俺は心にぽっかりと空いた穴を埋められないでいた。表面は楽しげにしてるし、実際楽しいけれど、
自分がいつもどこか欠けている感じがした。卒業してから、もう半年以上も経つというのに。
仲間とは疎遠にはなってないけど、やっぱりああやって全員集まるのも、合宿するのももう出来ない。
お互いのスケジュールはそれぞれに過密だ。俺の仕事のせいもあるけど。冬になっても、俺達は連絡を
取り合うのが精一杯で、実際に目の前にそのうちの誰かの姿を見ることを、もう何ヶ月もしていない。
一番連絡を取るのはリョウちゃん。というかしょっちゅう電話やメールがくる。そんで、今日もさっき
メールが来てた。仕事終わって、一息ついたときにケータイ見たら光ってた。
『シュン明日暇? オレ休みだからどっか行かない?』
珍しくお誘いのメールだ。俺は思いがけずドキドキしてしまった。
俺の好きな人。リョウちゃん。
メール打つ手も妙に震える。何て返せばいい? てか俺明日休み?
一度戻したケータイの待ち受けは、リョウちゃんがいつか送ってくれたファミレスの看板の写真だ。
俺はそれを変えられない。変える必要もないけれど。スケジュールの画面にはバッチリ予定が入っていた。
俺の仕事はモデルだ。不定期な仕事は友達と休みが合わない。
なんだよ、俺喜び損?
『ゴメン、明日は仕事で行けない。他の日じゃ駄目?』
この短い文書を何度も読み返して、ようやく送信ボタンを押した。送信アニメーシュンが動いている
間じゅう、俺はやっぱやめた、と通信を切りそうになった。
送信してしまうと、今度は返信がいつ来るかと気が気でない。帰り道で、俺は何度もケータイを確認した。
何度目かの時に、手のひらでケータイが揺れた。ライトは、リョウちゃん!
『そっかあ。じゃあ仕方ない。シュンは明日の仕事どこ?』
んー。他の日じゃ駄目なのか。とりあえず返事を、と俺は明日の仕事場をメールした。
もう電話した方が早いだろうに、とはたびたび思うけど、メールで始まったものはメールで返さないと
いけない気もするし。
その後も何度か他愛のないやり取りをして、じゃあまた今度、って話で落ち着いた。
ただ、彼の顔を見たかった。あの顔が俺を見て話したり笑ったりするのを。
翌日の仕事は昼から夜中まで続いた。昼間も夜になってからも、リョウちゃんからいつ終わるのかと
メールが来たけど、残念なことに俺はまだ、まだ、としか返せなかった。解放されたのは深夜なんて
とっくに過ぎて、早朝。4時頃、俺はようやく家路についた。
と、ケータイが鳴った。こんな時間に? バッグを探るとリョウちゃんからメールだった。
「ウソっ」
慌てて開く。そこには短い文字列。
『前のカフェ』
それしか入ってない。俺は立ち止まって何度もその短いメールを読んだ。前のカフェ?
キョロキョロすると、俺の渡ろうとした向こう側のカフェに青いニット帽のリョウちゃんが悠々と
座って手を振っている。
「リョウちゃん! なんで!」
俺は車の通っていない赤信号を突っ切った。
男ばっかの店員と、深夜に特有の緩いが重い空気に出迎えられる。店内は手足がじんじんしてくる
ほど暖かい。
「リョウちゃん、どうしたの、こんな時間に」
「よう、シュン、お疲れ」
のん気に手を上げて普通の挨拶をする。
「や、お疲れだけど。そうじゃなくて」
「んー、なんかシュンに会いたくて。昨日会うと決めたらもう会いたくて」
あまりに直球でさすがに照れた。言ったリョウちゃんも照れてるし。
「何飲んでんの?」
「カフェオレ」
マグの取っ手を少しつまんで答える。
「じゃ、俺も」
俺はカウンターでカフェオレを注文した。出来上がるまでしばしそこに立たされる。久々に目の前に見る
リョウちゃんは、俺の記憶よりも大きかった。あの目が、何をも受け入れてくれる目が、安心を感じさせる。
それと一緒に心臓が急に速くなる。
それにしても、遠目に良く俺も分かったよな、リョウちゃんだって。あんなに普通なのに。しかもニット帽。
「カフェオレお待たせしました〜」
「え」
目の前に出てきたのはボウルだった。カフェオレボウル。中身はもちろんカフェオレ。
だけどリョウちゃんのやつと明らかに違うんですけど。
「ちょっと、リョウちゃん」
「うわー、シュンほんとにカフェオレ頼んじゃったんだ」
カフェオレボウルをトレーに載せて席に向かう。リョウちゃんは心から面白そうな顔でオレを迎えた。
くそう、やられた。
「普通頼むだろ、あんなナチュラルに答えられたら」
ホントうまく騙された。ま、飲めないもんじゃないけど。
「いーじゃんいーじゃん、記念にね」
「何記念だよ、意味わかんねー」
「ささ、座って座って」
「何なの、リョウちゃん」
「いいから、はい、かんぱーい」
「はあ?」
俺はゆるく反発しながら、リョウちゃんのマグにボウルをこつんと合わせた。
「あ、砂糖入ってるこれ」
甘みは疲れた体に優しい。
「シュンはカワイイなあ」
ボウルに顔が埋まるのを見ながらそんなことを言う。リョウちゃんの十八番だ、俺をカワイイって言うの。
「何言ってんだよ」
一応そうはいっておかないと、俺も男の子だからね。喜んではいませんよ、ってアピール。本当はちょっと
嬉しいけど、それは秘密。そう思う理由は、俺がリョウちゃんを好きだから。だから秘密。ばれたら、きっと
友達でいられないから。
「そういやリョウちゃんのは何なの」
「あ、オレ? オレねカプチーノ」
そう言われてよくよく見てみれば、マグの内側にスチームミルクのあとが残っている。そのカプチーノの
入ったマグの横に、銀色の包みが見えた。
「ソレ何? そっちの」
マグとリョウちゃんの手の間を指差して聞く。
「ん? コレ?」
「そう、それ」
リョウちゃんが掴んで見せたものは、銀紙に包まれたカロリーメイトみたいだった。
「コレ欲しい?」
「何なのよ」
「悪いもんじゃないって」
「はあ? じゃあいらね」
「なんだよ、そこは『いる』って言うとこでしょ」
「だって、リョウちゃんの様子がおかしいもん」
「くっ。別にいいもーん。シュンがいらないっつったってくれてやる」
「何言ってんのリョウちゃん」
リョウちゃんは椅子を回して俺に背を向ける。丸めた背中はそれでも大きかったけど、なんか可哀想になってきた。
「ゴメンって。ね、いるから、ソレ」
覗き込もうとすると、リョウちゃんはすごい勢いで振り返って、椅子ごとレジカウンターの方を向いた。
その勢いのままそっちを指差す。
「あれ!」
「え?」
あまりの勢いに俺もカウンターの方を向くと、急に視界が何かで遮られ、口に甘くて柔らかいものが触れた。
「?!」
どういうことなのか全然わからなかった。
判明していることは、ココがカフェであるということと、唇が甘いこと。リョウちゃんの唇が。
「な、に」
ほんの一瞬のはずなのに、ようやく離れた唇に、頭に浮かんだ言葉の全てを投げかけた。
その二文字が全てだった。
「チョコレート」
リョウちゃんは元の位置に戻りながらそれに答える。
そうじゃなくて。
「どうして」
だって、俺何も言ってない。それに、リョウちゃんからだって何も聞いてないし、そんな素振り全然。
「それはー」
シュン、耳貸して? と俺の耳を引っ張る。
「誕生日おめでとう」
は?
ちょっと待って。何コレ、俺もしかしてはめられてる? まさか他の奴らどっかに隠れて見てるとか?
「リョウ、リョウちゃん? これ、ドッキリ?」
リョウちゃんは恐る恐る聞いた俺に、緊張感を遮られたようで、ハア、と息をついた。
「違うよう。シュンは警戒心が強いなあ」
違うのか? 本当か?
「オレ、シュンが喜ぶものをプレゼントしたくて」
そう言って帽子の上から頭を掻く。
「でも、なんかそれ、オレが欲しかったみたい」
ニカっと笑う歯がリョウちゃんらしく爽やかだ。
や、そうじゃなくて。
『オレが欲しかったみたい』? それって。
「シュン、プレゼント何が欲しいか教えて?」
首を傾げて俺を覗き込む。
何がいいかなんて急には考え付かない。
ん? ともう一度首を傾げるリョウちゃん。その目が合う。優しい両目は何でも聞くよと言っている。
俺は心を決めた。大きく息を吸い込む。きっと大丈夫。
「俺、リョウちゃんがいい」
リョウちゃんはその答えが分かっていたかのように俺を抱き締めた。
「シュン」
首の後ろで、リョウちゃんが呟く。
あげるよ、全部。
終
→モドル