Secret Garden

 

 

時計を見るともう午前1時を回っていた。

もう直ぐ草木も眠る丑三つ刻だ、と伊藤は思った。先程まで開催していた「ムー自慢」の事を思い出す。

浅倉も安部も、黒田さえも参加したイベントは、自由参加と言ったが、ほぼ参加者全員の出席で、自分も新堀も楽しんだ。イベント自体は、ファンクラブの女の子たちのきょとんとした顔が物語る内容だったが、自己満足の企画が実現しただけで充分だった。

エレベーターのボタンを押して待つ時間が、気が急いているためか遅く感じられる。

会場を出たときの黒田のぐったりとした様子が気にかかっていた。

イベント中の黒田は、風邪の為に熱っぽい顔をしていたが、喉飴を舐めながら最後まで付き合った。具合の悪そうな様子が気になったが、早く切り上げることは難しかった。

階下の新堀の部屋に寄って、ファイルを返してきた伊藤は、一緒に会場を出た黒田に少し遅れての部屋のある最上階到着となってしまったことが悔やまれた。

様子を見たかったのだが、もし眠っていたら起こすのは気の毒だ。

そんな事を考えているうちに、軽い振動とともにエレベーターが停止しドアが開いた。カードキーのナンバーを確認しながら廊下に出た伊藤は、廊下の壁に寄りかかって座りこんでいる黒田の姿を認めて、一瞬凍りついたようになった。

「黒田!」

心拍数が一気に上がったのが自分でも分かった。駆け寄ろうとした足が縺れそうだった。黒田の横に膝をついて肩を掴んで、ぐったりと目を閉じて頭を落としている黒田を気遣いながら揺さぶって声を掛ける。

「…騒ぐなよ…。頭に響く…」

伊藤のするままになっていた黒田が、億劫そうに眼を開けて顔を上げた。話す声が掠れて苦しそうだった。熱に潤んで充血した瞳に捕らわれそうになった自分を伊藤は叱咤した。

「なに、言ってんだよ!こんな寒い中、ずっとここに座ってたなんて…」

「ちょっと、眼が回ってさ…」

まただるそうに目を閉じそうになった黒田を、伊藤は慌てて肩を抱いて支えると立たせた。伊藤は黒田の腕を肩に回させて、引っ張るようにして歩き出し、黒田の手からカードキーを取り上げ、伊藤の奥隣にある黒田の部屋の鍵を開ける。

ジュニアスイートの部屋は、伊藤の部屋と作りは同じで、寝室を開けると黒田をベッドに横たわらせた。ジャケットを脱がせ、片足を抱えてブーツも脱がせようとすると黒田が嫌がって身を捩った。

「やめろって…!」

「いいから、さっさとベッドに入れよ!」

伊藤は有無を言わさず黒田の両足からブーツを取り去ると毛布の中に押しこんだ。

「シャツも脱いだ方が…」

「自分でやるから…!」

ボタンに指を掛けた伊藤の手を払いのけて、黒田は自分でシャツを脱ぐと片付けるのも面倒だというように、そのまま床に落としてしまった。伊藤は、そのシャツを拾って椅子に掛けた。

ようやくベッドに横になった黒田は、深い息をついて目を閉じた。伊藤はその様子を眼で追いながら、白さを通りこして青白くなった黒田の顔色が心配になった。閉じた目の下の陰は長い睫のおとしたものではなかった。

「風邪…?薬は飲んだ?」

「さっき、夕食の時に…」

眼を閉じたままの黒田は、伊藤に答えるのも億劫そうで、話しかけるのもかわいそうになる。

ドレッサーの椅子をベッドの横に運び、腰を下ろして、伊藤は黒田の顔を覗きこむ。

伊藤は、回りを見回してバスルームのドアを見つけると立ち上がった。中に備え付けられたハンドタオルを水で濡らすと、黒田の元へ戻る。

前髪を掻きあげ、額にタオルを乗せた。触れた額は熱く、黒田がかなり我慢をしていたのだと改めて思った。

「…悪い、ありがと…」

閉じた瞼まで覆うタオルを少し上げるように直しながら、黒田が掠れた声で呟いた。

「あんなに自由参加って言ってたくせに、無理して付き合うから…」

「…だって、少しでも皆と居たいじゃんか…」

苦笑した黒田の想いが分かりすぎるほど分かる伊藤は、胸に痛みを感じた。

「黒田…」

一緒にいたいというみんなの中に、自分は含まれているだろうかと、伊藤は思った。

伊藤は水に浸した為に冷たくなっている手で黒田の頬に触れた。発熱で熱くなっているのが分かる。

「冷たくて気持ちいい…」

ぼんやりした口調で呟く黒田の口元から目が離せなくなっていた。顔色の悪さと反比例して、熱のあるのを伺わせる紅く染まった唇。

「なら、ずっとこうしてようか?」

なかば本気で答えた伊藤の返事を聞くと、黒田が微かに笑った。

「バーカ…、もう大丈夫だから。帰れよ部屋に」

黒田は伊藤の手を掴んで頬から外した。その手を掴み直して伊藤は黒田の手の甲に唇を寄せた。

「いいだろ、ここに居ても」

答えるのを迷うような間が開いて、黒田がわざと何気ない声を作った。

「…ここに居るの、ばれたらマズイだろ…?」

誰に…?伊藤はそう聞きたくなったのを堪えた。

「なんで?構わないさ…」

言いきった伊藤は、黒田のタオルをもう一度冷やしに立ち上がった。眼を閉じた黒田の額にタオルをのせる瞬間、黒田が僅かに顔を背けたのを感じた。

「黒田?」

問いかけた伊藤の声に反応して、黒田の体が強ばる。

「…帰れって」

「…なに言ってんだよ」

かたくなな黒田の態度に、伊藤は黒田の腕を掴んだ。その手を黒田がパンっと音を立てて振り払った。

「黒田?!

「もう優しくなんてするなよ…!俺、これから一人でやってかなきゃいけないのにっ!」

叫んだ黒田が毛布を巻きつけたまま、反対側の壁を向いてしまった。

「黒田…」

行き場を失った手を握り締めながら、伊藤は余分な肉など欠片もない薄い黒田の背を見詰めた。

夜のライブで涙で歌えなくなった「Dear My Friend」。よくもち直したと思った。その後、笑顔を見せたけれど、黒田の中の葛藤は強かった筈だ。

「もう、人に頼っちゃダメなんだから…!」

自分に言い聞かせるように言葉にする黒田の姿が頼りなげで、手を伸ばして抱きしめたくなる。

「お前が、決めた事だろう…?」

「そうだよ!俺が決めたんだよ!でも…!」

振り返って伊藤の眼を睨むように見つめる黒田の眼が、涙を滲ませていた。

 

 

 

IM活動停止。

下された決定に反論をできる筈もなかった。

できることといえば、それを受け入れた上での自分の身の振り方だけだった。

浅倉とMADSを続けながら、ギタリストとしてのスタンスを貫く事を選んだ伊藤と、もう一度1から始める事を選んだ黒田。

「仕方ないじゃないか…。歌いたいんだよ…俺…」

「…分かってるよ」

お互いに選んだ道を理解していた。多分、他の誰よりも自分たち2人だけが分かり合えている。それは分かっていた。

だが、頭での理解とは別の次元で納得できずにいる自分がたしかに居た。

どうして…と何度も繰り返した言葉を、また心の中で繰り返す。

なぜ離れなければいけないのか

「…誰の後ろでギターを弾くの?」

呟くような声が伊藤の耳に届く。活動停止の話しが出てから初めて聞く黒田の弱音だった。

「伊藤くんのヴォーカルは…どんな奴…?」

くぐもった言葉が途切れて、泣き出す衝動を耐えるように黒田の背が大きく波打った。

「黒田!」

抑えきれず、伊藤は黒田を背中から抱きしめた。

嫌がって伊藤を振り解こうとした黒田も、しばらくすると諦めたように大人しくなった。

「嫌なんだ…こんな風に考える自分も、誰かを恨んでしまいそうな自分も…。でも…」

黒田が漏らす心にしまっていた筈の言葉が吐き出されるたびに、切なさが響いて、伊藤は黒田の首筋に顔を埋めた。

「初めて言ったな…。ずっと、何も言わないから、俺は…」

「言える訳ないだろ…!こんなのは自分の勝手で…。今だって言いたくなんかなかったのに…!」

悔しそうに唇すら噛む黒田の自分に対する厳しさが、伊藤を切なくさせた。

どこで道が間違ったのだろう。それとも、これすらも『彼』の予定の中の一部だったのだろうか。彼によって出会った自分たちは、別離さえも彼の采配のもとで行われていくのだろうか。

彼は、二人の性格を分かりすぎるほど理解している。自分と黒田にとっての音楽というものの価値がどれほどのものであるか知っていて、今回の話しを持ち出したのだ。

二人がそれぞれ出した結論を、当然のように受け止めた彼の態度を思い出すたびに畏怖すら覚える。

こうやって歩んできたであろう、彼の過去が見えるようだった。

「言ってくれよ。ずっと、聞きたかったんだ」

「勝手なこと…。自分は何も言わないくせに…!」

伊藤は黒田の身体を自分のほうへ向けなおして、涙が滲む顔と見詰め合った。黒田の眉が寄せられて、苦しげに目が伏せられた。

黒田と話し合わなかった訳ではない。ショックを隠せないでいた黒田は終始無口で、何度目かに会って、飲みに行ったときに「歌を続けたいんだ…」とだけ言った。

『誰と?』そう問いたくなった自分を、伊藤は無理やり抑えこんだ。

そうか、と答えた伊藤の中で、黒田の出した結論によって、一つの決定がされた。

『彼』が持ち出した「解散ではないから」という言葉。それにしがみ付く自分の執着を、伊藤は笑った。

「言ったら、お前が困るだろう…?」

伊藤の言葉に黒田はようやく視線を上げて伊藤を見返した。

「…何を…」

黒田への執着すら『彼』の予定内だとしても、伊藤はどうしても黒田を手放せない自分を知っていた。黒田が同じように考えていようがいまいが、それは関係がなかった。

「あの時、お前を離さないって言っていたらお前はどうした?」

思いがけない伊藤の問いかけに、黒田が意味を理解できないというような瞳を向けた。

「どうって…」

口篭もった黒田の答えは伊藤には分かっていた。迷い悩むだろうが、歌を歌うことを選んだはずだ。分かりきったことで、もうすでに充分に傷ついていた黒田の負担になりたくなかった。

「…俺、歌っている黒田が好きだよ…」

「伊藤くん…」

たぶん、言葉としては初めて聞くであろう伊藤の告白に、黒田が驚いて目を見開いた。

「いいから、聞けよ!俺、黒田を歌わせる為ならなんでもできるから…」

黒田の額にかかった乱れた髪を梳きながら、伊藤は真剣な眼で言葉を続けた。

「お前が他の奴の曲を歌っても、他のギターとライブをやっても構わないんだ…」

伊藤の言葉に黒田が痛みを覚えたように唇を噛む。

「お前が帰ってくる場所が、俺のところなら」

「いと…」

驚いたように黒田は伊藤の顔を見詰めた。

「また一緒にやるために離れるんだろう?俺がここにいる限り、ヴォーカルはお前で、ここはお前の場所なんだから!」

叫ぶように告白する伊藤に黒田は動けなくなる。

伊藤の言葉の意味するものが、黒田の中に沁みこんで、心の奥で冷たく固まっていたしこりを溶かしていくようだった。

なにも言わずに黒田の頬に零れ出した涙を、伊藤は指先でぬぐった。見降ろす黒田の姿を眼に焼き付けたいと思いながら見詰めた。どんな事でも見逃したくないほど彼に捕らわれている。

「黒田の後ろでギターを弾いて良いのは俺だけだろう?」

そうでなければ、自分が残った意味がない。黒田の答えを待ちながら、伊藤はそう思った。

「…バカだ…」

微かな声と同時に、黒田の腕が伊藤の首に回されて抱き寄せられた。胸の鼓動が重なる近さで抱き合って、互いの暖かさに癒されていく。

「…どうしてこんな我侭も許すんだよ…」

「我侭なんかじゃないだろ…」

自由に飛び立とうとしている黒田の足枷になりかねない、自分の執着こそがわがままなのだろう。だが、否応なく流れ始めた時間の中で伊藤が考えて出した結論だ。

奪われたものは、取り返す。

自分に力が足りないなら、それを手にしたいと思った。

「俺が、離せないだけだ…」

 

 

 

 

どちらからともなく重ねた唇が深く合わさっていく。こんな風に触れ合うのも久しぶりだった。活動停止の話が出てからは、互いに触れ合う事を怖がっていたのかもしれなかった。

馴れ合う事はできなかった。だからといって離れる事も。

触れる唇の柔らかさから、肌の熱さから、身体の奥から欲望が突き上げてくるのを、伊藤は感じた。

口付けを重ねて、唇に触れた舌で黒田に口を開くよう促す。黒田が躊躇いがちに薄く開いた唇の中に舌を滑りこませて、黒田の中を思うがまま感触を楽しんだ。

「ん…っ」

黒田が伊藤を押し返すように抵抗し始めて、伊藤は名残惜しげに黒田を開放した。

「…ダメだって…風邪がうつるから…」

「かまわない」

黒田の生真面目な抗議は、逆に伊藤を煽るだけだったが、黒田の息苦しそうな様子を見て、さっきまでの黒田の具合の悪さを思い出した。

「あ…。ゴメン…、大丈夫か?」

夢中で貪った唇が、唾液で濡れて紅く染まっている。熱で潤んだ目が困ったように伊藤を見上げていた。

「頭ん中、グラグラしてる…」

だるそうな黒田の口調と仕草に、伊藤は慌てて身体を起こした。

「悪い…!」

「…熱くて、苦しくて…。だから、直してくれよ…」

「く、黒田?!」

驚いて名前を呼ぶ伊藤を見て、熱のせいではなく、紅く染まった黒田の顔が困ったように笑った。

「このままじゃ、眠れないよ…」

伊藤の頭を両手で掴んで引き寄せた黒田が、唇に触れる近さで囁く。

「人にうつせば、風邪って直るんだろう?」

黒田の不器用な誘いの言葉に伊藤は胸を締めつけられるような思いを味わいながら、答えの代りに唇の僅かな距離を消した。

 

 

 

「く…っ。ん…」

脇腹を撫で上げた伊藤の手の動きにつれて黒田の背が弓なりに反り、押し殺した声をあげる。目の前に差し出された胸の紅い飾りに伊藤は誘われるまま舌を絡め軽く歯を立てる。

「あ…っ」

伊藤の与えた刺激を耐えるように黒田の手がシーツをギュッと握り締め、深い皺を作る。黒田の細く長い足の間に体を割り込ませた伊藤は、両脇で引きつるように震える足に手を掛け、そっと右足を立てさせた。

陽に晒されることのない白い腿に、嗜虐的な感情を描き立てられる。腿の内側を舌で舐め下ろしていき、ところどころにきつく吸いついて所有の紅い痕を残す。その度に跳ねるように反応を返す黒田にますます煽られるようだった。

もう充分に熱くなっている黒田の中心が、伊藤の手を待ちわびているのを知りながら、伊藤は触れるのを惜しむように手を出さなかった。

「や…っ。もう…」

黒田が耐えられないというように、伊藤の肩に手を伸ばし爪を立てた。

「遊んでんな…よっ」

「つっ…」

痛みに顔を顰めながらも、伊藤は黒田の抗議を無視しつづけた。久しぶりに触れた黒田の身体の全てを愛して自分のものだと確かめたかった。

「い…と…」

黒田の声が悲鳴めいた色を帯び、伊藤はゾクリとする。黒田の手が伊藤の髪に差し入れられ、向き合うように引き寄せられる。快楽に酔った瞳に捕まったと思った。

「黒田…!」

貪るように接吻を交わしながら、手を黒田の中心へ伸ばし、熱く震えるものを愛撫する。

「んん…っ」

やっと与えられた刺激に、敏感になった黒田の身体がビクリと過剰なほど反応を返す。伊藤はその全てにあおられ、喉元に噛みつくと、そのまま胸から綺麗に筋肉のついた腹へと唇で辿った。手で愛撫をされて熱く張り詰めたものに近づくと、周りの柔肌に歯を立て黒田が甘い悲鳴を上げるのを楽しんだ後、ゆっくりと飲み込んだ。

「ヤ…っ!」

舌で唇で包まれて黒田の身体が与えられた快感に身悶える。押し開いた腿を押さえつけて愛撫を続ける伊藤は、限界が近づく黒田の反応にほくそえむ。

「だめ…だって…きょ…はっ…!」

黒田が苦しい息の下で、伊藤の髪を掴みながら必死に訴える。それを邪魔そうに振り解いた伊藤は、最後を促すように強く吸い上げた。

「あ…っ!」

耐えきれずに達した黒田のものを飲み下して、伊藤はようやく体を起こした。シーツに沈み込んで胸を喘がせている黒田を見下ろし、そのゾクリとするほど扇情的な様子に吸いこまれるように身体を重ねた。

「黒田…」

抱きしめ、背に回した手を背筋に沿って撫で下ろす。双丘の間に忍ばせた指で黒田の入り口を探る。

「い…っ!」

ゆっくりと人差し指を指しこんだ伊藤は、びくっと痛みに黒田の身体が跳ねあがるのに手を止めた。黒田の中は熱く狭く、一本の指でも苦しげだった。

黒田の精神と同様に健全な身体は、いつもすぐに伊藤の影を消し去った。しばらく触れていなかった黒田の身体は処女の潔癖さで伊藤を拒んでいるようだった。

伊藤は、自分の熱さを持て余しながら、苦しげな黒田の様子に躊躇いを捨てきれなかった。

「…なんで、しないんだよ…」

ためらう伊藤の心を見透かしたように、黒田が掠れた声で囁く。

「…俺を欲しがれよ…。必要だって言えよ…」

「黒田…?」

黒田の普段では考えられない台詞に、伊藤は眼を丸くした。

「痛みの方がいいんだ、今は。身体に刻み込んだものは忘れないから…」

微かに笑う黒田が痛々しく、伊藤は唇を噛んだ。

「…お前がそんなだから、代りに俺が優しくしてやりたいんじゃないか…!」

伊藤には理解できないストイックさが黒田の行動の原点だった。それが時々黒田を苦しめているように見えた。

「なら、そうしろよ…」

緩慢な仕草で伊藤を抱き寄せた黒田に触れた瞬間、伊藤は全ての理性が弾け飛ぶのを感じた。黒田の首筋に噛み付き、両足を割って奥をこじ開ける。

黒田の悲鳴とともに苦痛と快楽の闇に落ちていった。

 

 

 

文字通り動けなくなった黒田の身体をお湯で絞ったタオルで拭いてやりながら、伊藤は白い肌に浮かび上がる紅の痕をそっと指で辿った。

自分だけの所有印。

これが消える頃、自分たちは別の道を歩き始めているはずだった。

伊藤は、そっと黒田の身体に負担を掛けないように抱きしめた。その壊れ物を扱うような伊藤の態度に黒田が笑った。

「大丈夫だって…」

その黒田の言葉を伊藤は信用できずに、様子をうかがった。

「俺、ほんとうに嫌な事は我慢なんてしないから…」

快楽主義者なんだ、と笑ってみせた黒田の顔は先までより余計に青ざめていて、言葉通りには受けとめられなかったが、伊藤の心を暖めた。

「このまま朝が来なければいいのに…」

そうすれば今のまま抱き合っていられる。

抱きしめた黒田の胸元に唇を寄せながら言っても仕方のない繰言を呟く。黒田の手が上がり伊藤の髪を撫でるのを感じて、伊藤は泣き出したいような感情に襲われた。

黒田の手を取って掌に接吻る。見下ろした黒田の顔を見詰めて囁いた。

「…今度は、誰にも知られないようにしよう」

「…え…?」

伊藤の意外な言葉を驚いて黒田は聞き返した。

「誰にも知られなければ、ずっとこうしていられる…」

伊藤に抱きしめられながら、黒田は伊藤の言外の意味を理解したように伊藤の背に回わした手に力を込めた。

刻々と近づく夜明けを畏れるように抱きしめ合いながら、止める事のできない時をお互いの瞳の中に見ていた。

 

 

END