言葉を投げつけるのと同時に、伊藤は黒田の腕を取って黒田の身体を後の街路樹に押し付けた。掴まれた腕の痛みと勢い良くぶつけられた衝撃に、顔を歪める黒田に、伊藤はますます嗜虐欲を刺激される。

「お前がソロでやるなんて思わなかった。待つって言うと皆思っていたさ。なのに勝手に…」

「何言ってんだよ!俺を切ったのはそっちだろう!」

本気で怒りを表した黒田の眼に捕らわれる。綺麗でメチャクチャにしてしまいたくなる。その衝動は抑えきれないほどの強さで伊藤を煽った。

「俺が?そんな事できる筈がないだろう。こんなに…」

「いと…!」

驚愕に目を見開く黒田の表情を視界に止めながら、伊藤は黒田の唇を塞いだ。軽く開かれた唇を割って舌を滑り込ませる。硬直していた黒田が押し返そうと暴れ出すのを体重を掛けて抑え込んで、思うまま黒田の口腔内を味わった。口を閉じようとするのを指で抉じ開け、交じり合う唾液を啜った。
嫌がって顔を背けた黒田の頬を舐めあげ、首筋に噛り付いた。ビクリと跳ねあがる黒田の身体が愛しかった。

「こんなにお前を愛してるのに…」

耳元に吐息とともに吹き込むと、驚きに見開いた瞳のまま黒田が伊藤を振り返った。驚きの中に怯えを含んだ黒田の様子を見て伊藤の中に暗い喜びが生まれる。綺麗過ぎる黒田を自分と同じ所まで引き摺り落としたいと思った。

「な…」

「ずっとこうしたかった…。抱き締めて接吻て…この身体全部を俺のものにしたかった」

初めて触れた黒田の唇の甘さに酔ったように、言葉の合間に何度も接吻る。正気づいた黒田が抵抗を始めるのを抑えつけて薄い生地の上から胸元を撫で上げた。

「バカ!やめろよ!」

黒田が叫ぶのと同時に、伊藤は頬を張られる痛みを覚えて後に突き飛ばされた。やっと伊藤から解放されて肩で息をしている黒田を眺めながら口中に広がる血の味に気付いた。口端に指を伸ばすと滲む血を擦り取った。

「イテ…」

「…なに、考えてんだよ…。おかしいんじゃねぇの!」

伊藤を殴った手を、もう一方の手で掴んだ黒田の身体が震えているのに気付いて、伊藤は笑みを掃いた。自分の行動で黒田が動揺していることが、伊藤の中で喜びになっていた。

「別におかしくなんてないさ。ずっとそう思っていたのに気付かないお前が鈍かったんだろう?」

なんの臆面もなく言い切る伊藤を、黒田は信じられないものを見るような眼で見つめていた。初めて見る「伊藤賢一」だったのだろう。

「俺がステージでお前に触れなくなったのが何時からか覚えてるか?絡むのも少なくなったのは?」

伊藤の問い掛けに、黒田の動きが止まる。思い出しているのか遠くを見るような視線になるのを伊藤は感じ取った。ステージ上では切れている事の多い黒田に、伊藤の変化を気づけと言う方が無理なのかもしれなかった。そんな黒田に助けられてここまで来れたのだとも思う。
同じユニットのメンバーとして過ごす限り、けして知られてはいけない想いだと分っていた。
そのまま終われれば良かったのだ。メンバーとして友人としてライバルとして。
事実、黒田にとって伊藤はそのものだったはずだ。

「それとも、気付いてた?」

自嘲の笑みを含んで問う伊藤の顔を、黒田は俯いたまま上目遣いで見上げた。
何か痛みを耐えるような表情で唇を噛んだ黒田に、伊藤は誘われるように指を伸ばしかけた。

「…なんで、今頃そんな事いうんだよ!」

その手をパシリと叩き落して黒田が伊藤を睨む。

「そんな…、今になってそんな事言われて、俺にどうしろっていうんだよ!」

「今になって?」

伊藤は黒田の言葉尻を聞きとめて腕を捕らえた。黒田の言葉の意味が伊藤にあらぬ期待を抱かせる。まるで黒田も同じ気持ちだったかのような。
その手を黒田は身を捩って振り切った。
離された手を追って、伊藤はもう一度、今度は黒田の両手を握り締めた。振りほどこうとする黒田の手を離すまいと力を込めた。

「言えよ!今になってって、どう言う意味だよ?!」

「言った通りさ!今頃そんなこと言われて信じられるとでも思うのかよ!」

黒田の拒絶の言葉が伊藤に確信を抱かせる。

一番近くに居た時には、伝えることの禁じられていた想いだった。苦しすぎて、浅倉の提案を初めて聞かされたとき、これで楽になれるのだと、頭の片隅で悪魔が囁いていた。
自分から離れられないならば、状況という名目で離れれば良いのだと。
抱えていた苦しさから少しでも逃れたかった。そして逃れて浅倉の用意したレールに乗って得た安寧の日々。その代りに、一番大切なものを無くしていた。

「…あの時に言っていたら、お前は信じてくれたのか?」

黒田に会うという苦しさから解放されて、黒田に会えないという苦しみに捕らわれた。一緒にいられないということを覚悟の上の決断は、伊藤に自分の甘さを思い知らさせるだけだった。
自分にどれだけ黒田が必要だったのか改めて知った。呼吸をするように、水を飲むように、黒田を感じていなければ自分の目の前の世界すら色を失ってしまう。

「…この手がほしかった時があったよ。一人きり突き放された時に…」

ポツリと黒田が呟いた。
伊藤を見詰める黒田の視線が、伊藤の心臓に刃を立てる。その時の黒田の痛みとは比べものにならないのかもしれないが。
黒田をどれだけ傷つけたのか、計ることも出来ずに後悔だけが伊藤の胸を刺した。

「好きだったんだ…。伊藤くんも大ちゃんも…。Icemanでいる自分も。大切で、大切で、ずっと同じ夢を見ていたかったのに…」

震える声が伊藤の中に黒田への憐憫を湧きおこさせる。黒田の言葉に何一つの嘘もないことは分っていた。だからこそ黒田の言葉が痛かった。

「お前の気持ちに気付かないで、裏切ったのは俺か…?」

足元を見つめて動かなくなった黒田の身体にそっと手を回した。殴られるのを覚悟の上でそっと抱き締めるとほんの少しだけ伊藤の肩に凭れた黒田の髪が触れた。
その感触すら愛しさを感じて、伊藤は黒田が身を翻していしまうことを畏れるように、力を込めて抱きしめる事もできず、ただ黒田を離せないでいた。

「違う…。必要なことだったんだよ…跳ぶために。そう思うことにしたんだ」

黒田が伊藤の肩から顔を上げて、その胸を両手で押し返した。ようやく見詰めあった二人の間に沈黙が落ちる。黒田の決意を秘めた瞳の色に伊藤は声を出すことすらできなかった。
大切なものが腕の中から飛び立とうとしてるのを感じても、止める術を持たないことを思い知らされる。

「もう、お前にとっては過ぎたことなのか…?」

遅過ぎた告白は、受け止められることはないまま消えてしまうのかと、伊藤は焦るような思いで問い詰める。

「…そうしなきゃ、今までやって来れなかったよ…」

「黒田!」

黒田の痛みを感じて、思わずその身体を抱き寄せる。

「言うのが遅すぎたのか?もう、俺はお前には必要の無い奴になったのかよ…!」

「違う!でも…、もう前のようにはなれない。俺はまだ歩き始めたばかりだけど、自分の足で立ってる。自分の力で自分の世界を作りたいんだ。…伊藤くんや大ちゃんみたいに」

そうしたら、きっと今度会う時に、胸を張って会えるから、と涙に潤んだ瞳のまま黒田は笑顔を作って見せた。その姿が痛々しく見えて、伊藤はそれ以上の問うことができなかった。

「きっと、これで良かったんだ…。決めたんだ、この想いは恋にしないって…。そんなんことよりメンバーでいられる事が大切だから。今度会う時も変わらずに会えるだろう?」

縋るような目で見詰められて伊藤は言葉を失った。黒田の言うような綺麗な言葉では、抱えこんだ欲望は片付けられなかった。たった今も、抱き締めた黒田に身体が熱くなっている。

「俺には、できない…。そんなに簡単に忘れられる訳ない!」

伊藤は黒田の背に回した腕に力を込めた。黒田の手がおずおずと伊藤の背に回された。その手が一瞬、力を込めて伊藤を抱き返して、伊藤の体を突き放した。

「…俺を好きだって言うなら、今は自由にさせてくれよ」

「黒田…」

驚いた伊藤を強い意思を秘めた瞳が見詰めていた。伊藤はその瞳に呪縛されたように動けなくなった。

「…悪いけどタクシー拾ってくれる?やっぱ、送れそうにないから…」

ふっと視線を逸らした黒田が伊藤を見ないようにして呟く。

「黒田!」

「ごめん…」

黒田の顔が泣きそうに歪む。黒田のその言葉が、別のことに対してだという事が伊藤には分った。
手を伸ばせば抱き締める事のできる距離にいながら、触れる事のできないところに黒田はいた。
取り戻す事のできない時間への後悔が伊藤を苛む。あの時躊躇わなければ、手を離さなければ、今この目の前の愛しい存在が自分のものだったのかもしれなかったのだと。

「…ごめん」

もう一度呟いた黒田が思いを断ち切るように伊藤に背を向けて駆け出した。ガードレールを飛び越え車に向かう。

「黒田!待てよ!」

呼び止める伊藤の声に振り返ることなく黒田は運転席に消えた。

Uターンをする黒田の愛車を追う事も出来ず、遠ざかる黒いシルエットを見詰めていた伊藤は、一瞬だけ手にした黒田の幻を抱き締めて、真夜中の闇の中に立ちつくした。

 

END