「REASON」
桜
「お疲れさま〜」
黒田は声を掛けて事務所を出た。時間は既に12時過ぎ。駐車場に向かって歩き出すと後ろから声を掛けられた。
「待てよ」
伊藤の声だ。黒田はポケットからキーを取り出しながら振り返る。
「なんだ、終わったんだ」
「終わらせたの!」
少しだけ視線が上向く身長差の赤い髪。
「ちょっと待っていろよ。渡したい物があるんだ」
黒田が答える前に伊藤が自分の車に向かって行った。きょとんと取り残された黒田が訳もわからず、言われた通りその場に立ち止まっていた。
「ほら、これ」
戻ってきた伊藤が持っていたのは大きなペーパーバックで、黒田の贔屓のブランド名が入っていた。それを渡された黒田がびっくりしたようにバックの中を覗きこむ。
「…なに、これ。どうしたんだよ」
「いいから、開けろって」
不審そうな様子で伊藤を見上げた黒田がそれでも、たぶん衣類だと思われる包みを開けた。
「えっ?これ…」
中から取りだしたものに、黒田は絶句した。この間からほしかった黒のムートンのコートだった。しかもこれは…。
「…なんだよ。じゃあ、予約済みって伊藤くんかよ」
黒田の声が恨めしげに響く。伊藤がクスリと笑いを漏らす。それを睨みながら黒田は手にしたコートに視線をおろした。
先日の写真撮りの時に使った衣装がこのコートだったのだ。スタイリストが用意した衣装だったが、黒田がほしいと思っていたコートそのものだったので、撮影後に譲って貰おうと思った。だが、衣装担当は、申し訳なさそうに1点もので先約があるからと言い、持ち帰ってしまったのだ。以来、似たコートを捜していたが気に入ったものが見つからないでいた黒田だった。
「すごく気に入ったから買おうと思ってたのに、ダメって言われて、結構ショックだったんだぜ…」
黒田はそう言いつつ、取り出したコートを広げて目の前に翳してシゲシゲ眺めた。口では文句を言いつつ顔が嬉しそうなのを伊藤は見とめて笑った。
「あ…、ちゃんとサイズまで直してある」
黒田の驚いたような声がする。身長の割に細すぎる黒田はいつもサイズが合わないのが悩みだった。
「当たり前だろ。だから持ち帰ってもらったの。」
少し得意そうな伊藤に、苦笑いしながら黒田は素直に好意を受け取ることにした。だいたい伊藤にプレゼントされて嬉しくない訳がない。
「…ありがとう」
「似合ってたからな。持って帰りたかったくらい、さ」
伊藤が少し照れたように額に指を当てて、黒田を見つめた。
「そうだろ?だから俺もほしかったんだよね」
「…ば〜か。持ちかえりたかったのは、お前の方!」
え?と黒田が伊藤を見返し、言われた意味に気付いてサッと赤くなった。
「…ったく。信じらんねぇ。よくそんな事言えるよ」
「本当の事だからな」
恥ずかしくてまともに伊藤の顔を見れないでいる黒田に対して、伊藤は涼しい表情で黒田の反応を楽しんでいるようだった。
「…タラシ」
「お前にだけだって」
憎まれ口をさらりと交わされて黒田は唇を噛み締めた。だいたい口で伊藤に勝てる訳がなかった。あきらめて手にしていたコートを丁寧にたたむとバックに入れた。
「え?帰るの?一人で?」
伊藤が慌てて黒田の後を追う。ちょっとからかい過ぎたかと思う。追いついて背中から抱きしめた。驚いて黒田が振り払う。
「なに考えてんだよ、こんな所でっ」
あっさりと手を離した伊藤が黒田の髪に手を差し込み、軽く梳く。その優しげな仕草に黒田も困ったように大人しくしている。
「今度会う時は、それ着て来いよ」
一瞬の隙を突いたように伊藤の口付けが降ってくる。
「脱がせるのが楽しみだから」
「だから!!そういう事言うなって!」
真っ赤になって抗議する黒田を尻目に伊藤が笑って踵を返す。軽く手を挙げて挨拶する仕草がキザなのに嵌まっている。黒田は地団駄を踏むような気持ちで伊藤を見送った。
「あぁ、もう!なんであんなのに惚れたんだよ。」
つい愚痴を呟きつつ、もう一度コートを取り出してみた。暖かくて優しい手触り。送り主の気持ちをうつしたように。
コートに顔を埋めてみる。好きな理由ならもう知っていた。