Dearest
桜
『黒田の誕生日って、一度聞いたら絶対に忘れられないよな』
ふとそんな言葉を思い出して、黒田は微かに笑みを浮かべた。
忘れられないと言いながら、プレゼントが用意されていたことはなかったが。今日と同じように仕事で迎える誕生日当日は、出会ってからいつも一緒だった。
出会ってから初めて別々に誕生日を迎えるのだと、今になって気がついた。
仮歌入れでフラフラになっていたところに、サプライズ・パーティーのようにスタッフが用意してくれた誕生祝。今、自分を支えてくれている人達が祝ってくれることが単純に嬉しかった。
アニバーサリーに拘るわけではないので構わないのだが、ただ、楽しい時間の中で、なにか物足りないような気分になってしまうのは否定できなかった。
薄っすらと空が明るくなった頃にやっと家に帰りついた。最近はいつもこんな感じで、昼と夜が逆転している世界が自分にとっては普通になってどのくらいになるだろう。コツコツとブーツの音をたてて通路を歩きながら、ふとドアの前に何かが置いてあるのに気が付いた。なんだと思いながら近づいて見る。
それは深紅の薔薇の花束だった。慌てて取り上げて、中のカードを開く。
『HAPPY BIRTHDAY TO YOU! K・I 』
呆然としてカードを見ながら薔薇に目を移す。数えてはいないが、たぶん薔薇の花は28本だろう。カードを見る前から送り主は予想がついていた。こんな気障な事をしてしまえる奴はそうそういない。
半分呆れながらも顔が緩む。ここまで足を運んできた伊藤を思うと、ふわりと心が暖かくなってくる。さすがにここまで遅くなるとは思っていなかったのだろう。悪い事をしたな、と思う。だが、きっと今自分がどんな状況か分かってくれていることだろう。
まじまじと薔薇の花束を眺めて、それからそっと両腕で花束を抱きしめた。顔を埋めて香りに包まれる感覚を味わう。伊藤が起きた頃に電話をしよう。そう思いながらドアノブに鍵を指し込んだ。
「黒田!」
「わぁっ!」
突然、背後から抱きつかれてとっさに思いきり振り払った。
「ひっでー…」
「伊藤…、なんでお前がいるんだよ…」
黒田は呆然として久しぶりに見る赤い髪の長身の姿を見詰めた。
「なんでって、お前の誕生日だからに決まってるじゃん。」
そう言うと伊藤はガバッと抱きついてきた。肩に顔を埋め、すりすりと頬を寄せてくる。
目の前にある赤い髪と自分を抱きしめてる腕が信じられない。
「じゃなくて!お前、帰ったんじゃないの?!」
すっかりそのつもりだった黒田は、会えない事を我慢しようとした決心はなんだったのかと自問してしまう。
「ああ、ちょっとタバコが切れたんで、買いに行ってたんだ。帰ってきたら黒田が戻ってるし、慌てたよ」
あっさりと言われて、黒田は言葉に詰まってしまった。伊藤の行動は時々黒田の心臓に悪い事がある。たぶん、本人は何気ないつもりだろうが、あまりにストレートな言葉だったり、行動だったりが黒田を苦しくさせるのだ。
「わぁ〜、生の黒田だ〜」
急に伊藤に抱きしめられて、驚きに手にしていた薔薇の花束を取り落としそうになって慌てて持ち直す。自分の顔の横にある伊藤の顔が、頬に触れる髪の感触がなつかしい。
「…ったく、何を言ってんだよ」
懐く伊藤を引き剥がしながら、自然と涙がこぼれそうになるのを堪えるのが大変だった。
「だって、こうやって直に会うのってすっごい久しぶりだろう?わかってる?」
ようやくほんの少し体を離した伊藤が、まだ首に手を回したまま俺の顔を覗きこんでくる。
そう言われて、最後に会ったのがずいぶん前だと気付く。数えようとして止めた。きっと意識したらもっと胸が痛くなる。今は自分の決めた道を歩き始める大事な時で、寂しさに捕らわれたらきっと立ちどまってしまう。
「分かってるよ」
応える言葉がぶっきらぼうになるのは不可抗力だった。
「なら、もう少し嬉しそうな顔をしてよ。で、笑って」
じっと見詰められたまま伊藤に微笑まれて、もうどうしたら良いのか分からなくなりそうだった。心臓の鼓動が早くなっていく。何も言えなくなり、つい俯いてしまった。
「…ありがとう…」
小さな声で応えるのが精一杯だった。それすらも顔が熱くなっているのが分かる。伊藤の顔など見れなかった。
「あらためて。誕生日おめでとう。これで同じ歳だな」
伊藤の笑顔に一瞬見惚れた自分に気付いて、慌てて目を逸らす。
「…上がれよ。こんなとこじゃ話しもできないし…」
やっとの思いで、黒田は伊藤を見上げると部屋に入るように誘った。
「う…ん。そうしたいのはヤマヤマなんだけど…。俺もスタジオ戻らなきゃいけないから…」
伊藤が困ったように頭を掻く。それを聞いた黒田の目が見開かれる。黒田は思わず伊藤の腕を掴んでいた。
「なんだよ、それ!」
「いま追いこみでさ。ちょっと仮眠取るっていって抜けてきたんだ…」
戻らないとまずいからと苦笑する伊藤の仕事の状況は、今まで一緒にいた黒田には分ったが、会えたばかりなのに、もう居なくなるなんてそんな事は我慢できなかった。首に回した腕で伊藤の体を引き寄せると抱きついた。
「帰るなよ!いま帰ったら絶交だからな!」
伊藤の胸に顔を埋めて叫ぶ。そして、抱きしめる腕に力を込めた。
「絶交って…黒田…」
伊藤の声が困ったような笑いを含む。背中に回された伊藤の腕がぎゅっと抱きしめ返してくるのを感じて、黒田は熱い塊が喉を突き上げてくるのを覚えて、ただただ伊藤の暖かさを貪った。
「黒田…?」
伊藤の腕が緩められ、そっと顔を上げさせた伊藤が驚いたように自分の名前を呼ぶのを、黒田はぼんやりとした思考の中で聞いた。
「…そんなに俺のこと好き?」
「な…っ」
突然の伊藤の言葉に、黒田は伊藤の顔を見返しながら、視界の中の伊藤の顔が妙に滲んで見えるのに気付いた。そっと伊藤が顔を寄せてくる。自然と閉じた瞳に伊藤に唇の暖かさを感じる。
その唇にやさしく目許を拭われて、やっと黒田は自分が涙を流していることに気が付いた。指で涙のあとに触れて自分で驚いた。こんな事くらいで泣くなんて自分はどうかしてしまったのではないかと思った。
伊藤が、いま傍にいるということ。
離れたくないということ。
ただそれだけなのに。
今までならそれが当たり前のことで、自然に触れてくる伊藤の腕を当然のように受けとめていた。それがある日突然なくなってしまう事があるものだなんて、思いもしなかったのだ。
「…でも、俺の方がもっと好きだよ。お前の誕生日なんて言い訳。会いたかったんだ」
もう一度抱き寄せられて、間近で見詰める伊藤がゆっくり項に手を差し入れてきた。触れられたところから甘い疼きが広がっていくのを黒田は感じた。唇を押し包むように重なってきた伊藤の熱い唇に息を奪われる。
滑りこんできた舌が口中で暴れまわり、黒田のものに絡みついて吸い上げる。
「ん…」
黒田は息苦しさにぼんやりした思考の中で、縋れるものは伊藤の背中だけだというように、ただただ伊藤にしがみついていた。
やっと解放されたと思うと、伊藤の唇が頬や喉もとに口付けていく。触れられた箇所が熱く染まっていくような幻想に捕らわれた。
「…帰るなよ…!自分ばっか好きなこと言って…!」
胸が苦しくて痛かった。
「自分の方が好きだなんて、そんなのどうしてわかるんだよ!俺だって…!」
きっと伊藤に負けないくらいに好きだ。自分に触れる伊藤の手が、指が、唇が愛しくて離れることなどできなかった。伊藤の右手を掴むと引き寄せてその指先に口付けていた。
魔法のようにギターを奏でる、長くて形の良い指が好きだった。自分に触れる時には快楽の火を灯す意地悪な指でもあったが。
「今日は、俺の誕生日だろう?だったら、くれよ。朝までのお前の時間…」
掴んだままの伊藤の手に頬を寄せる。びくりと伊藤の手が驚いたように震えた。
「黒田…!」
頬に触れさせた手に一瞬で力がこもり、噛みつくようなキスが繰り返される。黒田はそれを受けとめながら、伊藤の背を抱き締めた。
「…せっかくだから、かっこ良く決めたかったのにな…」
キスの合間に途切れ途切れに伊藤が言葉を繋ぐ。潤んだ瞳で見返した黒田は困ったような表情で自分を見詰める伊藤に気付いた。
その眼の中に息づく欲望の光にも。
「時間が無いのも本当だけど、お前、疲れてるだろうし…。また痩せてるし…。だから俺…」
言いづらそうにしながらも、指は黒田の項を辿り、掌で胸から腰への曲線をなぞっている。言葉と、していることのギャップに黒田はおかしさがこみ上げてきた。
それと同時に、いつも変わらない伊藤の優しさが嬉しくて愛しさに息が詰まる。
「ばかやろ…。余計なお世話だよ。俺がほしいって言ってるのに…」
今日だけはその優しさに甘えたかった。抱き締めて、抱き締め返してほしかった。全身で今の伊藤を感じたかった。
伊藤の首に腕を回し、もう一度黒田は自分から伊藤の唇の熱をねだるように口付けた。
「いつもお前には敵わないよ…」
伊藤は黒田の唇を親指でなぞり、降参の笑みを見せた。伊藤が黒田の腰の辺りに手を伸ばすと、背後からカチャとドアのロックを外す音が聞こえた。
伊藤に抱かれたまま、開かれたドアの中に滑りこんだ。
ドアの鍵を閉める音がして、現実の世界から切り離される。いつも一人の部屋が、伊藤がいる事で色彩を変えていく。
「好きだよ…」
「黒田…」
初めての告白のようだと思った。伊藤が傍にいても苦しさが治まらない。直ぐにまた離れてしまうことが分かっているからかもしれない。今、伊藤の傍にいるのが自分ではないという現実のせいかもしれない。
だが、だからこそ今、伊藤が自分の隣にいることを確かめたかった。
寝室に行く間も待てないように口付けを交わす。伊藤の手がシャツのボタンを外していくのももどかしく感じた。伊藤の服のボタンを外しながら滑りこませた手で、伊藤の心臓の鼓動を確かめる。
「どうしたんだよ。なんか変だよ、お前…」
いつもと逆だと伊藤が笑うのを、胸の上に感じて身体が勝手にビクリと震えた。
「いいだろ…。たまには…」
あがり始めた息に言葉も怪しくなっていく。伊藤のからかうような口調も気にならなかった。いま自分に触れている伊藤の手が、唇がすべてだった。
言葉がなくなって、自分の身体を貪ることに夢中になっていく伊藤を感じて奇妙な安堵を覚える。胸の痛みはそのままに、伊藤が与えてくれる快楽に身を委ねた。
「い…と…っ」
好きだと心で囁くたびに、胸の痛みが酷くなる。
黒田は苦痛と快楽に弄ばれながら、伊藤の背にしがみ付き、抱えきれなくなった想いに涙を零した。
END