shine
「今日はやられたな、キンヤに」
酔いにふらつく黒田の体を支えながら柴田が苦笑する。黒田は柴田の言った言葉の意味に嫌な顔をした。
恒例となりつつある今日のイベントのチケットを柴田が貰ったからといって黒田を誘ったのは2週間前の事だった。なんとかスケジュールを都合して土砂降りとなった生憎の天候の中、LIVEの会場に入ったのは開演直後だった。
B・パスも用意してくれたらしかったが、流石にそれは気が退けた。何より自分が客席からステージを見たかった。「彼」のLIVEを見るのが初めてだったからだ。一度も観に来いと言ってくれない「彼」に寂しさを感じなかったといったら嘘になる。気を遣っていてくれたのかもしれなかったし、実際行く事もお互いに難しい状況ではあったのだが。
扉を開けた瞬間に耳に流れ込んできた、初めて聴くのに身体に馴染んだ音。
身体の奥で何かが痛んだ。
もう、自分のものではあり得ない音。
だが、そんな感傷すら吹き消したのは、久しぶりに見る「彼」のプレイだった。
隣に居るヴォーカルの姿さえ目に入らなかった。
客席に投げる笑顔も相変わらず華やかなギタープレイもあの頃と変わらないはずなのに、自分が知っているものとは違う彼。
黒田には彼の中の空虚さが嫌でも見えてしまった。
「…帰る…」
「何言ってるんだ?今来たばかりだろ」
驚く柴田を振り切るように黒田は扉の外に滑り出た。廊下に出る直前、ステージから伊藤の視線を感じた気がしたが振り返る勇気は無かった。
「どうせ俺は言われなきゃ分からなかったよ…!」
ふてたように黒田が呟く。チケットを寄越したキンヤの意図は今日の伊藤を観て判り過ぎるくらい分かった。彼も伊藤の変化に気付いていたからだろう。
「そういえば、キンヤに一言も無く出ちゃったな」
柴田が苦笑する。あ、と思い出して柴田の顔を見返した黒田は、気を取られて足元の階段に躓きかけた。黒田に肩を貸していた柴田ごと態勢を崩しかけた体が後ろから伸びてきた腕に支えられた。
「危ないなぁ」
緊張感を感じさせない声が聞こえてきて、黒田は驚いて後ろを振り返った。
「いと…」
そこにはいつもと変わらない飄々とした面持ちの伊藤が立っていた。LIVE終わりとは思えない身軽で静やかな姿が、なぜか黒田を苛立たせた。
「ああ、ありがとう」
言葉が出ない黒田に代わるように柴田は黒田を支えていた手を離して、向き合う伊藤に礼を言う。
「早いね、帰り。打ち上げとかないんだ?」
問う柴田に、伊藤が苦笑して答える。
「まぁ、うち未成年多いんでね」
納得したように笑う柴田の横で、黒田はまだ掴まれたままだった伊藤の手を払いのけた。驚いたように二人が黒田を注視する。
「だからってなんで、うちに居るんだよ…!」
黒田の口から出たのは、自分でも驚くほど不機嫌な声だった。見上げる伊藤の顔を睨むように見詰める。
「…今日、観に来てくれただろう?途中で帰ったからさ…」
薄く笑む伊藤の表情にのまれて、黒田は一瞬言葉を失った。
「あー、じゃ俺、帰るわ。こいつ、よろしく」
気まずい沈黙が落ちる前に、柴田が伊藤に黒田を引き渡す。
「柴ちゃん…!」
黒田は驚いて柴田を見る。ここで伊藤と二人になるのは避けたかった。さっきの衝撃が納まっていず、自分でも伊藤になんと言って良いかわからない状態だった。
「…じゃ、クロリン。またね」
腕を掴んで引き止めようとする黒田の心情を分かっているはずの柴田は、やんわりと手を外して黒田に笑う。
「伊藤君も。僕の事、そんな目で見るくらいなら、その手を離さないように」
伊藤がびくっとして柴田を見る。その様子が可笑しかったのか柴田は笑うと黒田と伊藤に手を振り、背を向けた。。
「部屋まで送るよ」
その場に立ち尽くして動かない黒田の肩を抱くようにして伊藤が背を押した。
「お前…」
部屋への短い距離を並んで歩きながら、伊藤の横顔を見上げて黒田は何故か泣き出したいような気持ちになった。ここにいる伊藤は黒田が知っている伊藤で、今までと何一つ変わっていないように見える。
そういう彼に自分は何でも話してきたような気がする。
楽しかったことも、悲しかったことも。
八つ当たりも数え切れないくらいしてきた。それは受けとめてくれる相手がいたから出来たことで…。
「…どうして、今日来たんだよ…」
ドアの前に立ち、俯き加減で呟いた黒田に少し困ったような表情をした伊藤が黒田を見詰めた。
「会いたかったから…」
「っざけんな!」
怒って黒田は伊藤の腕を払い落とす。伊藤の茶化したような言葉が黒田の神経を逆なでしていた。
「嘘。…黒田が俺に話したいことがあるかと思って…」
黒田の仕業に怒る様子もなく淡々と話す伊藤に、黒田は虚を突かれたように伊藤を見詰めた。
「そうだろ?」
皮肉っぽく笑う伊藤に、黒田は視線を逸らした。掴んだ伊藤の腕が背に回り背後で開いたドアの中に促されるのを感じた。
「ほら、水」
リビングのソファに埋まるように座り込んだ黒田に、伊藤がコップに汲んだ水を渡す。無言で受け取った黒田は、伊藤を上目遣いに見上げ、その水を一気に飲み干した。
それ程酔っていないつもりだったが、喉を通りすぎる水の冷たさに気持ちが少し落ち着いた気がした。
ほうっと息をついて、冷たいコップを額に押し当てる。
その様子を静かに見ていた伊藤が、黒田の足元の床に直に腰を下ろす。長い足が邪魔そうだと黒田は伊藤を見ながら思った。
「…今日、観に来るとは思わなかったな」
沈黙を破ったのは伊藤の方だった。
「どうだった?って、訊くまでもないか。お前のその顔見ればね」
自嘲にゆがむ伊藤の顔を見ながら、黒田は怒りよりも悲しさに胸が痛んだ。
「どうして、お前…」
なんと言ったら良いのか分からず、黒田は言葉を飲みこんだ。
らしくない!あんなのお前のギターじゃない!そう伊藤にぶつけて済むようなものではなかった。
「今日は体調が悪くてさ…、って言っても通じないんだろうな」
「本気で言ったら、殴るぞ…」
苦笑する伊藤の目を見詰めて、黒田は自分に対して誤魔化す事だけはしてほしくないと思った。
いつも隣に居た彼だから。対等でいたいと願っていた。
右も左も分からない世界に飛びこんで、初めて体験する出来事ばかりの生活で、それでも自分らしくあれたのは、隣で飄々と歩んで見せた彼が居たからだと思う。
未知の世界で道に迷いそうになっても、人から頭一つ抜け出した彼の存在が道標だった。
負けたくないと思っていた。
いつも。
ステージでは自分がセンターに立っていたが、なぜか思い出すイメージは伊藤の後ろ姿だった。
燃えるような赤の髪。
その色が側にある限り大丈夫だと思っていた。
自分は誰にも負けないと思えた。
黒田は伊藤を見詰めながら、いまは下ろされている彼の黒髪に手を伸ばした。
触れようとした手を伊藤に捕られ、そのまま掌に口付けられる。触れられるのを伊藤に拒まれたような気がして黒田は手を引いた。
伊藤がその黒田の仕草に目を逸らした。
逸らした視線の先の壁際に、スタンドに立てられているギターがあるのに気付いて伊藤が指を差す。
「新しいの買ったの?」
「あ、ああ…。ツアー用に良い大きさのがほしかったんだ」
はぐらかされた話題にほっとしたような、腹立たしいような複雑な思いを感じながら黒田は答えた。
音もなく伊藤が立ち上がり、黒田が驚いて見上げると伊藤は壁に近づくとそのギターを取り上げた。
「伊藤…?」
黒田が何をするのかと問うのに答えず、その場に座った伊藤は軽く弦を弾いてチューニングすると曲を弾き出した。
イントロの一音で自分の曲だと黒田は気付いた。
初めて聴く伊藤バージョンのクロダ曲。
馬場の音でもなく、葛城の音でもなく、伊藤の音。
ちらりと向けられた伊藤の視線が合図だった。条件反射のように黒田は歌い出していた。夜中だとか壁が防音じゃないとか、そんな事はどこかに忘れて初めて合わせる伊藤との音に夢中になった。
黒田の呼吸を計るように見詰めたままの伊藤の視線が、黒田を熱くさせる。こう歌いたいのだと走る黒田をサポートするギターの音は遅れることなく黒田の声を包み、煽る。
そこに居るのは黒田が覚えている伊藤そのもので、嬉しいと、ただ、そう思った。
かき鳴らされたギターの音が消え、観客のいないLIVEが終わる。
「なんだよ…俺より、上手く弾きやがって…」
照れ隠しのように文句を言う黒田に伊藤が吹き出した。
「俺は、これが本業。黒田より下手だったらギタリスト返上じゃん」
笑う伊藤がギターをスタンドに戻す。
「この曲、好きだな。黒田そのものって感じで…。愛しくて…抱き締めたくなる」
伊藤の言葉に黒田は知らず赤くなった。伊藤はからかうでもなく黒田を見詰める。
「きっと聴いたヤツは皆そう思うんだろうな…」
「聴いて爆笑したやつも居るけど?」
さっきまで一緒だった人物を思い出し、黒田は苦笑した。それを聞いた伊藤も笑い出す。
笑いの納まった伊藤がそっと黒田の頬に手を伸ばして包み込む。
「…愛されてるよな…みんなに」
囁かれた声が帯びた切なさに、黒田はどきりとして伊藤を見詰めた。
抱き締める腕、受けとめる胸。伊藤が与えてくれたものすべて。
自分にとってどれだけ救いだったか分からない。だが、伊藤には…?
「お前…」
「なんて顔してるの?考え過ぎだって。俺も楽しんでるよ、今の環境」
黒田の言いたい事を察したように伊藤が笑う。
「だったらなんで!」
数時間前のLIVEの姿を思い出して、胸が苦しくなる。伊藤の前に座って黒田は真正面から伊藤を見詰めた
伊藤が黒田の真っ直ぐな視線に目を伏せて、大きく息をついた。顔に掛かる前髪を長い指が掻きあげる。
「…楽しんでる。でも、お前とやる時ほど熱くなれないだけだ…」
搾り出すような伊藤の声に、黒田は胸が締めつけられるのを感じた。
謝罪の言葉が口をついて出そうになるのを唇を噛んで飲み込む。自分がその言葉を言ってはいけないのだ。何よりも歌う事を選んだことを後悔はしていない。目の前の伊藤に胸を引き裂かれるような思いを感じていても。
ただ、いつも受け止めるばかりで、他人の手をほしがる事をしない伊藤を抱き締めたいと強く思った。自分も同じだけ伊藤を大事に思っているのだと伝えたかった。
膝立ちのまま伊藤の前に近づく。どうしたのかと問うように見上げた伊藤の頭を自分の胸の中に抱き込んだ。
「黒田…?」
突然の黒田の行動に驚いて身動きする伊藤を、抱き締めた手に力を込めて止める。そして、伊藤の髪に顔を埋めて囁いた。
「俺の腕だけじゃ足りないかもしれないけど、俺、いま伊藤くんを抱き締めたいと思うよ…」
抱き締めたかった。自分も同じだけ彼を好きなのだと伝えたかった。
不器用な黒田の言葉を目を丸くして聞いていた伊藤が、見上げた黒田の真剣な表情に微笑む。
「…バカだな。おつりが来るよ」
伊藤は黒田の頭に手を回して抱き寄せるとその唇に口付ける。不安定な体勢の黒田は抱き寄せられるまま、伊藤の上半身をとともに床に倒れた。
黒田は深くなる口付けに酔いながら、伊藤と合わせた胸の鼓動を感じ、直に触れたくて伊藤のシャツのボタンを外して行った。
「積極的なのは嬉しいけど、体勢が逆じゃない?」
笑う伊藤が背中が痛いとぼやく。
「人のことは、どこでも構わず押し倒すくせに」
伊藤の抗議を無視して、黒田はくつろげた伊藤の胸元に唇を落とした。その瞬間天地がひっくり返えり、今度は自分の身体に馴染んだ伊藤の重みと熱さを感じる。
間近に黒田の瞳を覗き込んだ伊藤が笑う。
「離れても忘れられないくらい熱くしてよ…」
耳元に囁かれた伊藤の声に、黒田は身体の奥がゾクリと熱くなるのを感じた。
黒田は答えの代わりに伊藤の首に手を回し、自分から口付けた。
暗闇の中でシーツの波にのまれて縺れ合う。離れている箇所があるのが許せないように抱き締め合った。
口付けの合間に漏れる声は意味を無くす。
存在を確かめるようにただ繰り返される互いの名前。見えない不安に黒田は伊藤の背に縋るように爪を立てた。
開かれた最奥で伊藤の熱を受け入れる。痛みに引き攣る黒田の身体に、退き掛けた伊藤の腰を足を絡めてとどめる。伊藤の手が無意識に零している黒田の涙を拭うと、宥めるように口付けた。腰を撫ですぎる伊藤の愛撫に一瞬身体の力が抜ける。
「…やぁ…!」
その一瞬に伊藤が自分の全てを黒田の中に納めた。黒田の中の衝撃が収まるのを待ってゆっくりと突き上げる。灼熱の痛みしか感じられない今が伊藤によって快楽にすり変わる瞬間。
身体を焼く熱さに何も考えられなくなる。確かなものは身体を侵す熱と抱きしめた伊藤の体だけになる。
(変わらないで…そのままでいて…好きだから…)
遠く聞こえる言葉が自分の声なのか彼の声なのか。
願いは、心からの叫びだった。
黒田は伊藤の名前を呼びながら、黒い太陽に焼かれる幻想に意識を委ねた。
END