LEPSFREAK (talkin’’bout Def Leppard)

はじめに

1999年6月2日にデフ・レパードの新譜”EUPHORIA”が発売されました。 
この出来が素晴らしく良かったこともあり急遽特集を組む事にしたのだが俺の頼りない記憶を元に10年以上も
昔の事を思い出しながら書いているので事実と若干異なる点があるかもしれません。 
少々の間違いは大目に見てやってください。 
   

訂正
   
下文中に記述の誤りがありましたので訂正いたします。 
中段にある、スティーブの死因についての所ですが、死因はドラッグではなくアルコール中毒です。 
Kumaさんご指摘ありがとうございました。 
   

DEF LEPPARD
    
”DEF LEPPARD” 
洋楽を聞かない人でも、この名前だけは知っているのではないだろうか? 
それくらいこのバンドの知名度は高く、そしてアメリカで最も良く売れたバンドの一つでもある。 
俺は、彼らの作品の中では3作目にあたる 
”PYROMANIA”(邦題:炎のターゲット)1983年発売 
というアルバムで初めて彼らのサウンドを知った。 
このアルバムは、同時期にマイケル・ジャクソンの”スリラー”がいた為に全米1位にはならなかったが、何と!
800万枚を越えるセールスを記録し、一躍彼らをトップスターの地位に押し上げる原動力となったアルバム
でもあった。 
今聞いてもこのアルバムのサウンド、アレンジ、ソングライティングの素晴らしさは現代でも十二分に通用す
るクオリティを保っていると断言できる。 
それ位このバンドは時代を超えたサウンドを作っていた訳である。 
しかし、この成功の後、信じられない悲劇が起こってしまう。 
「ドラマーのリック・アレン、交通事故により左腕を断裂。」 
呆然としたのは俺だけではなかったはずである。当時のファンは皆信じられなかったと思う。 
そして、 
「手術によって切断はまぬがれ、指の感覚が戻るまでに回復した。」 
というニュースが飛び込んできた時に、本当に良かったと安心したのだが・・・ 
事実は違った。 
「再接合した左腕は酷く化膿し、再び切断・・・」 
これが俺たちファンに突きつけられた現実だった。 
バンドとファンの中に広がる絶望感・・・ 
しかし、彼は復活した。 
なんと、左手の代わりに左足を使う特殊なドラム・セットを用い、涙ぐましい努力によって再び俺達の前に元気
な姿を現したのである。 

そして、ロック史上に残る金字塔を打ち立てた 
”HYSTERIA”1987年発売 
が発売される。 
あまりにも有名なこのアルバムで彼らは初の全米1位を記録し、 
”Love Bites” 
”Pour some suger on me” 
”Animal” 
”Hysteria” 
”Rocket” 
と、なんと5枚ものシングルヒットを飛ばすモンスターアルバムとなる。 
そして1年以上チャートを賑わせ、結果的に1,200万枚を越えるセールスを記録した。 
前述のリック・アレンも素晴らしいプレイを披露しており、これ以上考えられないというくらいにち密で 
かつ豪快なアレンジ、サウンドメイキングがされている。 
楽曲の質を含めて、この時点では俺の中でも史上最高のアルバムだった。 
   
しかし、またしても悲劇が起こる。 
「ギターのスティーブ・クラーク、アルコールの大量摂取により他界。」 
これは俺にとってはかなりの衝撃だった。(もちろんファンにとっても) 
実は、このバンドの実質的なコンポーザーは彼であり、彼のいないデフレパはEDDIEのいないVAN HAL
ENとさして違わないというのが俺の見解だったからある。 
そして、ある種独特のトーンを奏でる彼のギターがもう聞けないのかと思うと、かなり悲しかった・・・ 
この事件でデフレパはその魅力のほとんどを失ったわけである。 

でも次のアルバムは発売された。 
「まさか出るとは思わなかった」 
大学の時の後輩がそう言ってしまう程、出る事自体が意外だったそのアルバムのタイトルは 
”ADRENALIZE”1991発売 
スティーブの後任としてヴィヴィアン・キャンベルが参加したこのアルバムの出来は・・・ 
確かにいい曲もあった。 
いかにも!っていう、 
”Let’s get rocked” 
スティーブにあてられた追悼歌 
”White lightning” 
などがそうだったのだが、やはりスティーブの抜けた穴はあまりにも大きかった。 
もはやこのバンドからは昔の勢いを感じる事が出来なくなっていたのである。 
そして俺は、デフレパの熱狂的なファンから普通のファンになってしまった。 
実はこの時期に、私は彼らのライブを生で見る機会に恵まれ、片腕でドラムを叩くリックの姿に感動したので
はあるが、もう熱狂的ファンには戻れなかった。 

そして、いくつかの企画アルバムを発表した後、問題のアルバムが発売された。タイトルは、 
”SLANG”1996年発売 
これはかなりのレベルのアルバムで、少なくとも前作よりは楽曲自体の出来は良かったのだが・・・ 
というか、デフレパのアルバムでないなら100点あげてもいい位素晴らしいアルバムだった。 
が、あまりに様変わりしてしまったそのサウンド&アレンジはもはやデフレパではなかった。 
ファンであるならばどんなに変わってしまっても受け入れるのが本当なのだろうが、俺にはついて行けなかっ
た。聞いていてもただ悲しいだけだった。 

時は流れ1999年5月25日。 
営業中にたまたまFMを聞いていると、懐かしいサウンドが耳に飛び込んできた。 
明らかにデフレパのサウンドなのだが、聞いた事がない・・・ 
そして、その曲がサビにかかろうとした時、ちょっと前にデフレパの新譜が発売されるというニュースを見た
事を思い出した。 
「もしかして、これ新曲?」 
そう思う間もなく懐かしく、そして素晴らしい流れをもったその曲に感動してしまう。 
曲が終わってDJがデフレパの新曲だと言ったとたん、俺は嬉しくて涙が出そうだった。 
正直言って、買うかどうかも定かでなかったニューアルバムをこの1曲聞いただけで買う気になった。 
その曲のタイトルは、 
”Promises” 
”PYROMANIA”に入っていた”Photograph”を思わせるこの曲で俺は熱狂的なファンに回帰、アルバムの
発売を今か今かと待ちわびた。 
そして6月1日。(ホントの発売日は6月2日) 
遂にニューアルバム”EUPHORIA”が発売された。 
「あの1曲だけだとしても、文句は言わないでおこう。」 
そう心に決めて再生ボタンを押す。 
・・・・・ 
・・・・・ 
一時間あまりして全曲を聞き終えた。 
もう一度聞き返してみる。 
・・・・・ 
・・・・・ 
違いなくデフレパだった。 
懐かしさと嬉しさでなんとも言えない気分で一杯になった。 
これでもか!というくらい彼ららしいサウンドに満ち溢れ、かつての勢いがそこにはあった。 
俺だけではなく、このアルバムを買ったオールドファンの皆がそう感じるはずである。 
どこを切ってもデフレパ。 
ファンの期待を裏切るような曲やアレンジは一切ない。パーフェクトである。 
そして俺は、このサウンド、ソングライト、アレンジは現代のシーンにおいても十二分に通用する! 
という事を確信した。 

このアルバムがまたかつてのようにビッグセールスを記録する事は、今のシーンを考えると難しいかもしれな
い。 でも、これだけのアルバムがもしミリオンに届かないようであれば、 
”アメリカではロックは死んだ” 
という評価を下さなくてはならないだろうと思う。 
でも、俺の中ではデフレパは見事に復活してくれた訳だし、もうそれで十分だけどね・・・ 

再び俺は”LEPS FREAK”になってしまったようです。 
  


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