IN THE NAME OF LOVE
桜
ベッドの上でシーツに包まり膝を抱え、黒田は眠りに就くことも出来ず、暗い部屋に浮かび上がるデジタル時計の数字が捲られていくのをじっと睨んでいた。
カシャリと軽い音がやけに響き、02:43の計時に変わる。
びくりと振るえた自分の身体をどうすることも出来なかった。
自分は怖がっている。それは変えようのない事実だった。
怖いと思っていた。
今にも玄関のドアを開けて訪ねて来そうな者を。
「どうして…」
黒田は抱えた膝に顔を埋めた。
現実とは思えない自分の身に起こった事を考える。
違うな…と黒田は小さく否定した。現実だと思っていたことがひっくり返されたのだ。
現実ならどれだけ幸せだっただろうと思う。
甘える事は許せないと言いながら、ずっと心の底から願っていた事。
自分の側らにやさしく包んでくれる腕がいつもあること。
一度知ってしまったやさしさを捨てられる強さは自分には無いのに、それでも現実は黒田の願いを否定していた。
カチャッと静まり返ったマンションの部屋に、ドアの開く微かな音が響いた。
はっとして黒田は顔を上げると部屋のドアを見詰めた。無意識に抱き締めた身体が震える。
リビングを抜け、部屋までの短い距離を歩く足音が聞こえる。もうすぐ寝室のドアを開けて入って来るはずだった。
「黒田?」
カチャリとドアを開けると同時に、長身の赤い髪の人影が様子をうかがうようにそっと呼びかけてくる。
その声のやさしい響きに、黒田は泣きたいような気持ちに襲われた。
「どうしたの?起きてたんだ」
暗闇でも黒田の様子が見えるかのように、危なげない足取りでベッドに近づいてくる。その見慣れた姿を黒田は確かめるようにじっと見詰めた。
「黒田…?」
ベッドの縁に腰掛けた重みで黒田の身体がほんの少し訪問者の方に傾いた。
くすりと笑った気配がして、伸ばしてきた大きな手に肩を抱き寄せられた。触れた掌の温かさに黒田は胸の痛みが強くなるのを感じた。
唇がそっとこめかみに触れた瞬間、黒田は耐えきれずにその胸に顔を埋めた。
少し驚いたように受け止めた腕が、黒田を包み、そっと髪を梳いた。その感触を感じながら、黒田は言わなければならない言葉を何度もためらいながら口にした。
「お前…、誰だよ…」
苦しさを吐き出すように呟いた黒田の精一杯の言葉に、言われた本人は怪訝そうな顔をした。
「誰って…、俺?」
驚いたように繰り返して、きょとんとした顔をする。
「誰って、黒田が一番良く知ってるだろう?」
一旦切られた言葉を、黒田は息を止めるようにして待った。
「伊藤賢一だろう」
何を言っているんだと言わんばかりの自然さに、黒田はぎゅっと伊藤のシャツを握り締めた。
「違う…」
搾り出すように呟いた。
「本当の伊藤は、今まだスタジオに居るはずだ…」
自分で言いながら黒田は嘘のようだと思った。
だが、伊藤のスケジュールは確認済みで、ここに居る事など有り得ないのだ。
「お前は誰なんだよ…」
疑いを掛けながら、黒田は握った伊藤のシャツを離せない自分を愚かだと思った。
クスクスと笑う声が黒田の必死の訴えを何でも無い事のように打ち消していく。
「なに言ってるの、お前。俺ならここに居るじゃん」
黒田の背に腕を回し、確かめさせるように伊藤が抱き締めてきた。暖かい確かな伊藤の胸に包まれながら、黒田は否定するように首を振った。
「本当の伊藤って、誰?俺ならここに居て、黒田を抱き締めてるだろう?」
黒田の様子に困ったように伊藤はその頬に手を添えて顔を上向かせた。
「黒田が会いたいって思った時に、側に居てやれないなんて、そんなのは伊藤賢一かな?」
言われた言葉に、黒田はどきりとした。
「仕事だからって、他の奴の隣りでギターを弾いてるなんて、やっぱりいけないよね」
愛しそうに黒田を見詰める伊藤の顔を、黒田は恐ろしいものを見るように見返した。
「ねぇ、黒田」
そう言った伊藤は、初めて部屋に現れたときと同じように優しい強引さで黒田の唇を塞いだ。慣れたように絡みつく舌に思考まで掻きまわされながら、黒田は目の前に揺れる赤い髪を見たくなくて目を閉じながら、伊藤が初めてここを訪れた時のことを思い出していた。
年の瀬も押し迫った頃、黒田はオフになるのを狙ったかのように風邪をひいて寝込んでいた。仕事に支障が出ない事が不幸中の幸いと言えるのかもしれなかったが、ようやく取れた休日をベッドの上で過ごさなければならないのは苦痛だった。
お見舞いを兼ねて、食料を調達してくれた友人達が帰ってしまうと、淋しさと人恋しさが黒田を苛んだ。体調が悪いと気弱になるのは誰でもなのだろうが、一人という孤独感は熱でぼんやりした思考を侵していった。
誰かに側に居てほしいと、思う気持ちだけが頭を占めていく。
会いたいと思う人と会わなくなってどのくらい経っただろう。
一緒の仕事でなくなることが、これほど二人の間に距離を作るとは思わなかった。じょじょに広がる溝は二人が覚悟していたよりずっと深いものだった。
会いたいと思ってもスケジュールのすれ違いは大きかった。
黒田は留守電に変わった携帯を握り締めながら、熱でだるくなった体をベッドに横たえた。
閉じた瞳から熱いものがこみ上げてくる。睫を伝わる雫に気付いて両手で顔を覆った。こんな事で泣くなんて、きっと熱で涙腺が緩んでいるからだと黒田は自分に言い訳をした。
風邪の苦しさが感情の歯止めをゆるくする。
いつもは心の底に埋めている我侭な感情が叫び出す。
「なんで、ここに居ないんだよ…」
両手で握り締めた携帯を熱で痛む額に押し付ける。
閉じた瞳からまた涙が零れ落ちた。
一度たがが外れると崩れるのは簡単で、唇を噛み締めながら涙が流れるままにまかせた。心の痛みを癒せる術は他にないかのように。
泣き疲れて眠ってしまえばいいと思った。一人の長い夜を越えるために。
黒田がやっと落ちた苦しい眠りを覚ましたのは、少し冷えた、それでも優しい手だった。
熱い額に触れた冷たい感触が心地よく、無意識に手を伸ばしてその存在に気が付いた。自分が掴んだものが人の手であり、その手の持ち主が、じっとベッドの側らに膝をついて自分の顔を覗き込んでいた事に。
「伊藤…」
驚いて呼び掛けたつもりの声は掠れてかすかな声しか出なかった。
「ごめん、起こした…?」
心配そうに伺う伊藤の姿をみとめた途端、黒田の中で何かが弾け飛んだ。
「伊藤!」
黒田は声を出すだけで痛む喉も、ふらつく身体もかまわず身体を起こして伊藤に抱きついた。
「伊藤…!」
他の言葉は出なかった。きりきりと胸が痛み、瞳からさっきまでとは違う熱い涙が溢れ出した。
「遅くなってごめん」
背に腕を回した伊藤が黒田の耳元で謝罪の言葉を囁くのに、黒田は首を振って応えた。今までの事など何も関係なかった。今ここに伊藤が居てくれることだけが、黒田の心と身体の痛みのすべてを癒していた。
身体を離し、伊藤が心配そうに様子をうかがって黒田の頬の涙を指でぬぐう。黒田はその手を取ると頬に押し当てた。
「黒田、具合は…」
黒田の身体に力の入らないような危うげな様子を心配して伊藤が黒田をベッドに横たえようとする。黒田はやっと会えた伊藤から少しでも離れたくなくて、伊藤の背を抱き寄せた。
「黒田…!」
黒田を潰してしまわないように両手を黒田の両脇について支えた伊藤が焦ったように黒田の名前を呼ぶ。
両手を伊藤の髪に差し入れ、黒田は伊藤の頭を抱き寄せた。自然には有り得ない綺麗に染められた赤い髪。彼ほどこの色が似合う者を知らなかった。
唇が触れるほど近くで向きあって、黒田は久しぶりに触れあえた伊藤を見詰めながら、また涙が滲んできたのを感じた。
「どこか苦しい…?今日は涙もろいね、お前」
困ったように笑った伊藤が、一瞬苦しそうに視線を外した。
「お前のせいだよ…!」
伊藤の言葉に黒田は悔しさを感じながら叫んだ。今日だけだからと自分に言い訳して、いつもなら言ってはいけない言葉を叫ぶ。
「お前が居ないから!側に居ないから…!」
涙が溢れるのもかまわず、黒田は伊藤を見つめつづけた。辛そうな顔をした伊藤を見て、はっと我に返ったが口に出した言葉は戻せない。ましてや、心からの本音だった。
長い赤い前髪の向こうで見詰める瞳が伏せられて、二人の距離を無くすように唇が重ねられた。
「会いたかったよ、俺も。ずっと。会いたくて会いたくて、おかしくなるくらい…」
「伊藤…」
その言葉の嬉しさよりも、黒田は伊藤の思い詰めた表情に声を飲んだ。
「これから黒田の側にいつも居るから。だから笑っていてくれよ」
黒田は伊藤の言った言葉に驚きを隠せなかった。
自分と同じく守れない約束は嫌いな彼だった。だからお互いの活動を始めるためにバラバラになった時も、その言葉はタブーとして二人の間で口にされなかった。
「嘘だ…。無理だよ…」
望んでも信じられない言葉では、辛くなるだけなのは分かっていた。黒田はそんな言葉なら要らないと思った。
「嘘じゃないよ。俺は、黒田が会いたいと思った時にはきっと側に居るから。だから、笑っていてくれ。黒田は黒田でいてくれよ」
黒田は伊藤の、否を言わせない視線に捕まった。
たとえいつか、裏切られても後悔はしないと思えた。
黒田は答えを待つ伊藤を真っ直ぐ見詰め返して頷いた。怖いほど真剣だった伊藤の表情がふわりと優しい笑みをのせた。
「ありがとう…」
微笑んだ伊藤が抱き締めてきて、黒田は口付けで応えた。
久しぶりの情交は甘く熱かった。
熱で敏感になった肌には、伊藤の施すどんな愛撫も甘美だった。
体調の悪い黒田の身体を気遣って最後までをためらうような伊藤を、黒田は自ら身体を開いて抱き寄せた。
意識が飛びそうな黒田の耳元に繰り返し、伊藤が囁く声がしていた。
「黒田、黒田。俺を呼んでくれよ、会いに来るから」
ガクガクと身体を震わせて、黒田は必死で伊藤に頷いていた。
噛みつくような口付けを交わしながら、身体の奥に伊藤の熱さを感じた瞬間、黒田は伊藤の名前を呼びながら涙を零していた。
翌朝、深い眠りから黒田が目覚めた時にはすでに伊藤の姿はなかった。一言もなく帰ってしまった伊藤に淋しさを覚えたが、忙しい仕事の合間をぬって会いに来てくれたはずの伊藤の言葉と身体で確かめ合った約束が、黒田の心を暖めていた。
そして、約束をした日から伊藤はその言葉を守りつづけた。
約束を貰ったからといって、黒田自身も甘える事は自分に対して許せなかったため、会う機会はそう多いものではなかったが、会いたいと口にしなくても時々黒田の心の声が聞こえたかのように姿を表す伊藤に、黒田は救われていた。
「不思議だね、お前って俺の声が聞こえるみたいだ」
作詞で煮詰まって、1人部屋で閉じこもる日が続いたある夜、ふらりと訪れた伊藤に黒田は言った。
「みたい、じゃなくて聞こえるんだって。黒田の声だから、どこに居ても」
そう言って笑った伊藤の肩にもたれて、黒田はほんの少しの間、羽を休める場所を得るのだった。
きっとこの場所と時間を無くしたら自分は自分でなくなるのではないか、そう思うほど、一度得た伊藤との新しい絆は黒田にとって大切だった。
だが、その優しい時間はあっけなく崩れる危ういものだった。
雑誌の取材と撮影でとあるスタジオに行った時だった。偶然、隣りでキンヤが撮影をしていた。
「わぁ、黒田さん、お久しぶりです!!!」
相変わらず元気なキンヤが子犬のように懐いてくるのが嬉しかった。顔のラインが少し大人びて離れていた時間を感じた。
「元気そうだな」
「黒田さんも」
黒田は、にこにこして瞳を覗き込んで来るキンヤの顔を見ながら、プロデューサーである伊藤を思いだし、ほんの少しの後ろめたさを感じて、そんな自分に苦笑した。
そんな黒田に気付かず、新曲のプロモーションだというキンヤが、先週までのレコーディングの話を始める。
相変わらずのタイトなレコーディングでスケジュール的にきつかったらしい。身に覚えがありすぎて、聞きながら黒田は笑ってしまった。
「最後の日はスタジオを出た時には外が明るくなってましたよ」
そう語るキンヤの頭をよくやったとポンポンと撫でてやる。照れたように笑ったキンヤが鼻の頭を掻く。
「でも、僕なんてそれで開放ですけど、浅倉さんや伊藤さんはその後もあるし、僕のレコーディングの他に自分のユニットの音入れもあったし、先週なんてほとんど泊まりこみでしたもんね」
何気ないキンヤの一言に黒田は引っかかった。僕が甘えるわけにいかないですよね、と笑うキンヤの声も黒田の耳を素通りした。
先週の水曜日、時間が出来たからと訪ねてきた伊藤は、レコーディングで填まって抜け出せなくなっていた黒田を抱き締め、朝方までずっと側に居てくれたのだ。
「先週って、オフの日あったんじゃ…」
思わず問いかけて、慌てたように黒田は言葉を飲み込んだ。
「え?オフなんてとんでもないっすよ」
「そうだよな…」
当然の事のように応えるキンヤが、黙り込んだ黒田を不思議そうに見つめた。その視線から逃れるように黒田は、時間だからとスタジオをあとにした。
帰りの車の中でも、キンヤが言った言葉が黒田を捕らえて離さなかった。
1日くらい早くあがった日があったのかもしれない、そう思おうとしてもどうしても思いこめない自分がいた。
それは、今まで気付かないふりで誤魔化してきた伊藤に対する疑問を、目の当たりにされたからかもしれない。初めてマンションを訪ねてきた時から不思議だった。
あの時、玄関の鍵は開いていたのだろうか…。
どうして、いつも黒田が会いたいと思った時にだけ現れるのか…。
すべては偶然だったのだろうか。
「なに考えてんだよ、俺…」
馬鹿馬鹿しいと、自分が填まりはじめた考えを無理に笑って否定する。偶然に決まっていると言い聞かせなければ考えてはいけない事に辿りついてしまいそうだった。
部屋に戻り、らぴの相手をしながら食欲の失せた黒田は、コーヒーだけ淹れると床に座り込み何をするでもなく積まれた音楽雑誌を取って捲りはじめた。
自分の記事を掲載している雑誌が数誌。
内容を見ようとして開いた瞬間、黒田は凍りついた。
意識しなくても眼に飛びこむ、伊藤の新ユニットのフォトグラフ。並んで写る2人は、黒を基調にしたスーツで、そして伊藤はストレートの黒髪の向こうで微笑んでいた。
「あ、あ…」
バサリと雑誌が落ちるのも気付かず、黒田は叫んでしまいそうな自分の口を押さえた。
黒髪。
自分のもとを訪れる伊藤は赤い髪だった。
気付きもしなかったと黒田は思った。自分にとって、それほど伊藤の赤い髪は自然だったのだ。
いま抱き締めている赤い髪。
これは幻なのだろうか。
自分を抱き締めている伊藤自身も。
苦しさに涙が溢れてくる。
2人で居るのに、これでは唯1人で思い出をを抱き締めているのも同じだった。二人でいつもいられた時。それはもう既に過去のものでしかないのだと思い知らされるようだ。
「黒田…。俺を見て。俺はここに居るだろう」
抱き締める伊藤の腕に力がこもり、俯く黒田の唇を掬うように唇を重ねてくる。自嘲に顔を歪めながら、黒田は求めてくる伊藤の舌に薄く唇を開いて応えた。
「黒田」
ゆっくりと床に黒田を組み敷きながら、伊藤は喉元から胸に唇を滑らせていく。胸の上で止まった唇が痛いほど吸い付いて跡を残す。
思わずその頭を抱き締めた黒田は、涙でくぐもった声で問いかけた。
「お前は、俺が見ている幻なのか…?」
ビクッとして伊藤の動きが止まる。身体を起こして黒田と向き合う。
「俺が望むから、前と同じ赤い髪で現れるのか…?」
一瞬の沈黙の後、伊藤が首を振った。
「俺は、黒田が作り出した幻なんかじゃない。伊藤賢一だよ、本当の」
「違う!!」
聞きたくないというように叫んだ黒田を押さえつけて、伊藤は言い募った。
「黒田に会いたくて、会いたくて。抱きたくて。でも、出来なくて!苦しくて…!」
切るように真剣な眼に黒田は一言も発する事もできず、自分を戒める伊藤の手の痛みだけを感じていた。
「でも、ある日突然、黒田の声が聞こえたんだ。俺を呼んでいた」
どきりとして黒田は伊藤を見返した。
「どうしても会いに来なきゃいけないって思った…。無理だって、諦めた自分が俺は許せなかった。どうしても嫌だって思った。そう思ってスタジオを飛び出した瞬間、俺は黒田の部屋に居たよ…」
伊藤の話す言葉を信じられない思いで聞いていた黒田は伊藤を見返すだけだった。
「お前が呼んでくれたから、俺はここに居られるんだ。だから疑ったりしないでくれ。でなければ、俺は…」
すがるような眼をした伊藤に一片の嘘も感じられなかった。
ここに居るのは、黒田だけを想う伊藤なのだ。
黒田が会いたい時に側に居てくれる、愛しい存在。
でも…。
黒田は叫び出したい苦しさに顔を覆った。
そんな都合の良い恋など有り得る訳がなかった。ましてや、黒田に会いたくて会えずに苦しんでいる伊藤が、現実に居るのであれば。
「違うよ…。お前は伊藤じゃない…」
「黒田!」
伊藤が責めるように叫んだ。それを聞きたくなくて黒田は耳を塞いだ。
「俺は俺だよ!誰よりもお前を愛してる!」
言葉を証明するかのように、伊藤の手が止めていた愛撫を再開する。身体が覚えこんだ伊藤の手と唇。それは今も前も変わらない。
目の前の伊藤が言っていることは本当なのかもしれない。
だが、伊藤の言う事を受け入れて、甘えてしまえば、きっと自分はもう2度と現実の伊藤に会う資格を無くすのだ。
いつも対等でいたい相手だった。ライバルでありたいと思った。
自分に会いたくて会えない事が辛いのなら、その辛さを自分も同じく背負わなければいけないのだ。
抱き締められ、快楽に息が熱くなっていく。
自分が辛かった時に救ってくれた目の前の伊藤を本当に愛しいと思う。けれどそれを自分に許す事は出来なかった。
これが最後だからと、心の中で思う。
開かれた脚の間に伊藤の熱さを受け入れ、黒田は衝撃に背を仰け反らせながら必死で伊藤の背にしがみついた。
突き上げられるたびに自分の中に感じる伊藤との境がなくなり、一つになっていく。このままずっと居られればと思う自分が悲しかった。
苦しい態勢で、黒田は伊藤の首を抱き寄せて、自分から深く口付けた。
「愛してるよ…、お前も、あいつも。だから、伝えて…、会えるまで待つからって…」
苦しい息の下で言葉にした想いを、伊藤は泣きそうな表情で聞いていた。
「黒田…!」
抱き締める腕が、黒田を引き寄せ、深く黒田を抉り2人の最後を促した。
「きっと会いに来るから…」
体内に吐き出された熱い衝撃に薄れる意識の中で黒田は耳元に囁かれた言葉を心の中に刻み込んだ。
明るい光の中で1人で目覚めた黒田は、無意識の中で隣りをさぐり、冷たいシーツの感触に夕べの出来事を思い出した。
「あ…」
ぽたぽたと涙が両頬を伝った。
無くしてしまったものの大きさを、痛いほど感じながら、それしか出来なかった不器用な自分が悲しかった。
(きっと会いに来る…)
囁かれた言葉だけを抱き締めて、会える日を待つのだろうか。
一度あたえられた優しさは、無くせば倍の痛みになる。黒田は唇を噛んでその痛みに耐えた。
どのくらいそうしていたのか、ようやくふらりと立ち上がると、すべてを洗い流したくてバスルームへ向かった。
数歩歩いた黒田を携帯の着信音が呼び止めた。
事務所から定時の連絡が来る時間帯だった。
誰とも話したくない気分だったが、仕事に支障を来すわけにはいかなかった。
「はい…」
通話ボタンを押した黒田の耳に流れ込んできた声を聞いた瞬間、黒田はその場に崩れ落ちた。
「伊藤…」
携帯を握り締め、黒田はすべての想いを込めてその名を呼んだ。
END