桜
「早え・・・」
せわしなくチャイムを鳴らした伊藤を迎えた黒田が、ふわりとした笑みを浮かべた。
「当たり前だ・・・」
ドアが閉まりきるのも待てないように、伊藤は久しぶりに見た黒田の、記憶の中よりも一回り細くなったような身体を抱きしめた。
伊藤の胸の下に横たわる身体が、伊藤の緩やかに突き上げる動きに敏感に反応して、背が弧を描く。
「ん・・・」
シーツを握り締める黒田の手を掴み、解かせて自分の背に導く。
しがみついてきた黒田が、自分から伊藤に口付けてきた。伊藤は黒田の頭を掴み寄せて深く唇を重ねて舌を絡めとった。
「は・・・ぁ・・・」
苦しげな黒田を抱き起こすと、更に深く繋がる刺激に黒田の身体がわななき、伊藤を締めつける。
「もう・・・」
黒田の限界を訴える声を聞きながら、伊藤は黒田の熱さを名残惜しく感じながらゆっくり黒田の中を掻きまわし、黒田の中心に手を伸ばした。
「いと…!」
甘く掠れた声をあげて溶け出した黒田に煽られ、伊藤はとどめを刺すように黒田を深く突き上げた。
「もうやめろって・・・」
先ほどから飽くことなく、自分の胸元や腕に指に接吻ている伊藤を黒田は苦笑しつつ押し返した。
「やだね」
黒田に笑い返しながら。伊藤は見せつけるように黒田の腕を取り上げると、白く皮膚の薄い内側にきつく吸いついた。
「ダメだって!痕つけたら怒るからな」
あわてて振りほどく黒田の焦ったような顔を見て、伊藤が笑い出した。
「笑い事じゃないって…」
気にしたような素振りもない伊藤に拗ねたような顔をして見せた黒田の唇に、伊藤は口付けてきた。
「もう直ぐLIVEだもんな?」
何気なく言われた言葉に、黒田がビクリと反応した。
じっと伊藤の瞳を見詰めた黒田がゆっくり口を開く。
「そうだよ」
少し震えた声が、それでもきっぱりと応えた。その瞳の揺るぎ無い光に伊藤は吸いこまれそうな錯覚に陥る。自分を虜にして離さない黒田の綺麗さだ。
夜明けに近いような時間に掛かってきた携帯は、初めての黒田からのSOSだったのだと思う。
『仕事中?』と聞いてきた黒田の声の儚さに、『会いたい』と言って強引に押しかけたのは伊藤の方だった。何を言われた訳ではなくても、今、黒田がどんな状態なのか分からないような付き合いはしてこなかったつもりだった。
ドアを開けて黒田を一目見た瞬間に、伊藤は来て良かったと思った。ただただ黒田を抱きしめたいと思った。
寒そうな瞳をしている黒田を暖めたかった。
黒田は弱音を吐かない。
苦しさを正面から受け止めてボロボロになっても、自分の足で立つ姿を、この4年間でどれだけ見てきただろうか。伊藤にすら簡単に頼らない黒田に歯痒さを覚えて、抱きしめた時、初めて自分にすがりついてきた黒田の姿を、伊藤は一生忘れないと思った。
愛しさに黒田を抱きしめた身体が震えるほどだった。
その時から黒田をささえる存在でありたいと願ってきた。
どんな時でも。
今も、「苦しい」と言えない黒田に、この時だけでいいから全てを忘れさせたかった。
きっと、黒田は一人でまた歩き出す。
ただその時まで一緒に居たかった。それが伊藤が自分に誓った役割だった。
「俺は、観に行かないから…」
「うん…」
黒田の乱れた髪を梳きながら伊藤が告げると、分かっていたことのように黒田がゆっくり微笑んだ。
自分に触れる伊藤の手を引き寄せて、伊藤の唇に口付ける。
「観なかったのを後悔させるような、LIVEにしてやるよ」
そうゆっくりと宣言した黒田が、一瞬ステージ上でみせる強気な表情でにやりと笑った。
『黒田』だ…、と伊藤はぞくりと背中を駆け上がるものとともに感じた。
伊藤を魅了して止まない、誰のものにもならない野生の獣。
伊藤にだけ見せてくれた弱さを含めて、何よりも愛しい存在だった。
「ああ、楽しみにしてる…」
約束できるものなど何もない未来に、それでも黒田が歌を歌っている姿だけは信じられた。
自分がその横に立てない事などどうでも良かった。
ただ、黒田が黒田であれるよう、今だけは腕の中の痛々しいほど精神を張り詰めた身体を抱きしめていたかった。
「きっと、大丈夫だから」
抱きしめて埋めた黒田の肩口に、想いを込めて囁く。
「当たり前だろう…」
ぎゅっとしがみついてきた黒田の声が少しくぐもって聞こえてきた。頬に触れた暖かい滴には気付かない振りをして、伊藤はもう一度黒田に囁いた。
「大丈夫だよ…」
自分の胸に顔を埋めてきた黒田を抱きしめて、伊藤は慰撫するように黒田の髪を撫で続けた。
END