ONE

 

「黒田さんみっけ!」

「キ、キンヤ?」

ドアが開くのと同時に叫ばれた名前に、黒田は驚いて、呆けたように飛び込んできたキンヤの顔を見つめた。

ヴォイストレーニングに顔を出したアインシュタインでは、浅倉と伊藤がデモの作成中でスタジオに長居できる雰囲気ではなく、休憩室に戻ったところだった。

そんな黒田に気づく様子もなく、キンヤは走ってきたらしい荒い息のまま、椅子に座った黒田の元に駆け寄った。

「俺、デヴュー決まりました!」

「あ…、そうだってな。おめでとう。よかったな」

笑顔全開のキンヤの様子も、デヴュー決定の朗報によるものだと納得した黒田は、素直にキンヤのデヴューを祝った。今年1年のキンヤに対する浅倉と伊藤のスパルタ教育、若しくはイジメの様子を見てきた黒田は、自分の体験と重ね合わせてシミジミと大変だったろうと思っていた。あの二人の楽しみを作る事に対する情熱を知っているだけに、他人事とは思えなかったからだ。

「ありがとうございます!」

ニコニコと笑顔を見せるキンヤが、黒田の側に一歩近づいてきた。

「キンヤ?」

「で、ですね。黒田さん…」

椅子に座る黒田と視線を同じに下げてきたキンヤが、少し緊張した表情になってこっそり秘密を打ち明けるように黒田の耳元に顔を近づけた。

「約束の、デヴュー祝いがほしいんですけど…」

「え?デヴュー祝いって…」

何か約束していたっけと考えながら、黒田は間近にあるキンヤの顔を見返した。クリンとした目が妙に真剣でどきりとした。

「…飯でも奢ろうか?」

なぜか一歩引きつつ、キンヤの様子をうかがった。キンヤがそんな黒田の態度を見て、眉間に皺をよせた。

「黒田さん…。もしかして覚えてない…とか?」

声のトーンが下がったキンヤの目が、かすかに据わっている。

「…って、俺なんか約束したっけ?」

「ひど〜いぃぃぃ!!!俺、ずっと待ってたのにぃ〜…」

がっくりと肩を落として足元にしゃがみこんだキンヤを黒田は困ったように見下ろした。

「あ…俺、何を言ってた?飯ならこれから食いに行っても良いしさ」

「違います!」

即座に否定されて、黒田はどうしようもなくて黙り込んだ。

「えっと…」

「黒田さん、本当に?ほんとに覚えてないんですか?」

キンヤの目が潤んできた気がして、黒田は困惑しつつ懸命に思い出そうとした。キンヤと一緒の仕事の回数はそんなに多い訳ではない。DA Partyなどのイベントだと行動は一緒だが、普段事務所で会う時間はたかが知れている。皆で食事に行ったのも数えるほどで。

「俺、そんなに大切な事、約束した?」

「やっぱ、覚えてないんだぁ…。デヴューしたら…」

黒田の顔を見詰めて言いよどんだキンヤが口を噤んだ。黒田は居心地の悪さを感じつつ、目を逸らせなかった。

「キンヤ…?」

どうしたのかと声を掛けようとした黒田の両肩をキンヤが掴んだ。

「デヴューしたらですね!…」

言葉を切ったキンヤの顔が近づいて、黒田の唇に触れようとした。

「ぐっ…!」

その瞬間、短くうめいてキンヤの体が後ろに吹っ飛んだ。

「あ…、悪い!大丈夫か?今、思いきり鳩尾に入っちまった」

慌てて駆け寄る黒田がキンヤを抱き起こした。息の止まる衝撃に涙をにじませたキンヤが黒田の腕をつかんで、胸に抱きついた。

「黒田さん、デヴューしたらキスしてくれるって言ったじゃないですか…!」

「えっ!?

キンヤの言葉が一瞬理解できなくて、白くなった黒田の手から力が抜けるが、しがみついたキンヤはコアラ状態で離れなかった。

「お、俺がそんなこと言ったって?!」

裏返った声で問い返す黒田の顔をじっとみつめたキンヤが頷く。

「言いました!約束ですね?って僕、念を押したのに、…覚えてなかったんだ…」

今にも涙がこぼれそうな様子のキンヤが可哀相に見えるが、思い出そうとしても記憶がなかった。キンヤを支えながら立たせ、椅子に座らせる。隣に腰掛けて、黒田は微妙にキンヤの視線を避けた。

「あ…のさ、俺、その時、酔ってたとか?」

一番可能性の高そうなシチュエーションを聞いてみるが、キンヤが納得しそうもないことは、その様子からありありと感じられた。

「…僕が、黒田さんを好きだって言ったのも、聞かなかった事にしちゃうんですか?」

「キ…?!

上目使いで見詰められて、黒田は内心かなり動揺した。

「俺を好きって…。俺、男だぞ…」

「そんな事分かってます!僕だって男だし、こんなの変だって分かってるけど…。でも、好きなんです!」

叫ぶように言いきったキンヤの目は、からかって誤魔化せるようなものではなかった。

ああ、だからか…と黒田は妙に納得した。

酔った勢いであろうと、そんな約束をしてしまったのは、キンヤの本気を見せられたからだろう。こういう目に弱い自分を知っている。

しかし、だからといって簡単にキンヤの気持ちを受け取れるという問題でもなかった。

「俺を好きだっていうけどさ、なんで俺なワケ?こう言ったらなんだけど、そんなに仲良くしてたっけ?俺達」

「それは…」

言葉に詰まったキンヤは、両膝を掴んで足元に目を落とした。

「最初、黒田さんて、ずるいなって思ってたんです。浅倉さんや伊藤さんに優しくされてて。僕なんか…」

「優しくって…。あれで優しくされてるの?俺?」

「分かってます!今なら分かるけど、その時は羨ましくて…。でも、スタジオで練習してる黒田さん見て、ライブにも行って、どれだけ自分に厳しいか分かって…」

純粋に自分を見上げてくる瞳に申し訳なさすら感じながら、黒田は捕まったようにキンヤから目が離せなかった。

「ライブを見に行って、歌っている黒田さんがすごく綺麗だなぁって思ったんです。キレイでカッコ良くて…」

言い募るうちに、キンヤがだんだん黒田の方に体を寄せてくる。

「…あ、そんな風に思ってくれるのは嬉しいけど、なんで俺なの?ター坊のライブもいったろ?キンヤのヴォーカルはター坊タイプだし…」

わずかに体を引きながら黒田はキンヤに言い聞かせるようにして説得を試みた。

「そんなの…。僕だって分からないです!でも、黒田さんを見てると、綺麗で、触れてみたいな…って。僕、変だと思いますか…?」

唇を噛んでキンヤが言葉を切った。きっとキンヤの中の自分は、美化された存在なのだろうと黒田は思う。作られた幻想に恋するのは純粋さの表れのようで、微笑ましさを感じるけれど、それは自分ではないのだ。実物を見て減滅されるのも何度も経験している。

どれだけ本当の自分を見せても、本音をぶつけても笑って受けとめてくれたのは唯一人だった。

「…変だなんて思わないけど…、お前さ、勘違いしてるだけだよ。俺じゃない俺を見て、恋だと勘違いしてるだけだって」

「違います!俺、本気ですから!」

涙目になって叫ぶキンヤの姿は真剣そのもので、その言葉に嘘はないことはわかる。その目にほだされていく自分を、黒田は感じていた。こんなにストレートな告白なんて初めてかもしれなかった。決してキンヤの想いには応えられないけれど、約束を果たすくらいなら許されるのではないだろうかと思う。

「…まったく。お前19だっけ?その年で人生踏み外すなよ。」

先輩めいた忠告を言ってみるが、それも形だけだった。言葉とは裏腹に困ったような笑顔を向けられたキンヤが、黒田のやわらかな瞳に捕らわれていく。

「黒田さん…」

「約束したなら、守らないとな」

ビックリしたように目を丸くしたキンヤの顔がおかしくて、黒田は笑ってキンヤの首に手をまわした。

「キスしてやるよ。まぁ、お前も物好きだと思うけどね」

「黒田さん!」

キンヤの現金に明るくなった顔を見て、苦笑混じりの黒田が少し首を傾けながら、キンヤの唇に近づいていく。キンヤはすべてを見ていたいというかのように、片時も黒田から目を離さず見詰めていた。逆に自分のほうが照れてしまいそうになる。

「好きです、黒田さん…」

唇に触れる直前に律儀に告白するキンヤを、黒田はかわいいと思った。触れた唇は緊張で熱く乾いていて、清潔な感触は嫌悪感を抱かせなかった。触れた瞬間、両腕に掛かっていたキンヤの手が黒田を抱き寄せた。触れるだけのキスのつもりが、キンヤから唇を重ね直され深くなる。舌が閉じられた唇を開いてほしいと訴えるように触れてきて、黒田はキンヤのワガママを聞き入れた。

ぎこちなく黒田の舌に触れてくるキンヤを感じながら、もういいだろうとキンヤの体を離そうとするが、腕を掴んだままのキンヤは離れる気配がなかった。

「ん…」

顔を横向けてキンヤの唇を外した黒田は、そのままキンヤが首筋に吸い付いてきたのを感じて慌てた。ゾクリとする感覚は条件反射のようなものだ。

「バカ!調子に乗りすぎ!」

軽くゲンコツでキンヤの頭を叩いてキンヤの体を押し返した。

「黒田さん…」

捨てないでと訴える子犬のような目が自分を見詰めてくる。黒田はキンヤの瞳の中に、まだ形になりきらない欲望の欠片を見た気がした。

「約束はキスなんだろ?だいたい、キスしてやるって言ったんで、キスさせてやるなんて言って…」

言いかけた言葉は、近づいてきたキンヤに腕を取られて途切れた。

「黒田さん…ね?もう少しだけ…」

椅子に座っている黒田が、思いきり体を引いても追いかけるようにキンヤは手を離さなかった。

「バカ…!やめろって…」

押し返す手も、体重を掛けられて抑えつけられ何の役にも立たなかった。キンヤの思わぬ力を見せつけられて、驚き慌てる。

「黒田さん…」

「待てって…」

唇に触れようとするキンヤから逃れようと体を捩った瞬間、無理な態勢に耐えきれなかった椅子が横倒しになり、2人ともに床に落ちた。

「イッテ…ェ」

「だ、大丈夫ですか?!黒田さん!」

下敷きになった黒田が痛みに声を上げて、キンヤは慌てて黒田の顔を覗きこむ。

「いいから!どけよ、重い」

「あ、すみません!」

黒田の不機嫌そうな声に押されてキンヤは、黒田の体から退いた。薄くて細い体。キンヤ自身も細いが、彼の場合は薄いのだ。身長差がこんなにあるのに、体重はあまり変わらないのだという事を思い出した。

「お前ねェ…」

黒田が神妙な顔で見詰めるキンヤに苦情を言おうとした時、ガチャリとドアが開いた。

「何やってんだよ」

「いっ…伊藤さん!」

キンヤが文字通り飛びあがった。伊藤の視線が倒れたままの黒田と椅子とキンヤを順に過ぎていく。

「なんでもないよ。ちょっとふざけ過ぎただけ。なぁ?」

起きあがって椅子を起こした黒田が、つとめて何気なく答える。

「…ったく。どこで油を売ってるのかと思えば。キンヤ、この後撮影だって分かってんのか?顔に瑕でも付けてみろ、安部ちゃん角出すぜ」

呆れたように言って、部屋の中に入ってくる伊藤は、キンヤの横を過ぎて、黒田の側に立った。

「は、はい!」

可哀相なくらい青くなったキンヤの顔を、黒田は笑い出したいような気分で見ていた。さっきまでの強気さはどこへ行ったのか。

「早く行けよ、横原さんも来てたし」

「あ、そうなんだ。俺も顔出してこようかな」

伊藤の言葉に黒田はドアの所の前に立つキンヤの後を追おうとした。キンヤの顔が露骨に笑みに変わる。

「黒田」

「えっ?」

背中に声を掛けられたと思ったのと同時に、左手首を掴まれて伊藤の胸に抱き寄せられた。

「い…っ!」

「黒田さん!」

黒田の口が伊藤の唇で塞がれたのと、キンヤの情けない悲鳴があがったのは同時だった。キンヤに見せ付けるような長い接吻。黒田は呼吸を塞がれて気が遠くなる気がした。

「人のものに手を出すのは、100年早いだろ」

黒田を抱きしめたまま、キンヤに顔を向けた伊藤は意地の悪い笑みを見せる。カァッと赤くなったキンヤが、悔しそうに唇を噛む。ぎゅっと両手の拳を握ったキンヤが叫んだ。

「伊藤さんのバカッ!!!!そんな風に見せ付けなくたって…!」

くるりと身を翻して廊下に駆け出すキンヤをあっけに取られたように伊藤と黒田は見送った。

「バカって…」

いったい幾つなんだあいつは、と思いながら、伊藤は初めて見るキンヤの姿に笑った。

「すごいな。恋の力って偉大だね。俺に向かってバカって言ったんだぜ、あいつ」

腕にしたままの黒田の顔を覗きこむように伊藤が話しかける。

「バカって言われるのが嬉しけりゃ、いくらでも言ってやるぞ、このバカ!」

「な…、なんで??」

突然の黒田の冷たい反応に伊藤が慌てる。

「なに考えてんだよ!人の前であんなまねして…!だいたい、いい大人が子供をいじめてんじゃねぇよ!」

まだ赤い顔のまま黒田が伊藤を突き放して怒鳴る。上目使いで睨む黒田を見ながら伊藤が腕を組む。

「黒田が誰のものか、ちゃんと教えとかないと」

「だれが誰のものだって?!」

あっさり返された言葉に黒田は噛み付いた。

「俺のものって言いたいんだけど…」

ダメかな、と笑う伊藤の顔を見て、黒田は脱力して文句を言う気力も失せた。顔がさっきにも増して熱いのは気のせいだと思いたい。

「あのね、黒田は人が好すぎるから心配になるんじゃん。キンヤは子供じゃないだろ?」

「そ…、そりゃ…」

淡々と返す伊藤に黒田は言葉に詰まった。さっきのキンヤは確かに伊藤の言う通り子供なんかではなかった。

「だいたい、怒る権利なら俺にあると思うワケ。キンヤなんぞに押し倒されるなんて…」

「…って、どこから聞いてたんだよ!」

訳知り顔の伊藤に、薮蛇だったと黒田は少し後悔した。確かに自分でも甘かったと思っていたところで。

「お前をキレイだってのは、目が高いと思うけどね」

「お…まえ!」

最初から聞いていたんじゃないか!と黒田は頭を抱えたくなった。

「でも、ダメだから」

急に真面目な声がして、黒田はフッと伊藤を見返した。どきりとするほど真剣な目に捕まる。両手を首に回されて動けなくなる。

「俺ね、嫉妬深いよ…」

薄っすらと笑みを浮かべた伊藤の眼は笑っていなかった。ゆっくりと唇を重ねられる。黒田は目を閉じて受け入れた。

伊藤の唇が喉もとを通り、首筋をさ迷う。舌がある1点で止まり、痛みを感じるほどきつく吸われた。キンヤが触れた個所を塗りつぶすように。

背筋を駆けあがるゾクリとする刺激に、黒田は知らず伊藤にしがみ付いていた。

「さっき、黒田が抵抗してなきゃ、きっとキンヤを殴ってた…」

「…ゴメン…」

こんな言葉が正しいのかわからなかったが、黒田はコツリと伊藤の肩に額をつけて小さな声で謝った。伊藤が傷ついたことだけは触れた個所から伝わってくるようで。

「…でも!キンヤのはきっと一時の気の迷いだよ。マジに取るなよ、な?」

「…そんな所がお人好しだって言ってるのに…。仕方ないな、それが黒田だから…」

呆れたと言わんばかりの伊藤だったが、口調は優しい。抱きしめる腕も。

「…今夜…」

「伊藤さん!!」

あまやかな雰囲気を吹き飛ばすような声が部屋いっぱいに響く。

「キンヤ?!」

「浅倉さんが呼んでますよ!休憩時間はとっくに過ぎたって」

「おまえ〜!」

完全にさっきの意趣返しと分かるキンヤだった。伊藤の顔が一気にけわしくなる。

「僕、ただのメッセンジャーですからね!じゃ、急いでくださいね。あ、黒田さん、今度飯食いに行きましょうね」

言いたいことだけ伝えて、キンヤはあっという間にドアから消えた。自分で志願して浅倉の呼び出しの伝言を伝えに来たに決まっていた。

「アイツ、一回、しめてやる…」

いい雰囲気を邪魔された伊藤が物騒なことを言い出して、黒田は慌てて押し止める。

「だから、本気で相手をするなって」

伊藤をなだめながら、黒田はなぜこんなコトになったのかと溜息を付きたい気分だった。自分の立場がまるで冗談のようだ。

かなり変形ではあるが、現在進行形で三角関係…。

「なんか、プロデューサーに変なとこまで影響されてんじゃないか?」

「キンヤと一緒にするな!」

思わず呟いた言葉は、伊藤に即座に却下された。

「わかった、わかった。分かったから早く行けよ。大ちゃん待ってるんだろ?」

「黒田…」

まだ、名残惜しそうな伊藤に黒田は軽く口付けた。

「ほら、スペアキー。どうせ終わるの何時になるか分からないんだろう?泊めてやるよ。家に帰るより早いだろ?」

「黒田!」

笑みが広がる顔を見ながら、やっぱりさっきのキンヤと似ていると思った。いや、キンヤが伊藤に似ていたのだろう。自分に向けられた優しい眼差し。

(でも…ゴメン、やっぱ、違うんだよ…)

キンヤの泣き出しそうな目を思い出して、少し胸が痛んだが、これだけは間違えることは出来ないことだった。

「早く行けよ!」

照れ隠しのようにぶっきらぼうになる口調を、伊藤は笑って受けとめた。

「じゃあ」

「ああ」

何度も繰り返したやり取りが、妙に大切に思える瞬間。

いつ来るのか分からない者を待つのは嫌いだが、相手が伊藤ならばかまわないと思う。

伊藤を見送って黒田も部屋を出た。

ふと廊下に張ってある、キンヤのポスターが眼に入った。

「悪いな…」

苦笑混じりに呟いて、黒田は玄関に向かって歩き出した。

FIN