分だと思う。だからこそ、このアルバムに退屈さ、とかつまんなさしか感じない程度の想像力や発想力の人にとってこのアルバムはつくづく鬼門だったわけでしょう。 要するに、このアルバムは小沢の「遊び」じゃなくて本当の核の部分、パーフリの遊びの部分を徹底的にそぎ落としていった、素の部分なんだと思う。そしてこの核を暖めて、暖めて、ときにジャズに寄り道して、そして結局「eclectic」に行き着くわけでしょ。 全て自分で自分の物語を演出してるんですよね(意識的に、かどうかは兎も角。そこまでは何とも言えん)。つくづく役者ですよ、小沢くん。ゲーム。オペレッタ。言葉が安いけど。 だからこそ感性とアーティスト性で闘う(そういう意味では変化球ばっか投げてるように見えて実は全部直球ど真ん中で勝負してる)小山田派(猿派)と犬派はずっと対立構図を描き続けてるんだろうな。僕の友達のサイトとかいろいろ見渡してみて分かるもん。 熱心な小山田信者ほど好きなアーティストに小沢を挙げないし、逆もまた然り。 勿論全部が全部じゃないしむしろ目立ってる一部だとは思うんだけど、そういう状況を冷静に見直してみると、なんかこの状態って妙に奥が深いかなあ、って思うよね・・・。 実質パーフリコラム復帰一回目はこれになるのかもしれない。あれから一年経った今、yoheyくんはこんな駄作は駄作ながらも上っ面だけは真剣そうな詐欺まがいの文章をかけるまでに成長いたしました。 これからもどうか、宜しくお願いしますね。僕は、多分、ずっとこんな感じだからさ。 |