桜
奴からの連絡はいつも突然で、昼夜、時間もおかまいなしで。
だが、そのTELもめったに架かってくる事は無くて。
だからきっとどんな言葉でもきいてしまいたくなるんだろう。
「いま、どこ?」
久しぶりに聞く声は、トクンと心臓を跳ね上げさせた。
「あ、うちだけど…。って、帰って来て初めてのTELがそれかよ」
少し前まで、仕事とイベントで南の島へ行っていたはずだった。行く前にそれを聞いて、帰国日をメモしてしまったのは俺で。
でも、やはりというか、電話の苦手な奴からのTELは無く、今日に至っていた。
「ああ、ただいま。でさ、お土産買って来たから時間大丈夫なら、今から来ない?」
屈託のない声がして思わず頭を抱えそうになった。
それでも既にポケットのキーを探っている自分がいる。
「仕事中だった…?」
ほんの少し戸惑ったような声がして、その吐息に降参する。
「いや、大丈夫。いま、急ぎは無いから」
頭の中で、明日のスケジュールを確認する。事務所には2時に入れば良いから…。
「じゃあ、待ってる」
明るくなった相手の声に、受話器を耳に押し当てた顔がほころんでくる。会えるのはいつでも嬉しい。その機会が極端に減ってしまった今となってはなおさらだ。
「あ、今うちに何も無いんだよ。途中で何かつまみと食いモン買って来てくれねぇ?」
「それで、人を家に呼ぶか?」
つい呆れ声になってしまった俺に、あいつが誤魔化すように笑う。
「いいじゃん、来るついでだし。コンビニで良いからさぁ」
頼んでいるとは思えないような口調にも逆らえない自分。
「1時間で行く。マックくらいしかないけど良いな?」
夜中を示す時計の針を見ながら言う。フィレオフィッシュね!という嬉しそうな声を最後に電話は切れて、受話器に向かって溜息をついた。
だが、その溜息は甘かった。
「よう」
チャイムを押してしばらくするとガチャガチャとチェーンを外す音がしてドアが開いた。
ドアを開いた黒田の姿に目が吸い寄せられる。久しぶりの黒田の笑顔だった。
「早かったな。あがって」
黒田が笑顔で促す。いつもより声が弾んでいるような気がするのは俺の気のせいだけではないだろう。
「ほら、差し入れ」
黒田の後に続いて部屋に入りながら、まだ温かいマックの袋を差し出す。
「わぁっ!サンキュ!!さすがに腹へってさぁ…」
その言葉を聞いて、やっぱりこいつメシ食ってなかったんだと確信した。俺が来なければどうしたのか、考え始めて止めた。きっとビールでも飲んで済ましてしまったに違いない。
他の誰かにデリバリーを頼むという想像は独断で却下した。
「飲みモン持ってくから、その辺に座ってて。散らかってるけど」
リビング兼今は仕事部屋に化した居間は、黒田が言うほど散らかってはいなかったが、ノートや紙やら辞書などがローテーブルの上に広がっていた。そのせいなのか、いつもの場所から少し端に寄せられて、フローリングの床に2畳ほどのスペースが作られていた。
クッションだけは2つ向かいで置かれていたので、その一つに腰を下ろしてあぐらをかいた。足がはみ出るのは仕方が無い。
「ちょっと足よけろよ」
そう言って現れた黒田に、飲み物を受け取ろうと手を伸ばしてそのまま止まった。
「悪い、いまグラス持ってくるからさ」
少し得意そうな顔をして黒田が手にしたものを床に敷く。
「これ…」
見上げて思わず訊いてしまった俺に黒田が笑う。
「良いだろう?これ。向こうで見て気に入ったんだ」
布で出来た(バティックという布らしい)30cmほどの楕円形のトレイとそれと同じ素材で作られたコースター。
フローリングの床が、そこだけアジアンテイストに雰囲気を変える。
「ほら」
珍しくちゃんとグラスを用意する黒田の少し浮かれた様子が可笑しく、愛しい。
「サンキュ」
グラスを受け取ると、プルトップを開けた黒田がビールを注いでくれた。縁すれすれまで盛り上がる泡に喉が鳴る。コースターにグラスを置いて、今度は黒田のグラスにビールを注ぐ。
「なんか、こういうの珍しくねぇ?」
ハハっと笑った黒田が、それでも楽しそうな顔をする。いつもはお互い好きに飲んでいる方が多い。だから逆に新鮮だった。
俺もグラスを持って、黒田と向き合う。
「じゃ、まずは無事の帰国にカンパイ」
笑顔を見せた黒田とカチンとグラスを触れ合わせた。
買ってきたつまみをトレイの上に並べてそれを肴にビールを飲みながら、夜食を食べている黒田を眺める。
無心にものを食べている姿は、妙に子供じみていてカワイイ。ふっと漏らした笑みに、「なんだ?」というように黒田が顔を上げた。
「いや、なんでも。それより話しを聞かせろよ、向こうの」
話題の転換に疑わしそうにしていた黒田がにやっと笑った。
「いいぜ、話したい事、いっぱいあるんだ。途中で寝るなよ」
楽しそうに笑う黒田を見て、ドキッとしたがきっと黒田の声を聞いている限りそんな事にはならないだろう。黒田の空になったグラスにビールを注ぎ、土産話をもう一度うながした。
「…でさ、レゴンダンスって踊ってる方はトランス状態みたいなもんじゃん?ガムランの音ってそういう効果があるんだって。すごく原始的な、でも、万国共通のリズムなんだよな…」
音楽ってすごいよな、そう言って笑う黒田は既にクッションを抱き枕にして床に寝そべっている。尽きる事無く続く話は、黒田の向こうでの体験の密度の濃さを表しているようだ。
ビデオ、写真、その撮影だけでもどれだけ大変だったか想像できる。でも、弱音を口にしない黒田の強さが好きだと思う。
「すごく刺激的な所だったけど、食事がちょっとね…」
苦笑を漏らす声が少しろれつが回らなくなってきている。クッションに沈み込んで目を閉じそうな黒田の髪に手を伸ばしてそっと撫でるように梳く。
そのまま指を頬に滑らせる。
「また少し痩せたな」
髪を撫でる感触に気持ちよさそうに目を閉じていた黒田が、ぱっと目を開ける。俺の顔に浮かんでいる表情を読み取って笑う。
「大丈夫だって」
真っ直ぐに見詰め返す瞳に飲み込まれそうな錯覚を起こしそうだった。それを誤魔化すように黒田の頬にもう一度触れた。手に包めこめそうな細い頬のライン。黒田の戦ってきた跡。
黒田は笑って再び目を閉じてクッションに沈み込んだ。疲れているのだろうが、黒田が言った通り体調は悪くなさそうだった。なによりも唇に刷かれた笑みが機嫌の良さを表している。
頬にあてたままの俺の右手を黒田の手が握りこんだ。ぎゅっと自分から顔を押し当ててきて、逆に俺の方が慌てて手を引きそうになった。その手を引き止めて黒田がもう一度頬を押し当てる。
「やっぱ伊藤くんの手が一番気持ち良い…」
酔ってぼんやりした口調で呟かれた一言に、固まった。
一瞬の内に頭の中を駆け抜けた嫌な妄想を振り払おうと必死に打ち消す。深い意味ではないのだと言い聞かせないと大変な事をしてしまいそうで。
「なに?」
止まった手に問うように見上げた黒田が、表情を無くした俺に気付く。
「いや、なんでも…」
取り繕うように笑う俺を眉をひそめて見詰めた黒田が、あ、というように飛び起きた。
「ヘンな事考えてんじゃねぇだろうな!誤解するなよ、俺、なんにも無いからな!俺はただこの間マッサージしてもらった時のこと…」
噛みつくように身の潔白を主張する黒田を遮るように止める。
「違う、信じてるって」
「嘘だね!お前、嫉妬し過ぎ!」
俺の胸を押し返して離れようとする黒田の体に手を伸ばして必死で抱き留める。
「ゴメンって」
悪いのは自分と分かっているだけに、他の言葉は無かった。腕の中でもがいていた体が漸く大人しく重みを胸に預けてきたのにホッとして、そろそろと手を緩める。
顔を上げた黒田の目は、まだ怒っているような激しさだった。
「すみませんでした…」
できるだけ体を小さくして(気持ち的に)、真剣に謝る。睨んでいた黒田が、それを見て吹き出して笑い出す。
「くろだぁ…」
少々情けない気分になってぼやいてしまう。
「デカイ図体してそんなカッコしても可愛くねぇって。…良いよ、分かった」
ぱふっともう一度俺の肩口に頭を凭せ掛けてきた黒田がぽつりと呟く。
「…何してんだろうな、俺ら。いい歳してさ…」
背に腕を回した黒田がためらいがちに抱き締めてきた。
「まるでレンアイしてるみたいだ…」
囁くように小さい声は、俺の全身を呪縛した。黙りこんだ黒田の体を強く抱きしめる。黒田の腕にも力が込められた。
レンアイしている。
ずっと。
出会った時から。
数え切れないくらい喧嘩もした。
人生の分岐点を迎えて、傍に居ることが出来なくなった。
それでも…。
未来など知らない。
今の気持ちだけが真実だ。
繰り返したブリーチに、パサつく髪に口付ける。黒田の首筋に顔を埋めるとかすかに甘い花の香りがした。
「なんかイイ匂いがする…」
「え?俺、別に何も…」
言い掛けた黒田が、ああ、と笑う。
「オイルマッサージしてもらった時のだ。けっこう香りきつくてさ、中々取れねぇの」
後でベタベタして大変だったと苦笑する黒田に、言われてみれば南国の花の香りなのかもしれないと気付く。
「天然の物ってやっぱり体には良いのかね?」
黒田の少々辟易した表情が可笑しくて、からかうように訊いてみる。イヤそうな顔をした黒田が軽く睨んでくる。
ふとその視線が下を向いた。
「…自分じゃ分からねぇからさ。…確かめてみる?」
問うように見上げてきた黒田の瞳に捕まる。
心臓が跳ねあがる。一瞬で身体が熱くなるのが分かった。
これは確信犯だ。
俺の胸を押し返して、目の前に座った黒田は、そのまま目を閉じた。
つっと右手を伸ばして黒田の首筋に触れた。邪魔なシャツのボタンを一つづつ外して行く。シャツをくつろげた胸元に手を滑らせる。心臓の上で手を止めると黒田の早くなった鼓動が伝わってくる気がした。
それでも黒田は声一つ上げずに、じっとしていた。
シャツの裾をジーンズから引き出し、広げて胸の蕾に口付ける。ビクリと震えた黒田を無視して、そのまま硬くなったしこりを唇で銜えて舐め上げた。
「いと…っ!」
思わずというように俺の髪をひっぱって黒田が止める。
唇を離し、赤くなった黒田の顔を見上げる。ぎゅっとシャツを握り締めて激情が過ぎるのを待つ。
「…頼むから、試すような事言うなよ…」
自分でも情けなことを言っている自覚はあった。だが、黒田に関してはだめなのだ。
「いつでも、お前の事ほしいって思ってるんだからさ…」
苦労して作った笑みに本音を誤魔化す。その言葉に黒田が困ったような表情を浮かべる。
困らせるつもりで言ったのではないのだと伝えようとする前に、黒田が口を開いた。
「…日本に帰って来たら、寒くて…夏の国が恋しくなって…」
ためらうような表情のまま、黒田が言い募る。
「熱さがほしくなって…、呼んだなんて言ったら怒るか…?」
唇を噛んで俺を見詰める黒田の少し赤い顔と、言われた言葉を反芻して、俺は苦笑した。
「…ったく、ホント俺達なにやってるんだろうな…」
黒田が戸惑うように俺を見詰める。その腕を引いてその場に引き倒して黒田の身体に乗り上げる。
「って…、なにすんだよ!」
「怒る訳ない。嬉しいって言うよ」
痛みと驚きに顰められた黒田の顔が、俺の言葉にあっけにとられたように目を丸くし、続いて笑い出した。
「…むこう行こう」
ドアの向こうの寝室を顎で指し、抱き締めて耳元に囁く。
「即、それかよ…」
呆れた声とは裏腹に、黒田の手も背に回される。間近に見詰め合ったお互いの瞳の中に、同じ熱さを見る。
たまらずに口付けた黒田の唇が応えるように開かれ俺を受け入れる。呼吸をするのも惜しいように何度も重ねあわされた唇が離れた時には、黒田の唇は紅く濡れたように染まっていた。潤むように艶を増した瞳に惹きこまれる。
このままここで抱いたら、自分の中の欲望の牙が黒田を殺してしまいそうな気がした。
触れて、どれだけ自分が飢えていたのかに気付いた。
「黒田…」
重ね合わせた身体は、正直に熱を宿した部分の猛々しさを黒田に伝えているはずだった。
「いいよ…」
笑いを含んだ黒田の声もどこか上ずって聞こえる。黒田が俺のその部分を煽るようにするりと足を絡めて深く身体を重ねてきた。それは俺にも黒田の熱さを伝えることになった。
同じ性。同じ欲望。
「行こう…」
熱く甘く囁かれた声に操られるように俺は黒田を抱き上げた。
そして、二頭の獣になる場所へと歩き出した。
END