fire‐work

 

 

 

マナーモードにしてある携帯の着信を告げる振動に気付いて、黒田はジーンズの尻ポケットに入れてある携帯を探った。
(誰だよ…)
既に馴染みになった馬場のマンションでの作曲作業中だった。
昨日、自分でラフに仕上げた音を馬場に聴いてほしくての、ほぼ押しかけ状態の訪問だったが、馬場は空いている時間を指定してOKを出してくれた。
馬場との共同作業は楽しい。自宅より機材の揃っている環境も魅力的だったが、何よりも馬場と音を合わせていく中で生まれてくるものが好きだった。
中断されたことに少し不機嫌になりながら確認したディスプレイの画面に表示された名前に、黒田は一瞬動きが止まった。
ゴメン!と慌てて馬場に手真似で断ると、さり気無さを装って後ろを向いた。
『黒田?』
耳に馴染む声は、久しぶりに聞くものだった。
「あ、うん。どうしたんだよ、こんな時間に」
時間は8:00pmを過ぎたところで、自分達の時間感覚では真昼間だ。これから仕事モードに入るはずの時間帯で。この時期にオフということはあり得ないだろうと嫌でも分かる同業者だった。
『ああ、ちょっとね。ね、窓開けてみて』
「え?」
言われた意味が分からず、黒田はボケた反応を返す。
『いいから、窓を開けて外を見てみろよ』
重ねて言う伊藤の声はどこか楽しげで、黒田は訳は分からないまま付き合ってやろうという気になった。
「ごめん、BABIちゃん。ちょっとベランダの窓開けてもいい?」
熱帯夜が続く毎日はクーラーが必需品の生活で、当然この部屋も締めきってあった。振りかえって馬場に断ると、不思議そうな顔をした馬場が「いいよ」と返してくる。
(何があるっていうんだ、一体。下に居るとかだったら怒るぞ)
それはそれで少しは嬉しいかもしれないと思う黒田だったが、あえてそれは考えないようにした。
「あ…!」
カチャリと鍵を外して開けた瞬間、少し遠くの空を光の華が彩った。
ベランダへ出た黒田の視界の中に次々とドーン!という音と色々な色彩と様々な形の花火が飛び込んでくる。
競うように空に描かれる光の華の競演。
『見えた?』
耳元に囁かれる声に我に返る。
「お前…これ見せたくて?」
珍しい時間の電話の理由を知って、黒田の声がうわずる。恥ずかしいヤツ!そんないつもの憎まれ口も出てこなかった。
『一緒に見ようっていう約束、去年は守れなかったからな…』
「…俺、そんな事言った?」
覚えの無い言葉に、問い返す。
『雷雨で花火が中止になった日。LIVEの帰りに花火を見て帰ろうって言っていたのにダメになったろ?』
覚えてる?と訊かれた黒田は、言われた言葉を頼りに記憶を辿ろうとして、思い出した事柄に声をあげそうになった。
『思い出した?』
笑いを含んだ声に、不覚にも涙が出そうになった。
2年前の暑かった夏。理屈抜きに楽しかった一夜だけのLIVE。
隣に居た彼。
突然の雷雨に見まわれたLIVE、雨男とさんざん言われ続けてきた黒田が、それでも少し滅入っていると、伊藤が横で囁いたのだ。「花火は2人きりで今度ね」と。伊藤の場違いな言葉に、それでも慰められる自分を可笑しく愛しいと思った。
『上だけじゃなくて、下も見てくれないかなぁ』
「下?」
ベランダの手すりから見下ろした道路。宵闇の中、街灯の下に止められた車と横に立つ長身。
「お前…」
もう言葉が出なかった。視線が合った瞬間、携帯を持っていない右手で、伊藤はステージの上で見せるキザなほど決まっている投げキスを黒田に投げ掛けた。
「ばかやろう…」
携帯を握り締めたまま黒田は動く事も忘れたように伊藤の姿に釘付けになった。
「どうしたの、クロリン」
ベランダに出たまま戻らない黒田の様子を見に馬場がベランダに顔を出す。
「ああ、今日、花火大会だったっけ」
空に打ち上げられている花火を見上げて馬場が思い出したように呟く。その声に正気づいたように黒田は焦って携帯を切ると馬場に向き直る。
「あ、ゴメン。あの、俺、ちょっと休憩時間貰っていい?」
慌てて訴える黒田に、驚いたような顔をした馬場がふと黒田の背後に視線を動かす。ドキリとして伊藤の姿を隠すように体を動かす黒田だったが、馬場は自分のマンションの下に止められている車に気付いたようだった。
そこに立つ人影にも。
「ああ…」
納得したように馬場が笑う。瞬間、黒田はさっと赤くなった。
この距離で顔まで見える訳はなかったが、黒田の様子でその人物が誰か予想がついたようだ。
「いいよ、今日仕上げる曲じゃないし。このまま帰っても」
「そんなこと…!」
馬場の言葉に黒田の方が焦る。
このまま伊藤と帰るのはあまりにもあからさまな気がする。
これからずっと一緒にやっていきたいと思う人の前では、さすがに気が退けた。
「きっと明日の方が良い仕上がりになるんじゃないかな。それに、急がないと彼、帰りそうだよ」
「え?!」
茶化すでもなく、たんたんと話す馬場の言葉に手すりを掴んで下を覗き込む。
車のドアを開けた伊藤が黒田を見上げていた。
見詰める黒田の視線に笑顔を見せると、すっと右手をこめかみに当て、じゃあ、とサインを送ってきた。
今にも運転席に乗り込みそうな伊藤に、胸が冷えるような焦りを感じ、とっさに黒田は叫んでいた。
「待てよ!!」
驚いたように振り返った伊藤がふわりと笑顔を浮かべる。
「すぐ戻るから…!」
馬場に断るのと同時に、黒田は玄関に向かって駆け出していた。その慌てぶりが可笑しいのか馬場はくすくす笑いながら頷いた。

 

いつもより遅く感じるエレベーターにイライラしながら降りると黒田はエントランスから駆け出した。
マンションの前の道を車の流れを縫って突っ切り、反対車線に止めてある車に駆け寄った。
もう既に伊藤は、運転席に乗り込んでいた。
全開にされたウィンドウに手を掛け、黒田は車内の伊藤を食い入るように見詰めた。
「お前…!」
「ゴメン、スタジオに戻らなきゃいけないんだ。花火で道が混んでいて思ったより時間食っちゃって…」
困ったような笑みを浮かべて伊藤がそっと黒田の手に触れる。
「でも、黒田の顔みれて良かった」
微笑んだまま、伊藤が黒田の瞳を覗き込む。
「いい顔してる…。楽しそうだ」
「伊藤…」
ストレートな物言いと、笑顔に黒田は戸惑った。
「会いたかったんだ…」
想いを込めた言葉に縛られたように動けなくなった黒田は伊藤を見返しているしか出来なかった。
ふと気付いたように伊藤が黒田の手を握り取った。手の甲に一瞬走った痛みに黒田がびくりとする。
「これ…」
「ああ、さっき弦切った時に掠っちゃって…」
かすり傷だったが、まだ血が固まっていなかった傷口から新たな血がにじんでくる。
「そういう怪我なら勲章だな」
「いと…!」
黒田が止める間もなく、伊藤は黒田の手を取ると傷口に口付けた。
黒田は慌てて周りを見まわして、誰も気付いた様子がない事にほっとする。
昼間ほどではなくとも、人通りは絶える事は無く、車も停車している伊藤の車を迷惑そうに避けながら次々と流れて行っていた。
恐る恐る見上げた馬場の部屋のベランダもサッシが締められていた。
「大丈夫だよ、誰も見てない」
そう言った伊藤の言葉に、黒田は後ろめたさを感じた。自分と伊藤の関係を恥じるつもりは無い。
ただ、他人に知られるのは怖いと思ってしまう。
「怪我、絶えないね、相変わらず」
苦笑しながら、伊藤がそっと愛しそうに傷をなぞる。ぞくりと背筋を走るものに黒田は焦った。
「…少し、悔しいな。この傷もこれから刻まれるものも、その時、俺は一緒に居られないんだよな…」
「伊藤…」
囁かれた言葉に黒田は痛みを感じずにいられなかった。自分で決めた事ではあるが、自分の歌を歌うことと引き換えに伊藤と共にステージに立つ権利を失ったのだ。
「そんな顔するなって。そんなつもりで言ったんじゃないから」
瞳を伏せてしまった黒田に困ったように伊藤が笑う。
「この傷もこれからのものも、すべて愛しいよ、黒田の歴史だから」
そう言ってもう一度、恭しい態度で黒田の手の甲に口付ける。
「…お前、俺を甘やかしすぎ…」
泣き出しそうな衝動をこらえて、黒田はなんとか答えると伊藤の手を握り返した。
「惚れた弱みかな」
「ばかやろ…」
愛しそうに見詰める伊藤の視線の前に、黒田の憎まれ口も弱いものになる。
「もう、行かなきゃ」
後ろ髪を引かれる様子で伊藤が告げる。
「ああ」
名残惜しそうに触れていた伊藤の手が離れて行く。
エンジンがかけられ、ライトが点く。「じゃあ」と手を振る黒田に、去りぎわに悪戯な笑みを浮かべて伊藤が囁いた。
「次に会った時は、抱き締めて離さないから覚悟しといて」
「…あほう!」
とっさに返しながら、黒田は自分の顔が熱くなっているの意識する。

遠ざかるテールランプを見送りながら、黒田は、そっと伊藤が触れた手の傷に唇を押し当てた。

 

END