桜
駐車場に彼の愛車を認めて、伊藤は足取り軽くエレベーターに向かった。
オフという言葉が無くなったような彼のスケジュールにやっと出来た時間。メールを貰ったのは今朝方早く。これから眠るということだった。
きっと今までの疲れで泥のように眠っているだろう彼が簡単に予想ができて、これでも我慢して訪ねる時間を見計らったのだ。
太陽が西に傾いて、もう少しで空が夕焼け色に染まるだろう。
彼の部屋のある階に着いてエレベーターを降りる伊藤の目に、青空の名残を映す空が広がっていた。自然に笑みを浮かべている自分に気付いて伊藤は誰にともなく照れたように呟いた。
「参ったな…」
こんなにも彼に会うのが待ち遠しく、嬉しいとは。
伊藤は右手に抱えた深紅の薔薇の花束に締りのなくなった顔を埋めた。左手にはテイクアウトの惣菜が詰まったBOXがあり、両手が荷物でふさがっていたためだ。
ドアの前に着くと、伊藤は手にした荷物を持ちなおし、部屋のインターフォンを押す。
「ん…?まだ寝てるのか?」
数度鳴らしたインターフォンに何の反応も無く、伊藤は仕方が無いと薔薇も左手に持ち替えてポケットを探って合鍵を出した。
「お邪魔します〜」
玄関でもう一度奥に声を掛けて見るが、部屋の主の声は返ってこなかった。
引越ししてからは未だ数えるほどしか訪れていない部屋に、伊藤の声だけが響く。取りあえず部屋に上がった伊藤はキッチンのテーブルに花束とBOXを置くと、寝室を覗いた。
「え…、まじかよ」
そこには寝乱れた空っぽのベッドがあるだけで、探す人の姿は無かった。
何気にベッドに視線が吸い付けられてしまう自分に気付いて伊藤は慌てて回れ右をしてドアを閉めた。
「なんだよ〜、人を呼んでおいて」
力無く呟いた伊藤は荷物を置いたテーブルに戻ると椅子にドサッと腰を下ろした。頬杖を付き壁に掛かった時計を睨む。車を使っていないならコンビニか散歩か。らぴの姿も無いからきっとその両方かもしれない。
帰ってくるのが分かっているものを待つのは苦ではないが、心臓が会いたい会いたいと鼓動を打ってる気がした。
会いたかった。
自分の仕事のスケジュールと彼のスケジュールは見事なくらいすれ違って、最後に直接会ったのはずいぶん前の事だった。LIVEも観に行っていない。
これは行かなかった、が正しいのかも知れないが。
自嘲に薄く笑って伊藤は長い指で真っ黒に染められた髪を梳く。自分の独占欲の強さと嫉妬深さは自覚があった。今、彼の隣りにいるギタリスト2人の実力を知っているからこそ、妬みも強かった。
それでも、彼が手を伸ばしてほしがっているのは自分だと自負がある。
自分が彼を求めるように、彼が求めているのは自分だと。
今、彼の周りにいるものは彼を愛してる者ばかりだ。だが、その中でも自分が一番彼を愛しているのだ。
一緒にいることができなくなった今も。
一人思っても詮無いことと分かっていても、もう何百回目になるか分からない堂々巡りの思いを伊藤はまた繰り返した。
「暇だな…」
テーブルに懐いていた顔を起こし、伊藤は外の気配をうかがったが、未だに待ち人がもどる様子は無かった。冷めてしまいそうなBOXの中身を気にした伊藤は、ふと気付いたように冷蔵庫の扉を開けた。常備されてる缶ビールの他には牛乳パックとわずかな食材と調味料が少し並ぶだけの典型的な一人暮しの男の冷蔵庫の中身だった。
その中に探していたものを見付け、伊藤はジャケットを脱ぐとシャツの袖を捲くった。
バタバタと玄関の外の廊下を駆けて来る足音が聞こえてきて、伊藤は見ていた雑誌から顔を上げた。
焦ったように鍵を回す音がしてくるのに苦笑をもらす。
「ゴメン!!」
駆けこんできた黒田の開口一番の言葉に、伊藤は笑顔を浮かべた。
「お帰り」
待たされたという感情すら綺麗に消えてしまう、黒田に会えたという喜び。そんな伊藤の態度に返って焦ったように黒田が抱きかかえたらぴを下ろすのも忘れたように言い訳を始める。
「悪い!ほんと、ごめん。公園まで散歩に行ってて、風があんまり気持ち良くてちょっと芝生に寝転んでたら…」
「寝ちゃったわけだ」
「あ、えっと…」
語尾を濁す黒田の様子に伊藤は目に見えるような光景に笑みを深くする。
「枯草付いてる。いいから座れって」
髪に付いていた枯草を取ると、まだ何か言いたげな黒田を制して伊藤は椅子を指差す。
ガタンと椅子を引いて腰を下ろした黒田は、居心地悪そうに伊藤を見上げた。少しまた痩せたような細い肢体。見詰める瞳の大きさが妙に目立つ。だが、前に会った時の張り詰めたような雰囲気が消えて、幼ささえ感じさせるような透明さがあった。
「お帰り」
もう一度繰り返した伊藤の言葉にやっと気付いたように応えた。
「ただいま」
応えて照れたように言葉にする黒田の肩に手を掛け、見上げる黒田に伊藤は触れるだけのkissをした。驚いて目を丸くした黒田に笑いかける。
「お帰りのkiss」
「…恥ずかしいヤツ…」
憎まれ口を叩く黒田を気にすることなく、伊藤は細くなった体を抱きしめた。一瞬体を硬くした黒田も伊藤の存在を確かめるように背に回した手で体の線を辿る。
「会いたかった…」
耳元に囁かれた声に、黒田が堪らなくなったようにぎゅっとしがみ付いた。
言葉もなくお互いのぬくもりを感じていた2人がようやく手を離すと、顔を合わせて見詰め合った。
「黒田、また痩せた?ちゃんとメシ食ってる?」
「食ってる食ってる、大丈夫だって」
心配そうな声を掛ける伊藤に笑って答えた黒田が気付いたようにクンと鼻を鳴らす。
部屋に漂う美味しそうな香りに、ガスコンロの方を見るとその上に鍋を見付けた。驚いて立ち上がった黒田が蓋を開けて中を覗きこむ。立ち上る湯気とともにシチューが現れた。
「えっ?なに、これ?伊藤くんが作ったの?!」
振りかえった黒田の驚いた表情に満足したように伊藤は笑った。
「もちろん」
声に自慢そうな音が混じるのを押さえられずに伊藤は答える。つい顔がにやけてしまうのが押さえられなかった。そんな伊藤を放って、黒田はおたまでシチューをすくうと行儀悪く人差し指でひとすくいして味を確かめるように口にした。
「どう?どう?」
嬉々として伊藤は黒田の言葉を待った。
「合格」
「ええ〜、なんだよそれ…」
黒田のリアクションに不満そうな顔をした伊藤を振りかえった黒田は楽しそうな笑みを返した。
「メシにしよ、メシに。せっかく伊藤くん作ってくれたんだし、俺、腹減った」
そう言った黒田はテーブルに乗っていた惣菜の入ったBOXを持つと、さっさとリビングに運び出した。あっけに取られて見送った伊藤も苦笑をするとスープ皿を取り出してシチューを盛りだした。
ローテーブルの上にシチューとフライドチキン、ポテトなどの惣菜と缶ビールが並べられ、伊藤と黒田は向かい合って床に直に座り込んだ。
「お疲れさん」
缶ビールのプルトップを引いて、軽く缶を合わせる。
一気に喉に流し込んだビールの冷たさがうまい。目の前の黒田も美味そうに缶を開けている。仰け反る喉がビールを飲み下すたびに上下して、伊藤はそこから目が離せなくなって手が止まる。
「ん?なに?」
「いや…」
気付いてどうかしたのかと問う黒田に答えられるはずもなく、伊藤は苦笑してビールをあおった。
「さぁ、食おう」
いただきます、と黒田は軽く手を合わせるとスプーンをとってシチューを口に運んだ。その口元に見惚れそうになりながら伊藤もチキンに手を伸ばした。
会えなかった時間を埋めるように黒田が途切れず、今までの出来事を語る。曲作り、レコーディング、リハ、ツアー。その場にいる事のできない伊藤は胸に痛みを覚えながら、黒田の輝く瞳を見詰めて話しに相槌を打つ。辛かったとは一言も言わない黒田だった。そんな黒田を愛しいと思う。
料理を口に運びながら話す黒田は真実楽しそうで、黒田が笑顔でいられるならそれで良いと思う。
「うまい?」
減って行く皿の中身を見ながら伊藤は嬉しくなってつい聞いてしまう。黒田はスプーンを咥えたままちょっと悔しそうな顔をした。
「よく材料なんて買ってきたよな。っていうか初めてじゃん、伊藤くんが作ったのなんて」
「そうだっけか」
考えてみるとそうだった気がする。しょっちゅう料理を作るようなまめな性格ではないし、時間もない。黒田の方が料理が上手いこともあって、黒田が作ることは多かった。
「料理できたんじゃん。なんかだまされた気分」
「だますって…」
やぶへびだと思いつつ、憎まれ口をたたく黒田の顔が少し照れたような笑みを浮かべてるのに安心する。
「料理なんてできないけどさ、これだけはね、仕込まれたんだ。あり合わせの材料で作れるし」
そう言って伊藤は自分のスプーンでシチューを掬うと黒田の口元に差し出した。
スプーンと伊藤の顔を見比べた黒田が呆れたような顔をしながら、少し身を乗り出してぱくりと食べた。それに伊藤のほうが驚く。
「うわぁ…、なんか感激かも。作った甲斐があった〜!!」
「あほか…」
恥ずかしいヤツ…と呟かれながら、伊藤は気にすることなくシチューを食べ始める。取りあえず自分でも納得の味に、まぁまぁかなと笑った。
「…仕込まれたって、昔の彼女かなにか?」
ふと思い出したように黒田が伊藤の目を覗きこむ。一瞬ドキリとした伊藤だったが、黒田の表情からは他意は読み取れず純粋な好奇心のようだった。
「そんな色っぽい話なら良いんだけどね」
笑って伊藤はお袋だよ、と告げた。
「子供の時においしい、おいしいって誉めたらさ、一緒に作るハメになっちゃって。何度も作れば覚えるだろ?子供のやることだからそんなに上手く作れたわけじゃないけど。その度に、お袋に『愛情込めて作ればおいしくなるのよ』とか言われてた」
その時の事を思い出したように少し瞳が優しくなった伊藤の顔を、黒田は眩しそうに見るとふっと視線を落とした。
「黒田が美味しいって思ってくれたなら、たっぷり込めた俺の愛情なんじゃない?」
茶化すように片目を瞑ってみせた伊藤が、そっと黒田の頬に手を伸ばす。
「あほう…。口ばっか上手いんだよお前は…」
少し紅くなった顔で睨む黒田の表情が伊藤の胸の奥をズキリと突き刺す。何気ない表情、仕草に囚われる自分を感じるたびに、伊藤は自分の中で渦巻く独占欲を意識する。
どれほど一緒にいても満たされる事の無い想いだった。
離れてしまってからは尚更。
「本当だって…」
胸の痛みを隠すように伊藤はテーブルを回りこんで黒田の側に体を移動させると黒田に唇を重ねた。驚いたように目を見開いた黒田も目を閉じた。
味わう黒田の唇からはシチューの味がした。自分も同じだと思うとおかしかった。
「…メシ食ってる時に何するんだよ」
伊藤の胸を押し返した黒田が伏せ目がちのままぼそりと呟く。
「食欲が満たされたら、次は性欲って、本能でしか動いてないだろ、お前」
「ええ?そう言う訳じゃ…」
露骨な、でも真実な指摘をされて伊藤は言葉に詰まって困ったように頭を掻いた。その口元に黒田はチキンを押しつけて笑った。
今度は伊藤が黒田の差し出したものに噛みつく。
「それにさ…、お袋の味のするkissって、なんか気が引ける…」
俯いて呟いた黒田の言葉に、驚いたように黒田を見詰めながら伊藤は、ああ、と納得する。
自分達のこの関係は、世間一般では奇異の目を持って見られるもので、仕事仲間にですら話せる類のものではなくて、増してや家族に話せることではなかった。
黒田にしても同じだ。新しいBAND仲間で2人の関係を知っている者は居ないはずだった。古くからの友人を除いては。
「何を言ってるんだよ」
そっと黒田の髪に手を伸ばす。自分のやりたい事のためには1歩も退かない黒田だが妙なところで常識的だった。
最初に告白したのは伊藤だった。抱き締めた伊藤の腕を抱き返したのは黒田だ。
恋をしている。
2人で。
その時からずっと。
同じユニットのメンバーという肩書きが無くなって、一緒に居る理由が無くなっても、こうして会いたいと触れたいと思う想いを他になんと名づければ良いのだろう。
「もし、あるなら惚れ薬をシチューに入れたかったな、お前がそんなバカな事考えないように」
驚いた顔をしている黒田の体を抱き寄せる。
「俺だけを見ててよ。歌以外にお前を渡すのは嫌なんだ…」
声に哀願の響きが混じる。
掌に口付けて伊藤は黒田の瞳を覗き込んだ。
黒田の顔が一瞬泣き出しそうに歪んで、苦笑に変わる。
「その台詞、そのままお前に返すよ…」
そう言って黒田は伊藤の肩口に顔を埋めた。
伊藤の不安は、同じく黒田の不安なのだろう。
きっとそれは消えることなく続くのだと伊藤は思った。
「惚れ薬なら、ずっと前に飲まされてる…」
耳元で黒田が呟く。
「好きだよ…」
黒田の言葉とともに首にぎゅっと手が回された。
「黒田…」
甘い痛みを伴った言葉を聞きながら、伊藤は離したくない黒田の体を抱く腕に力を込めた。
苦しくても離せない。
離さない。
何度も心の中で繰り返しながら、伊藤はただ黒田を抱き締めていた。
END