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フェイバリット・アルバム・レビュー
エッセイ

フェイバリット・アルバム・レビュー

マジカル・ミステリー・ツアー
ザ・ビートルズ
レット・イット・ビー
アビイ・ロード

マジカル・ミステリー・ツアー 

67年発表。テレビ映画「マジカル・ミステリー・ツアー」のサントラ曲6曲にシングル曲を足したアメリカ独自の編集盤であるが、現在は、オリジナル・アルバムに準ずる扱いとなっているようだ。

もっともビートルズらしいシングルとも言える「ペニー・レイン」や「ハロー・グッバイ」、またジョンの代表作とも言える「ストロベリー・フィールズ・フォエバー」や「 オール・ユー・ニード・イズ・ラヴ」が聴けるのも魅力だが、4人の共作の「フライング」、ジョージ作の「ブルー・ジェイ・ウェイ」と言った脱力系のサイケデリック・トラックもなかなかの聞き物で、後期のアルバムには聴かれない能天気な明るさが全編に漂っているのも、このアルバムの魅力のうちのひとつ。この時代独特の雰囲気を持つ良質なポップス・アルバムと言えるのではないだろうか。

ザ・ビートルズ

68年発表。通称「ホワイト・アルバム」と呼ばれる2枚組。

4人の才能を惜しみなくつぎ込んだアルバム。この時期はジョン、ポール、ジョージともクリエイターとしての能力がピークであった、と言っても過言ではなく、それぞれが色々なタイプの楽曲を提供している。しかし、よく指摘されることではあるが、この頃からそれぞれの曲の作曲者がイニシアチブを発揮し、残りの3人はどちらかと言えば、セッション・ミュージシャンの様に扱われてしまったので、徐々にメンバー間の不信が表面化してきてしまう。そのせいもあってか、どうもアルバム全体が暗いトーンで覆われているように感じられる。
しかしながら、傑作であることには間違いなく、個人的には、このアルバムにおいては特にジョンとジョージの曲が出色であると思う。ジョンの「ディア・プルーデンス」「グラス・オニオン」「セクシー・セディ」などは現代のロックの礎となった曲群であると思うし、ジョージの出世作「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」はもちろん、「ロング・ロング・ロング」や「サボイ・トラッフル」も、それぞれ特徴のある、アルバムを冗長に感じさせない素晴らしいトラックである。
とにかくボードヴィル調の「ハニー・パイ」からサウンドコラージュのみで構成された前衛的な作品「レボリューション9」までと、ありとあらゆるタイプの曲を破綻なく一つのアルバムに配置出来るのは、ビートルズ以外には考えられず、そういった意味でも今後二度と現れないであろう傑作。


レット・イット・ビー

70年発表。最後のオリジナルアルバム。

発表順で言えば、ラスト・アルバムであるが、実際には「アビイ・ロード」以前に録音されたものがほとんどである。では、なぜリリース順が逆か、と言うと、ファンの間では有名は話であるが、メンバー間の不和が祟ってか、セッションを録音しっぱなしで、アルバムの編集作業は放棄してしまったため、しばらくほったらかしになっていたからである(笑) セッションで録音されたテープは膨大な量であったと聞くが、それを当時気鋭のプロデューサーであったフィル・スペクターがオーケストラなどのオーバーダブなどをして、編集し、なんとかアルバムの形に整えたのがこのラスト・アルバムである。
そんな訳で、素材が雑なセッションである為、アルバムとしての評価が下がりがちな本作品であるが、私は非常に好きなアルバムである。まず、各人の持ち寄った曲が非常に良い。また基本的には一発録音が多いので、初期のアルバムの様なバンドとしてのグルーブが感じられる。また、ジョージが誘ってセッションに参加したキーボードのビリー・プレストンが全編で素晴らしい演奏を披露し、バンド演奏に花を添えている。確かに未完成な曲も混じってはいるが、フィル・スペクターのプロデュースが天才的であり、「ディグ・ア・ポニー
」の歌い出しのカット、非常に短い曲であった「アイ・ミー・マイン」を繋げて長くしたこと、延々と続く「ディグ・イット」を早めにフェードアウトさせ、ジョンの奇声の後にすぐ「レット・イット・ビー」を持ってくる流れなどは、まさに天才的としかいいようがない。2003年にデジタル・リマスタリングがほどこされた「LET IT BE ...NAKED」という別編集盤が発売されたが、これが発売されたことによって、逆に改めてフィル・スペクターの手腕が評価される、といった皮肉な結果になってしまったと思う。私としてはこのオリジナル盤の方がオススメ。


アビイ・ロード

69年発表。実質的には最後のオリジナルアルバム。

「レット・イット・ビー」のところでも書いた通り、実質的にはこちらがラスト・アルバムと言える。4人とも解散を意識して制作に臨んでいたらしく、ゲット・バック・セッション(「レット・イット・ビー」制作時のセッション)のだらけた雰囲気から一変し、完成度の高いアルバムを作る、という四人の意思がハッキリと伝わって来る。
この頃一番やる気がなかったとされるジョンであるが、「カム・トゥゲザー」 「アイ・ウォント・ユー」といったこの頃のジョンらしいハードで印象的なナンバーを提供している。ジョージは「サムシング」「ヒア・カムズ・ザ・サン」といった彼の全キャリアを通して見ても、代表曲と言える名曲を2曲提供し、より存在感をアピールしている。リンゴ作の「オクトパス・ガーデン」もジョージの素晴らしいギタープレイも手伝って、ひとつの聴き所となっている。圧巻はB面のメドレーで、実はジョンやポールの未完成曲を繋ぎ合せただけなのであるが、ポールとプロデューサーのジョージ・マーティンによる素晴らしいアレンジで息をつく暇もないぐらいの見事な仕上がり。最後はリンゴ初のドラム・ソロ、そしてポール、ジョージ、ジョンの3人のソロギターが順番で聴ける「ジ・エンド」で、これ以上ない形で有終の美を飾る。とにかく、最後にビートルズの底力を存分に見せつけたアルバムで、これも歴史的名盤と言えよう。


エッセイ

解散前後のジョンとポール
ジョージ・ハリスン 〜サイド・ギタリスト?〜

解散前後のジョンとポール 

ビートルズ時代の曲は作曲者が「レノン/マッカートニー」となっているが、ほとんどの曲がどちらか一方が単独で書き上げていた、というのは今では有名な話だ。(ほんとに共作したものも、もちろんある) というわけで、解散前後を問わず、ジョンとポールは一人で曲を書き上げていたわけだが、ビートルズ時代のいわゆる名曲といわれるものはほとんどポールが書いている。「イエスタデイ」「ヘイ・ジュード」「レット・イット・ビー」等々・・・ 一方、ジョンは初期・中期のシングルの大半を書いているが(「ヘルプ!」「ハードデイズ・ナイト」等)、後期は天才的メロディーメーカー振りをいかんなく発揮するポールを尻目に、よりアヴァンギャルドなものや、ハードな作風に変わっていく。僕個人としては、ビートルズ時代は、断然ジョンの方が面白い作品を作っていたと思う。サウンド的なこだわりは当然ポールも持っていたが、ジョンは特に、サウンドの偶然的な発見や新しいサウンドの創出にこだわっていた。1コードのみのお経をような曲、ドラムループ、10分にもわたるサウンドコラージュ、複数の曲を1曲にまとめたり・・・。ビートルズが単なるアイドルに終わらず、今もプロのアーティストからも尊敬を受けるのは、実験的なアイディアをことごとく、ポップに仕上げたジョンの手法がいまもって有効だからであろう。一方、ビートルズ時代のポールの作品はメロディが素晴らしすぎて(?)サウンド的な冒険が出来なかった感じがある。

その後、ビートルズは解散し、それぞれソロ活動にはいるわけだが、僕はソロ作品は一転、ポールの方が面白いと思っている。ビートルズ解散に最後まで反対していたポールだが、バンドから離れたポールは皮肉にも作風がずっと自由になった。ソロ初期はほとんどの楽器を自分一人で演奏、録音し、今で言う「宅録」の先駆けともなったし、また、1曲の中に複数の曲構成がある曲など、まるでビートルズ時代のジョンを意識したような曲も作り、実験精神あふれる活動を行っていた。しかし、この70年代初頭はプログレッシブ・ロックやハード・ロックが登場し、ロックのみが評価されるような時代だったので、ジャンルをとわないポールの聴きやすい楽曲群は軟弱と切り捨てられ、おまけに関係が険悪になっていたジョンやジョージからもこき下ろされ、これが原因かどうかは知らないが、ポールのソロ時代の活動がいまだに評価が低く、これは非常に残念な点だ。

一方、ジョンは「イマジン」に代表される印象的な曲をたくさん書いたが、曲自体はよりジョンのソロ活動同様、思想そのものを中心に置くようになり、実験的なサウンドアプローチは全くといっていいほど希薄になっていった。これらを振り返ると僕はビートルズ解散前と後ではまるでジョンとポールが入れ替わったような印象を受ける。

ジョージ・ハリスン 〜サイド・ギタリスト?〜

かつて、F-1にデイモン・ヒルというドライバーがいた。名門チーム、ウイリアムズでワールドチャンピオンにもなった名ドライバーだ。しかも、史上最強とさえ言われるトップ・ドバイバー、ミハエル・シューマッハーを押さえてのチャンピオンである。しかし、なぜか彼自身の評価は芳しくない。やれ、チャンピオンドライバーとしての華がない、とか、勝ったのもマシンの性能が良かったせいだ、などと陰口をたたかれる。奇しくもそんなヒルを当時F-1の実況をしていた古館伊知郎がこんな表現をしていた。「デイモン・ヒル、面立ちはジョージ・ハリスン。役割はサイド・ギター」・・・ところで古館氏の指摘には一カ所間違いがある。ジョージ・ハリスンはサイド・ギターではなく、れっきとしたリード・ギタリストだ(笑) もっとも、ビートルズの中でのジョージの立場はいかにも「サイド・ギター」的であるから、氏の指摘はあながち間違ってるとも言い難いが・・・。

ジョージ・ハリスン・・・彼ほど、評価の難しいミュージシャンもいないだろう。人は悲しいかな何かと比較しないことには何事も評価できない。そして、ジョージの場合、比較する相手はもちろんジョンとポールになる・・・。ジョージを評価するとき、ジョンとポールを引き合いに出すのは、確かに酷な様な気もするが、それでも、彼らと比較しないのもまた意味のない行為とも言える。そんな彼自身のキャリアは果たして、幸せなものか不幸なものか・・・

ところで、ビートルズの解散の引き金を引いたのは誰か?という議論がある。報道された記録だけみれば、メディアに向けて解散を発表したポールということになる。しかし、洋子との関係に傾倒していったジョンが引き金になったという話もある。しかし私の意見ではバンド内に「解散やむなし」という空気を一番最初にもたらしたのはほかでもないジョージだと思う。ジョージがビートルズにもたらした功績・・・。インド音楽の導入。やがて精神的拠り所としてもインドを求め、メンバーを誘ってのインド旅行。そんななか、宗教指導者マハリシ・マヘギ・ヨギとの共同生活の中でインスパイアされた各メンバーが傑作「ホワイト・アルバム」を構成する曲群を作り上げている。また、ジョージは初の外部ミュージシャンとしてエリック・クラプトンを起用したり、分裂寸前だった「ゲット・バック・セッション」では天才キーボーディストのビリー・プレストンを招いて雰囲気を変え、セッションを無事成功させている。特に後期は彼自身の曲のクオリティーも大幅にアップし、名曲「サムシング」を含む、ビートルズにとっても重要な曲を多数書いている。簡単に書いても、彼のビートルズに対する功績は計り知れないが、それでもバンド内の立場は、いつまで経っても「第三の男」どまりであった。世間(特に他のミュージシャン)ではジョージがビートルズにもたらした影響の大きさと彼が書いた曲の評価が高まる一方なのにである。「ビートルズにいたのでは君自身の才能が十分に開花されない。」とジョージに最初にアドバイスしたのはエリック・クラプトンだったらしい。つまり、ビートルズはあくまでジョンとポールのものであり、ジョージが彼らと同等に扱われる様になる可能性は限りなく低いということだ。そのような状況の中でジョージにとって、ビートルズという枠が自分にとって逆に足かせのように感じられていったことは想像に難くない。ジョンと洋子の関係も十分ビートルズ解散の引き金になっているとは思うが、それよりも私はジョージが他のメンバーと音楽的連帯を感じなくなり始めたことが一番大きな引き金になったと思う。

以上の説明で、ジョージがビートルズに対して、ときにはジョンやポール以上に影響を与えていたことがおわかりいただけたと思う。しかし、その人柄は・・・未だもって、謎に満ちている。信仰心は強いが、相当の皮肉屋でもある。友人達は彼の慈愛に満ちた性格を称賛するが、その一方で、彼がひねくれものである、ということも否定しない。彼の性格といい、評価といい、ミュージシャンとしての立場といい、全くもってミステリアスなビートル、それがジョージだ。