SIMOON

 

 

 

「来いよ…」
囁く声とともに手が差し伸べられる。
勝手に震えてくる体を意識しながら、黒田は部屋のドアに背を預けて頭を振った。
動こうとしない黒田を待つ伊藤は、そのままもう一度名前を呼んだ。
黒田の体がびくっと震える。
「明日…、スチール撮りがあるんだ…。だから、今日は…」
必死に言葉を紡ぎながら、黒田は伊藤の目を見ることができず、床をずっと睨むことしか出来なかった。
自分の言葉を聞いた伊藤の反応が怖かった。
何も言わない伊藤の沈黙が、黒田を怯えさせている。何も言わなくても伊藤の内圧が高くなって行くのが肌で感じ取られるようだった。
「…だから?」
問い返す伊藤の言葉は氷の冷ややかさを持っていた。
「だから…今日は…」
自分を抱くのをやめてほしい。その一言が言えずに黒田は何度も躊躇う。
その黒田の様子を見詰めていた伊藤がふっと笑う。
「どうしてそんな顔してるかな…?」
笑みを顔に浮かべたまま、伊藤は黒田に近づくと右の二の腕を掴んで、動こうとしない黒田を引き寄せて顔を上げさせる。
思わず見上げた伊藤の視線に黒田は捕まった。
微笑む表情を裏切る視線の暗い熱さに黒田はそのまま動けなくなった。
「ねぇ、せっかく会えたのに倫は嬉しくないの?」
問われた言葉に、一瞬、黒田の体の中を本気の怒りが駆け抜ける。
力任せに伊藤の手を振り切ると、驚いたように伊藤が黒田を見返した。
「会いたかった…。ずっと倫のことばかり考えてたよ…」
黒田が手を振り払った事など気にも止めないように笑った伊藤が、その長い腕を広げて黒田の背を囲い込むように抱き締めた。
反射的に胸を押し返そうとする黒田の抵抗を容易に押さえ込んで、顔を肩口に埋めた。
びくりと震えた黒田の反応を楽しむように項に何度も唇を押し当てる。
「やっ…!」
軽く吸われる感触に、黒田は抗った。
「ああ、心配しなくても大丈夫だよ。俺が倫が困るようなコトするワケ無いじゃんか」
すんなりと黒田を開放した伊藤が、両手で黒田の頬を挟みこむとゆっくりと唇を重ねた。黒田のそれを押し包むよう口付けは、やさしく、そして逆らう事を許さない強引さを持ってた。
「こんなに倫のことを愛してるのに…」
耳元に囁かれた伊藤の言葉に、黒田はその腕の中でもがき始めた。
「…嘘だ!」
ならば、何故こんな異常ともいえるような関係を迫るのか。
黒田は悲しみと悔しさに襲われながら、ゆっくりとシャツのボタンを外す伊藤の指の動きに唇を噛み締めた。

 

 

 

抵抗を許さずに、思うがまま黒田を貪る伊藤は、それでも約束したように黒田の身体に情交の跡を残すことはしないようだった。
喉元に、胸元に伊藤の唇を感じるたびに引き剥がそうとする黒田を、却って楽しむようにわざと跡の付かない程度に歯を立ててみたりしていた。
そして、黒田の抵抗を感じたとたん、黒田をより深く突き上げ、悲鳴をあげた黒田の手が緩むのを待って振りほどくのだ。
力なく落ちた黒田の手が、身体の奥底に自分自身を刻み込むように蠢きつづける伊藤の動きにシーツをギュッと握り締める。
「まだだめ?何もカンジない?」
ふっと動きを止めた伊藤が、苦しげに眉を寄せる黒田の表情に目を奪われたように見惚れながら、早くなった呼吸を押さえて黒田の耳元に囁く。
「これで何度目だっけ?もう慣れても良い頃だろう?」
からかうような伊藤の言葉に、薄れていた黒田の意識が戻る。ぼんやりした視界の中に伊藤の姿を捉える。
「そういう顔も色っぽくてそそられるけどね…」
嘲笑するような伊藤の言葉が、黒田のプライドに刃を立てる。
「誰が…!そんな…!」
力無く伊藤の胸を押し返す黒田の抵抗を、伊藤は手首を掴んでシーツに押し付けることで簡単に封じた。
「そう?カメラの前では、あんなに挑発的な顔を見せてくれたのに」
意表を突く伊藤の言葉に黒田の動きが止まった。
「あれを観て、俺が何も思わないとでも思った?」
睦言を囁くように優しい声が響き、黒田は伊藤の言葉の意味を理解できずに、その顔を見上げた。
「何を…」
言葉を紡ぐ瞬間に、自分の中の伊藤を意識してしまう。本来なら、あり得ない形で繋がれた身体は、黒田にとっては恐怖のような苦痛をもたらしている。
「あ…っ」
突然伊藤が上体を起こして大きく動いた。自分の中を侵していたものが引き抜かれていく感触に、黒田は却って衝撃を受けて思わず声を上げた。
伊藤はその黒田の反応すら楽しむように見やりながら、ベッドサイドに手を伸ばし、リモコンを取り上げた。
部屋の片隅にベッドに向けて置かれているTVのスイッチが入り、砂嵐の画面が映る。ぼんやりと部屋の暗闇の中を照らした明かりが、次の瞬間音と映像を流し出した。
「…!」
映し出される映像が目に入り、黒田は思わず顔を背けた。
目を背けても音は耳に入ってくる。流れる曲も声も自分が作り出した物だった。
「どうしたんだよ、見慣れてるだろう」
リモコンをシーツの上に放り出した伊藤が黒田の身体を背中から抱きしめる。そして、背けた黒田の顔を手で掴むと画面に向き直させた。
「止め…!」
黒田は目を閉じて伊藤の手を振り切ろうと顔を振る。
「倫と一緒に見てみたかったんだ…」
耳朶を甘噛みするようにゆっくり愛撫しながら伊藤が囁く。
この曲を表現する為に作った映像。
だが、今、この状態で見るには皮肉過ぎた。
自分を抱く自分。
似て非なる今の状況。
「皆に見られて感じた?皆はどんな目で倫を見ていたんだろうね?」
黒田の受けた衝撃を更に煽るように伊藤は重ねる。
「ね、俺がこれを見た瞬間、どんな気持ちだったか分かる?…テレビの画面を叩き壊したかったよ。でも、体が動かないんだ。眼が離せなくて…体の芯から熱くなって…」
熱っぽく言葉を紡ぎながら、伊藤は言葉通り熱くなったままの自分の証を再び黒田の奥深く沈めこむ。
「く…っ!」
痛みにシーツを掴んだ黒田が無意識に逃れようとするようにベッドをずり上がろうととした。
「でも、今なら判る。あんなの、みんな嘘だね…。本当の倫の表情はここにしかない…」
黒田の身体の正直な反応を満足そうに眺めた伊藤が、黒田の腰を引き寄せた。
「俺だけのものだ…」
狂気を孕んだ声とともに黒田は全身を抱きこまれた。
逃れる事のできない束縛は、肉体だけではなく精神もなのかもしれない。
苦しさに早くなる呼吸に悲鳴のような声が混じりそうになる。黒田はそれを自分に許せずに唇を噛んで飲み込み、ただただ、伊藤が欲望を吐き出し、この責め苦のような時間が終わるのを待った。
伊藤の律動が早まり、伊藤を受け入れた場所を更に押し広げられた。
それと同時に痛みに萎えていた黒田自身に伊藤の指が絡みつく。前への愛撫にわずかに身体の強張りが解けていく。それを感じ取った伊藤は黒田の最後を促すように一点を突く。もう伊藤には知られている箇所を強引に弄られ、無理やり快楽の高みに追い上げられる。
目を開けると掛け流されたままの映像が目に入り、黒田はまた目をぎゅっと閉じた。伊藤に犯されている自分を鏡で見ているような錯覚に襲われ、嫌悪に喚き出しそうだった。
伊藤の愛撫に昂ぶる身体が、心だけ置いて行く。
黒田はその刺激に耐えられず自分を解き放った。痙攣するように硬直した身体は、飲み込んだ伊藤をも締めつける。
「ん…」
伊藤が耳元で低く声を漏らすと熱い欲望を黒田の中に放ち、黒田は内臓を押し上げる衝撃に、意識を手放した。

 

 

 

軽い失神状態から引き戻したのは、自分の身体に触れる手の感触のだった。
「ああ、目が覚めた?」
伊藤が黒田の頬を撫で下ろしながら、顔を覗き込む。
微笑む伊藤は、最前まで黒田を苛んでいた事など知らないかのような表情で黒田を苛立たせた。
身体を起こそうとして、黒田は自分の身体から流れ出すものの感触に凍りついた。
身体の中から汚れていく自分を思い知らされるような白い液体。
黒田は、無言で伊藤の手を振り払うと、軋むように痛みを訴える身体を無理やり起こしてバスルームへ向かった。
シャワーをいっぱいに開き、熱い飛沫を頭から浴びる。身体に残る伊藤の跡をすべて洗い流したくて、神経質なほど体の隅々までボディーソープを泡立てて洗う。
そうしながら、どこにも伊藤の跡が付いていない事を確かめる。
はめ込みの鏡に映る自分の体を見知らぬ物のように妙に冷静に調べる自分が居た。
そんな自分の滑稽さを嘲笑う。
だが、自分にはこの選択肢しか残されていなかったのだ。
このまま崩れてしまいそうな自分に言い聞かせる。そう思いながら握った拳が震えるのをどうすることも出来なかった。

 

 

きっちりと服を着こんで寝室に戻った黒田は、ジーンズだけ履いてベッドに横たわっている伊藤の元に近づいた。
「寄越せよ…」
出した声が掠れている事に気づいて、黒田は唇を噛む。
差し出した手を見つめる伊藤が苦笑を浮かべる。
「本当に、お前って…。話す言葉はそれだけなんだな…」
ため息をついて、伊藤はベッドから立ち上がると、オーディオセットの上に置いてあるCDのBOXを開けた。
その中から小さな四角の紙片を取り出した。
黒田の元に戻り、手のひらにそれを落とす。
奪い取るように掴んだそれを、黒田はライトの明かりに透かして確かめる。
四角の紙片は一コマに切り取られた写真のネガだった。
黒田を縛り付ける鎖そのもの。
写っている映像に見覚えのあることを確かめて、黒田はベッドヘッドにあった灰皿を引き寄せるとそのままネガに火をつけた。
薄暗い部屋に一瞬だけオレンジ色の炎が灯る。
その炎を食い入るように見つめていた黒田は、燃え切ったネガの黒い灰を見て、やっと身体の力を抜いた。
終わったのだ。今日は…。
これが、つかの間の自由であったとしても、解放される安堵に黒田は吐息をついた。
だるい身体を叱咤して立ち上がると、黒田はコートを取って部屋を出ようと背を向けた。
その身体を抱きとめるように、背中から伊藤の腕が回る。
「離せ!」
その手を嫌悪するような激しさで黒田が振り払う。
「用が済めば、触られるのもごめんだってことか」
苦笑した伊藤が腕を下ろす。
「っつ!」
突然、裸足の指先に感じた感触に驚く。
膝まづいて、つま先に口付ける伊藤の姿がそこにあった。
「何す…」
「愛してる…」
顔を起こした伊藤が黒田を見上げて囁く。
硬直したように伊藤を見返えしていた黒田は、見詰める伊藤の瞳の色に気付いて顔をそむけた。
見てはいけないと思う。その瞳の宿す切なさを見てしまえば、自分はどうしたらいいのか分からなくなってしまう。
「俺は、お前なんか大嫌いだよ!!」
叫ぶと同時に、黒田は逃れるようにドアの方へ駆け出した。
「また、連絡する」
後を追うように掛けられた伊藤の言葉に、黒田は反射的に振り返った。
腕を組んで壁に寄りかかった伊藤が優しく微笑んだまま黒田を見送っていた。
「…どうして!」
泣き出しそうな胸の痛みに黒田は叫んだ。
「お前を愛してるから…」
当たり前のように答えた伊藤の姿に、黒田は絶望的な悲しみに襲われた。
「死んじまえ!!」
黒田は身を翻すと、二度と振り返らずに部屋を飛び出した。

 

Fin or To be continued…