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![]() BANGKOK SHOCKS SAIGON SHAKES 白夜のバイオレンス (1981) |
「Tragedy」は彼らの代表曲でもありハノイ・ロックスの前身バンド、ニンフォメニアック時代の曲。 |
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![]() ORIENTAL BEAT オリエンタル・ビート (1982) |
脱退の理由は「精神的苦痛によるもの」らしい・・・。 |
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![]() Self Destruction Brues セルフ・ディストラクション・ブルース (1982) |
このアルバムは、未発表曲やデモ・テイク、シングルのB面に収められた曲など、初期のハノイの曲+新曲を集めたコンピレーションアルバム。 アンディはリリースに反対だったが限定盤ということで承諾したらしい。 しかし結局限定盤ではなくなった。 「Beer And Cigarette」のイントロではマイケルのかっこいいハープが聴ける♪ スピード感ある名曲だ! 「Taxi Driver」彼らの代表曲でもあり、私のフェイバリットな曲で何度も何度も歌いました(笑) |
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![]() Back To Mystery City ミステリー・シティ〜ハノイ・ロックスW (1983) |
マリブ・ビーチのヒットによりイギリスで本格的にブレイクし、このアルバムをきっかけに、メジャーのCBSと20万ポンドで契約した。 83年8月イギリスの夏恒例のフェスティバル「レディング・フェスティバル」に参加する。 この年の1月30日には初の日本公演を渋谷公会堂等で果たしている。 またこの年のクリスマスショーとして、ロンドンの『マーキー』で行われた3日間のショーのうち、12月20日のショーの模様をライブ録音&録画し、後に「燃えるロンドン・ナイト」としてリリース。 |
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![]() TWO STEPS FROM THE MOVE トゥー・ステップ・フロム・ザ・ムーヴ (1984) |
彼らにとっては最後のオリジナル・アルバムとなってしまった5枚目のスタジオ・アルバム。 プロデューサーはKISSやALICE COOPERを手がけたボブ・エズリン。 ファースト・シングル「Up Around The Bend」 はC.C.R.のカバー。 このビデオ・クリップの撮影に使用された豪邸は『PLAY BOY』誌もオーナーが所有する物だそうだ。 12月8日 ロサンゼルス、レドンド・ビーチに近いエスプラネート通りで、1台の車が2台の車に正面衝突。この事故をおこした車の運転者はモトリー・クルーのヴィンス・ニールで、同乗者のラズルは即死してしまった。原因は飲酒運転。この時、マイケルを除くハノイ・ロックスのメンバーは(マイケルはホテルで休養)、マリブ・ビーチにあるヴィンスの家でパーティをしていたが、ヴィンスとラズルが買い物に出かけ、その途中の事故だった。真っ先に駆けつけたのはモトリーのトミー・リーとアンディ。 ラズルは享年24歳だった。 翌1985年1月1日にはフィンランドで。ラズルの追悼コンサートが行われる。 この時ラズルの代わりにドラムを叩いたのが元クラッシュのテリー・チャイムス。 この模様はユーロ・ヴィジョンを通じてヨーロッパで放送された。 その後テリー・チャイムスがハノイに加入するが、サムが脱退。 サムの後任としてオーディションでルネ・ベルグが加入するが、結局バンド内がうまくいかず、事実上、この時点でハノイ・ロックスは解散する。 正式には6月9日に解散する。 |
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![]() Hanoi Rocks Story ハノイ・ロックス・ストーリー〜ラズルに捧ぐ (1990) |
'90年2月25日にリリースされたベスト・アルバムで日本のみで企画・編集されたもの(ビデオもリリースされている)。 ハノイ・ロックスの結成から解散までの全ストーリーと、書くアルバムからピック・アップされた、彼らの代表曲で知る事ができる。 解散後だからこそマイケルが明かせた新事実が聴ける。 '89年12月31日、東京ドームでフェスティバル『ファイナル・カウントダウン』が行われる。 マイケル以外の参加者はラウドネス(Voはニイちゃんでなく外人だった・・・。誰だったかは忘れました(笑))、ドン・ヘンリー、ブライアン・アダムス、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース。 ’90年3月30日、横浜・文化体育館を皮きりに、マイケル初の単独日本公演を行う。 その前にマイケルのライブ・ビデオ『ライブ・アット・ウィスキー・ア・ゴーゴー』をリリースするが、それにはマイケルとの握手会の入場券が含まれていた。 勿論Jailも行きました♪ d(⌒o⌒)b♪ |
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![]() Tracks From A Broken Dream トラックス・フロム・ア・ブロークン・ドリーム (1990) |
'90年6月15日にリリースされたアルバムで、日本でのみ企画・編集された物。 当初は限定盤だったが好評で後に、レギュラー盤としてリリースされている。 「Boulevard Of Broken Dreams、Don't You Ever Leave Me、Underwater World」'86年夏にBBCでオンエアされたスタジオ・ライブ・セッションからのテイク。オーディエンス無しのスタジオ・ライブ・セッションだけあって、一見デモ・テープの様に聞こえるが、殆ど一発録りのライブだ。 「Rebel On The Run」はマリブ・ビーチの12インチのB面に収録されていた物。 「Oil And Gasoline」はドント・ユー・エヴァーリーブ・ミーの12インチのB面に収録されていた物。 この曲でBassとパーカッションを演奏しているのはサムとラズルではなくグレイク・ブラウン。 「Shakes」これもドント・ユー・エヴァーリーブ・ミーのボーナス・トラック。かっこいいぞ! 「Malibu Beach Nightmare(Calypso Version)」実はこれがオリジナル・ヴァージョン。 「Do The Duck」マイケルのおどけたドナルド・ヴォイスが聴ける♪ 「Magic Carpet Ride」この曲もBassとパーカッションはグレイク・ブラウン。タンバリンはラズルだそうだ。 「I Love YouとWilling To Cross The Ocean」は『トゥー・ステップ・フロム・ザ・ムーヴ』用のデモ。「Willing To Cross The Ocean」はリメイクされて”Boiler”になった。僕はこちらの方が好き。 「It's Too Late」オリジナル・タイトルは”79No.58”だ。 第1期ハノイ・ロックスのメンバーでレコーディングされているが曲自体はニンフォメニアック時代のもの。 |
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![]() LEAN ON ME リーン・オン・ミー〜ベスト・アンド・レアー (1992) |
このアルバムはちょっと複雑な事情で12〜18曲目が’85年にレコーディングされたデモ・テープからのヴァージョン。 ということは当然ラズルの死後にレコーディングされたということで、(Dr)はテリー・チャイムスで(B)はルネ・ベルグ。 バンドを続けたいアンディと続けたくないマイケルとの間に確執が生まれていき、ラズルの死を利用しようとするマネージャーの考え方に失望し、バンドは崩壊し’85年6月にはハノイ・ロックスは解散してしまう。 「Life's Been Hard」後にチェリー・ボムズで発表されるが元々ハノイ用に作られていた事がわかる。 「Lean On Me」はインスト。 |
![]() Not Fakin' It ノット・フェイキン・イット (1989) |
ご存知「Dead, Jail Or Rock'n'Roll」を含む、マイケルのソロのセカンド。 「While You Were Looking At Me」はリトル・スティーブンスの曲。 「Not Fakin' It」はナザレスのカヴァー。 ゲストにはナスティも参加。 |
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![]() DEMOLITION 23. デモリション23. (1994) |
彼らのルーツでもあるパンク・ロックをシンプルにライブのアグレッシブさに重点を置いたアルバム。 あくまでもソロ作品ではなく、バンドの作品として定義付け、ウィリアム・バロウズ短編集からDEMOLITION 23.と命名する。 「Ain't Nothin' To Do」はDEAD BOYSのカヴァーで、「I Wanna Be Loved」はJohnny Thundersのカヴァー、「Endangered Species」はUKサブスのカヴァー。 日本とヨーロッパ・ツアーの直前にジェイ・ヘミングの交通事故で、代役でナスティ・スーサイドを起用するが、ジャパン・ツアー終了後ナスティが脱退、解散を余儀なくされる。 |
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![]() BUILDING ON TRADITION ANDY McCOY |
DAN LAGERSTSDT-bass,lead&backing Vo GYP CASINO-drums ANGELA NICOLETTI-lead&backing Vo,synthesizers |
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![]() Life Gets You Dirty ライフ・ゲッツ・ユー・ダーティー (1999) |
Produced by Michael Monroe フィンランドに戻ったマイケル・モンローは自分自身が納得できるようなアルバム作りを目指し、自らギターを担当し、セルフ・プロデュースによってこのアルバムを完成させた。 孤高のカリスマ、マイケル・モンローの逆襲が始まる! |
