PissKids HISTORY〜上京まで〜  


1987年12月(17歳)

SEIBU-RINPO KAN「GET ON THE BEAT」にてピスキッズの前身である
C.B.C.B<チャーミーボーイズクラブバンド:ハセ(ドラムス)、キナミ、ヨースケ>に
仲介人を通してリードヴォーカルのケンタローが助っ人として加入。
この時甲斐リーダー(サックス)は別のバンドに、ケンジ・ジョニーは客席にいた。

1988年(18歳)

2月 C.B.C.Bを吸収合併、甲斐さんが加入し、ケンジ・ジョニー他1名を合わせた
総勢8名が揃い『ピスキッズ』が誕生した。
この時点では、ジョニーは高音ヴォーカル、ケンジはサイドギターだった。

1stLIVE「We Are Music」。高砂市文化会館でワンマンライブ、観客176人を動員。
6月 メンバーの半数以上が受験生だったため、活動が困難になりやむなく断念、
日岡野外音楽堂に集まった300人以上のファンに惜しまれ解散。

1989年4月(19歳)   1人を除いて受験組は全員浪人となる・・・が、再結成。

1990年(20歳)

 4月
  LIVE「GET BACK」、高砂市民会館に427人動員。
      このライブからジョニーがベースヴォーカル、ケンジが高音ヴォーカルになり、
      現在のピスキッズの形になる。
10月   加古川“サウンドウェーブ・コンテスト”で栄えあるミス加古川賞を受賞。

1991年1月(21歳)    ABC朝日放送“ライブ・キング”のオーディションに通過した。

1992年(22歳)

 9月
  1月にキーボーディストが辞めたのち、新メンバーに中井ゆかりさんを迎え、
       サテンドールにて1年ぶりのライブハウス出演。チケットSoldOut!
10月   ピスキッズの師、THE CHECHKERSの突然の解散宣言に涙、涙、涙。
12月19日
大阪城公園でゲリラLIVEを敢行。
(この時大阪城ホールではチェッカーズのFINALコンサートをやっていた)
彼らなりのチェッカーズに対する「サヨナラ」だった。
これをきっかけに注目されるようになる。

1993年(23歳)

 6月
 バンド結成6年目にして、大阪進出。
      “また一緒に遊ぼうぜ!TOUR'93”がスタートする。
      江坂ブーミンホールにてワンマンライブ、大阪初にもかかわらず124名もの観客を動員。
12月  尼崎ライブスクエアビブレで初ライブをする。
      キーボード、中井「ゆかりん」が脱退。

1994年(24歳)
 
 2月
  “SENSATION TOUR'94”スタート。27日遂に東京進出。
       渋谷エッグマンにて、198人を動員した。
 3月   それまでがんばってきたリーダー甲斐氏が脱退。
       ラストライブ俺の魂を訊け!!≠ノてファンは、涙、涙。惜しまれて脱退する。
 4月   KBS京都“気ままにBe”公開録画LIVEが江坂ブーミンホールにて行われる。
       この時からヒデキがSAXとして加入。
 5月   “SONG BIRD”CD発売記念ライブを心斎橋ミューズホールにて行う。
       売り上げ枚数は130枚。
 6月   “気ままにバンドBe”TV放映される。
 8月   “BREAK SUMMER TOUR”全国5ヶ所。
       (尼崎・横浜本牧・渋谷・博多・京都・尼崎)で行う。
12月   大阪城公園ストリートライブ決行。

1995年(25歳)   

 1月  年をまたいでのTOUR。全国9ヵ所。
      (江坂・尼崎・博多・広島・本牧・渋谷・名古屋・京都・心斎橋)
 9月   アマチュアでのラストライブが尼崎ライブスクエアで行われる。
10月   事務所と契約をすませているピスキッズは台風11号と共に東京へ!!

Thanks to yoshiko