寓話作家 嵐山権左衛門

堤防の道、秋の始まり


 美咲さんは、商店街の中にある小さな銀行で、窓口の仕事をしています。学校を卒業し、生まれ育った町から少し離れたところにあるこの銀行に勤めて1年、この町の暮らしにも少しずつ慣れてきました。


 午前中の仕事が終わり、お昼休みになりました。美咲さんはいつものお弁当ではなく、今日は隣のハンバーガー屋さんで食べることにしました。

店内はいつになく込み合っていて、注文のカウンターには、たくさんの人が並んでいます。あと二人になった所で、四、五才の男の子が、急に美咲さんの前に割り込んできました。美咲さんは驚いたのですが、内気でお人好しな性格なので、何も言えません。しばらくして、その子のお母さんらしき人が、店内にやってきました。そして「ちゃんと並んで待ってたのね」と言いながら、ちゃっかりと子供の後ろに割り込みました。美咲さんの後にも、まだ何人かが並んでいます。カウンターの前は、ざわざわとしました。しかし、親子の真後ろにいる美咲さんは、下を向いたまま、何も言えませんでした。


 やっと美咲さんの順番がきました。

「チーズバーガーとアイスミルクティ、お願いします」

「かしこまりました。いっしょにポテトもいかがですか」

店員は忙しそうにしながら、事務的に言いました。美咲さんは断り切れず

「あっ、じゃぁ、それも」とポテトも注文してしまいました。少し待つと、頼んだものが出来上がりました。

「お待たせしました。ハンバーガーとアイスミルクティ、それとポテトです」

美咲さんが注文したのは、チーズバーガーです。どこかで間違いがあったのでしょう。仕方がないと美咲さんはあきらめて、黙ってハンバーガーを受け取りました。


 テーブルに座って食べていると、カウンターの方で大きな声が聞こえます。

「わたしが頼んだのは、スペシャルバーガーよ。これは普通のハンバーガーじゃないの」

中年の女性が怒って、店長に詰め寄っています。

「申し訳ありません。すぐに作り直します」

店長は頭を下げて言いました。

「私は急いでいるのよ。そんな時間ないわ」

店長は困った様子で、こう言いました。

「では、こちらの分のお代は結構ですので、お召し上がりください」

美咲さんは下を向いたまま、アイスミルクティのストローをつまみました。


 お昼の休憩から帰ると、銀行の様子が変です。大事なお客様の融資の手続きに、間違いがあったようです。

「キミにはちゃんと指示したじゃないか」

いきなり課長が、美咲さんを責め立てました。

「えっ、でも」

美咲さんは課長の指示とおりに処理をしただけです。

「言われた通りに処理したけど、もう一度確認しておけば良かった」

こう思いながら、美咲さんは課長の剣幕に押されて、無言のまま下を向くばかりです。

嫌な思いのまま夕方になり、美咲さんは一日の仕事を終えました。そして歩いて数分のところにある銀行の寮に帰ろうとしました。

「今日はまっすぐ帰る気にはならないなぁ」

滅入った気持ちで歩いていると、自然に足が堤防の道の方へと、遠回りしていました。堤防の道は、この町の中で美咲さんが一番気に入っている場所です。大きな川が町の真ん中を流れ、川沿いにはハギの花が咲き、秋の始まりを告げています。いつもと変わらない景色が美咲さんの目に入ってきました。


 堤防の道をぼんやりと歩きながら、美咲さんは思いました。

「なぜ私はこうなんだろう。内気で、引っ込み思案で、お人好しで、気が弱くて言いたいことも言えない。自分勝手な人、強引な人は、思い通りになって得をしている。私はいつも損ばっかり。これから先もずっと、私は損をし続けるだろうなぁ」

 堤防の道を歩きながら、美咲さんの目からは涙がこぼれてきました。それでも秋の始まりの風は、美咲さんをやさしく包み込みます。これ以上涙がこぼれないようにと、美咲さんは上を向き、涙を乾かそうと、風上の方へ振り返りました。

「あっ」

振り返った西の空は、一面に夕焼けです。

「きれい」

夕焼けは川にキラキラと反射して、美しさを増しています。

「嫌な気持ちになったから、この堤防の道を歩いた。ここを歩いたから、こんなきれいな夕焼けが見えた」

美咲さんは今日初めて、得をした気分になりました。今日一日の嫌なことも忘れてしまいました。


 堤防の道を、小さな犬を散歩させている青年が、こちらに向かってやってきました。小さな犬は美咲さんの足下に寄ってきます。

「あっ、可愛い」

内気な美咲さんにしては珍しく、声を出してしまいました。おそらく夕焼けの美しさに、心が高揚していたのでしょう。

「あれっ、銀行の窓口の方じゃないですか」

犬を連れた青年は、好意的な表情で、美咲さんに話しかけました。