Key

 

「げ…、なんだよ、パスワードって」

いつものようにHPを開いた伊藤は、クリックをした途端に現れたメッセージに声を上げた。

「そう言えば、FC会員ONLYのページを作るって書いてあったっけ…」

呆然と呟いた伊藤は、静かにパニックに陥った。

大きな声では他人に言えないが、どんなに帰りが遅くなっても、Macを立ち上げて黒田のHPの更新状況とスケジュールをチェックするのが、毎日の日課だった。
忙しくて仕事に煮詰まっても、頑張っている黒田の様子を見ると励まされる。そして、日常生活の何気ない黒田の言葉とボケた行動が、相手を知っているだけに眼に浮かんで笑いを誘われる。
時々更新されるmonologueでは、あまりに真っ直ぐな発言に電話を掛けたくなったことさえ度々だった。

そんな、生活の一部になっている心のオアシスが取り上げられるなんて、伊藤には耐えられられなかった。

「どうしよう…これ」

画面を見詰めながら伊藤は頭を抱えた。

 

 

 

「おはようございます!」

「ああ」

元気に部屋に入って来たキンヤを一瞥して、挨拶を返した伊藤はすぐにまたソファーに沈み込むとpc関係の雑誌に目を戻した。パスワードを入力しない限りサイトに入れないという事は分かっているのだが、つい、なにか方法はないものかと探してしまう。

会員番号とパスワード。

それを貰うにはFCに入るしかないのだろう。だが、どの面下げて申し込めというのだ。誰かの名前を借りようかと真面目に思ったくらいだが、頼む時には事情を話さなければならないだろう。せっかく届いた会員証を訳も分からず捨てられたら目も当てられない。
黒田自身に聞こうかとも思ったが、伊藤が黒田の行動をチェックしているなど、そんな事を知ったら黒田がどう思うか想像するだにおそろしい。
最終手段として大野に頼もうかとも思ったが、二人の関係を知られているだけに、これ以上弱みを握られたくない。二人が会うのを邪魔しているとしか思えないスケジュールの組み方を、密かに恨んでいたりもする。

「どうかしたんですか?」

妙に静かな伊藤を不思議そうに見詰めたキンヤが、伊藤に問い掛けるのと同時に、キンヤのデイバッグの中から携帯の着信音が流れ出した。少し間の抜けた音の「灼熱BLADE」
あ、と気づいたキンヤがバッグの中から携帯を取り出すのを見るとはなしに見ていた伊藤は、それがメールの着信だったのだと分かった。

「ありゃりゃ…」

画面を見ていたキンヤが一人の世界に入っている。速攻で返信を打ち終わったらしいキンヤを見つつ、改めて最近の子供なのだと思ってしまう自分に歳を感じてしまった。
仕事と趣味とでMacは使うようになったが、iモードをオモチャのように使えるようにはなれない。
そんな事を考えていた伊藤は、ふとそれでネットもできるのだと気づいた。キンヤもi−bookを持っていたはずだがiモードも使っているのだろう。

「もう済んだのか?」

「あ、すみません。仕事中なのに」

私用で話を途中にしてしまった事を気にしてか、キンヤが慌てて伊藤の前にやってくる。そんな事は無視して伊藤はキンヤが持ったままのiモードを指差した。

「それさ、ネットもできるんだよな」

「え?え、ええ。できますよ」

何を言われるかと構えていたキンヤが当然といえば当然の事を訊かれて、拍子抜けしたような顔で答える。

「それで…、自分のHPを見たりする?」

「はぁ?そりゃ、見ますよ。やっぱ気になるし、ファンの子がカキコしてくれた事とか早く見たいし」

要点の掴めない伊藤の問いに?マークを頭の中に飛び散らせながら、それでもキンヤは律儀に答えた。

「見たい時に見れるから便利ですよ。画面ちっちゃいけど。あ、伊藤さんのところも行きましたよ、僕。カキコはしてないけど。西川さんのトコも黒田さんのトコも…」

「なんで!?」

「い、伊藤さん?」

突然、伊藤に話を遮られてキンヤは声を飲んだ。MADS仕様の伊藤の表情は間近で見ると整って綺麗なだけにコワイ。

「なんでお前が黒田のHPが見れるんだよ!?」

「な、なんでって言われても…。皆が見れるでしょう、フツウ…」

伊藤の様子からどうやら地雷を踏んでしまったらしいことにキンヤは気づいた。伊藤にとって黒田の話題は、両極端な効果をもたらす。
天国と地獄。大抵は幸せそうな顔で話しているのだが、最近のように会えない時間が続くと苛立ちが顕著になる。

「見れないんだよ…!」

悔しそうな口調で呟いた伊藤を見て、キンヤは目を丸くした。伊藤の不機嫌な理由がそれなのだと分かって、一種安心しながら、気づいて慌ててiモードで黒田のHPを検索した。
見なれたTOPが表れ、なんの支障も無いようだった。だが、そのキンヤも他のページを開けて黒田のスケジュールを見てみようとして、出て来たメッセージに声をあげた。

「あっれぇ〜…。変わっちゃったんだ」

その様子で伊藤はキンヤも同じ状態なのだと分かり、がっくりと肩を落とした。
うなだれる伊藤を放っておいて、キンヤはバックの中からスケジュール帳を取り出して捲り始めた。探し物を見つけると、iモードの画面に打ち込んでいく。

「あ、開いた開いた。大丈夫ですよ、伊藤さん。ちゃんと見れるじゃないですか」

なんなくキンヤが開いたHPの画面を伊藤に見せると、信じられないような顔をした伊藤はキンヤの胸倉を掴みあげんばかりの勢いでキンヤを引き寄せる。

「なんでお前がパスワードを知ってるんだよ!」

マジに切れた伊藤の迫力に、ひえ〜っと心の中で悲鳴をあげたキンヤは、我が身の不幸を嘆いた。

「だ、だって、僕、黒田さんのFC入ってますから…」

伊藤にこんな事を言ったらどんな苛めにあうか想像しただけで恐ろしいが、白状せずにはいられない状況ではあった。

「キンヤ…。お前ぇ…」

「わぁ〜!だって、黒田さんに約束したんですよ〜。ゼッタイFCに入りますからって。いいじゃないですか、だって会員番号1番て伊藤さんなんでしょう?」

首を締められるように白状させられたキンヤが、最後に悔し紛れに言った言葉が伊藤の手から力を抜けさせた。

「え…?」

「特別な番号もらっておいて、怒らなくてもいいじゃないですか!僕なんて、ちゃんと自分で申し込んだんですよ〜」

恨めしそうに見上げてくるキンヤの眼に気押されるように、伊藤は大人気なかった自分の行動に気づいて慌てて手を離した。自分でもどうかしていると思うのだが、黒田絡みになると理性という言葉がどこかへ消えてしまう。

「…あ、悪かったな。ごめん」

「そんな…!ぜんぜん平気ですよ。慣れてるし…」

そう言ってしまってから、見合わせた二人の間に僅かに気まずい空気が流れる。墓穴を掘ったキンヤからさりげなく視線を外す。そのようすに伊藤は苦笑した。
確かに慣れもするだろう。仕事のみならず、キンヤが黒田に淡い恋に似た感情を持っていることに気づいてからは、プライベートでも黒田がらみの事に関しては容赦のない伊藤だった。
人前でオープンにできないだけに、キンヤの子犬のように黒田を慕う姿が神経を逆撫でる時があるのだ。

「えっと…、お前が今言った会員番号って…」

それは本当のことなのかと、伊藤は問う。自分が全然知らない事なだけに半信半疑だった。だいたい、黒田から何も聞いていない。

「もしかして、伊藤さん知らないんですか?それじゃ僕からかわれたのかな…」

ちょっとショックを受けたようなキンヤの様子に伊藤は慌てて話を振る。

「お前はどこで聞いたんだよ。その話」

「どこって、黒田さんに、FCに入りますから、僕に会員番号1番を下さいね!って言ったら、もう先約があるからって言われて。伊藤さんにですかって聞いたら笑っていたから…てっきり」

その状況で、黒田にそれを聞けるだけでもたいしたものだと、伊藤は思った。素直でない恋人は、いつもつれないのに、子供相手だとガードが緩むらしい。
その子供も恋をすれば男になるのだという事は失念しているあたりが黒田らしく、自分がフォローしなければならないところなのだけれど。

会員番号といわれて、伊藤は黒田と話したことを思い出した。IMの活動休止が決まったばかりでお互いの活動がまだ決まっていない頃。
FCを作らないとと言った黒田に、本気半分、からかいが半分で言った事があった。
じゃあ、会員番号1番は俺だね、と。あほう、と一言で気って捨てられたのだが。
それを黒田が覚えていてくれたというのだろうか。あんな、聞き流してしまうような一言を。

しかし、だからといって、自分が知らないことを黒田がキンヤに話したというのは、伊藤を落ちこませるには充分な打撃だった。

「聞いてないよ、俺…。なんでお前が知っていて、俺が…」

キンヤの前だという事を忘れて、おちこみそうになった伊藤は、黒田に恨み言を言いたい気分だった。

「で、でも!伊藤さん、それって僕の思い込みかもしれない訳だし。本当だったら黒田さんが言いそびれていただけかも…」

あまりにストレートに落ち込みを見せる伊藤に、慌ててキンヤはフォローを考える。
黒田が言った言葉は、かなりの確率で本当だと思っている。ならば、その番号でHPを開いてみれば良いのではないか。

「あの…。僕、本当に黒田さんは、伊藤さんに1番を取ってあるような気がするんですよね。だから、試してみませんか?」

キンヤの言葉に、伊藤は顔を上げる。

「会員番号を入れてHPを開いてみましょうよ!」

ただでさえ落ちそうなくらい大きな瞳をキラキラさせて訴えるキンヤの好奇心まるだしの様子に、かなり気圧されながら伊藤は首を振った。

「会員番号だけじゃ開かないだろうが…」

「あ、パスワード…。でもそれだって分かると思いますよ。それって設定がいくつかあるらしいんですけど、伊藤さんなら知ってるでしょう?」

「なんで俺が知ってるんだよ」

キンヤの含みのあるような発言に、むっとして伊藤はキンヤに詰め寄る。またしても墓穴を掘ったキンヤが簡単にギブアップをする。一歩後ずさりながら伊藤に答える。

「ですから!黒田さんの指輪!ちなみに俺のパスワードはfingerでした」

あ、と気づいて伊藤が動きを止める。黒田のシルバーのリングに掘り込まれたいくつもの単語。それは黒田の大切なものであり、心からの想いだった。
物言いたげなキンヤの瞳の意味を理解して、伊藤はようやく笑みを浮かべて見せた。

「…サンキュ。悪かったな八つ当りして」

ポンとキンヤの頭に軽く手をやった伊藤は、ソファーに置いてあった雑誌とギターを取り上げた。

「い、伊藤さん??」

「あ、俺、今日は自宅作業にするから」

驚いて呼びとめるキンヤにあっさりと言い放つと伊藤はドアに向かった。皆に伝えてくれといわれて、キンヤは頭を抱えつつ、明快な伊藤の行動を羨ましいような、くすぐったいような気持ちで見送った。

 

 

「さてと、試してみますか…」

半信半疑の自分を奮い立たせるように呟きながら、伊藤はF66に接続を始めた。昨夜、入れなかったサイトのパスワード入力画面を呼び出す。
祈るような気持ちで会員番号を入力した後、パスワードにリングに刻まれた単語を次々に入れていく。
言葉の一つ一つに黒田を感じる。初めて黒田がこのリングをしているのを見た時、自分でも驚くほど嫉妬のようなものを感じたのを覚えてる。飛びたいと思う黒田の精神に焦がれているからかもしれない。

「だー!なんで開かないんだよ!」

最後の言葉を入れても開かなかった入力画面に向かい、伊藤は叫んでいた。

「やっぱり、会員番号から違うのかなぁ…」

さっきまでの浮かれた気分は消え、再びマイナーな方向に行きかけてしまう思考をなんとか切り替えようと伊藤はキッチンに向かった。冷蔵庫を開けて缶ビールを取り出してプルトップを開けた。
冷たい刺激で、少し頭が動き始める。

たぶん、違っているのはパスワードなのだろう。会員番号については希望的観測を信じようと伊藤は思った。リングの言葉が全部違ったという事は、これだけ別の設定になっているという事だ。
もう一本ビールを取り出そうとして、中に入っている別の銘柄の缶が目に入った。常備している黒田の好みのものだ。

(あ・・・)

ふっと思いついて、伊藤はMacの前に急いで戻った。
黒田の好きなもの、好きなこと。思いつくだけの単語を打ち込んでいく。ずっと黒田を見てきたので、彼の好きなものなら知っているという妙な自信があった。
らぴ。ハーレー。歌うこと。ライブ。etc。黒田の選びそうな言葉を思い出していく。思い出しながら黒田の笑顔が蘇り、一人赤面をしてしまった。好きなことをしている彼の表情は伊藤の一番好きな顔だった。

 

 

「…これもダメかよ…」

無常に繰り返される『パスワードが違います』のメッセージが伊藤を落ちこませていく。かなりの時間が経っていた。思いつくだけの言葉を入力し尽くして、さすがに伊藤も自信を無くしかけていた。
煙草の煙を吐き出しつつ、背もたれに体重を預けて思いきり伸びをしてみる。
瞳を閉じて思い出す黒田の顔は、いたずらな笑みを浮かべて伊藤を誘う。なぜ判らないのかと問うように。

(伊藤…?)

呼びかける声すらも聞こえてきそうで、、伊藤は溜息混じりに宙に向かって黒田の名前を呼びかけた。

「黒田…。…あ、ああ!」

一瞬の天啓のように伊藤の脳裏に一つの言葉が浮かんだ。画面に打ちこみながら、まさかと思い、そうであってほしいと願った。
打ち終わってEnterを押した伊藤の前に、あれほど無慈悲だった画面が開き、黒田のフォトが現れた。

「は、ははは…。BINGO!!」

思わずガッツポーズを取った伊藤は、ようやく見れたHPの画面上の黒田を指で触れた。

「やってくれるじゃん。…好きだよ、俺も」

無意識に滲んできた涙を指で拭いながら、伊藤は黒田のフォトに囁いた。

 

 

FIN