KISS
桜
「あれ、居ないのか」
楽屋のドアを開けると、中には誰の姿もなかった。
誰かの控え室にでも行っているのだろうと、伊藤は荷物をテーブルに置くと椅子に座ってタバコに火をつけた。灰皿を引き寄せようとして自分の荷物から覗く白いファイルケースに気付く。
少しためらった後、取り出したそれは、昨日、賭けトランプで巻き上げた写真集だった。
出来上がった時にチラリと見ただけで、意地でも貰うものかと思っていたので、マジマジと見るのは初めてだ。
なんとなくドアの外の人の気配を伺いながら、ページを捲る。
「…マジかよぉ…」
呟いてしまった自分の口元を手で押さえた。
やわらかそうな唇。閉じた瞳の長い睫。
ドキドキしたのはこっちの方だ。
(触ってみたい…)
思わず写真の上に指を伸ばし、そっと唇をなぞってみる。
「何してるの?」
「っわぁ!」
いきなり開いたドアから入ってきたのは、いま一番会いたくない写真の当人だ。
らしくもなく慌てた様子の伊藤を不審に思ったのか、黒田がツカツカと寄って来る。写真集を閉じる暇もなかった伊藤が触れているページの写真に目を止めた。
「…目の前に本物が居るのに」
黒田は伊藤の横の椅子を引いて腰掛けた。まだ動揺の収まらない伊藤にいたずらな笑みを浮かべる。伊藤の前でふっと眼を閉じた黒田の顔が写真と重なる。
(触れたい…)
黒田の頬に手を伸ばし、親指で唇の輪郭をなぞる。
「触るだけでいいのかよ」
言葉を指先で感じた。目を開いた黒田が伊藤の眼を覗きこむ。悔しいけれど、いまは自分の分が悪いのがわかる。
「キスさせろ」
ぶっきらぼうに吐き出された台詞に、黒田は一瞬目を丸くして吹き出した。
まだ笑いの残る口元に唇を重ねる。深く合わせた口付けに黒田も応えてくる。
「やっぱり本物の方がいいだろ?」
赤みを増した唇で黒田が笑う。
もう一度のキスがその答えだった。
Fin