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渋谷 club asia/2000年9月11日(月) さて、何から書けばいいのやら? クラムボンの新曲には微塵の期待もしていなかったし、 新曲を聴いてみても感動することもなかった。 ただインストアライブでの違和感は、今も 屑ぶり続けていたし、 ライブ前日になっても気持ちが盛り上がらないまま。 不快感をたっぷり残したまま、ライブが終了してくれた方が、 毒づいて文句を垂れ流すだけで済んだのかもしれないが、 どうゆうわけかライブ終了後には何も残りはしなかった。 ある意味期待を裏切られてしまったのだが、 この方が心置きなく諦めがつくというものだ。 商業路線に乗りつつある音楽をわざわざ聴く気にもなれない。 このまま、頑張ってお金儲けに励んでほしい。 今回のクラムボンのライブは “季節はずれの水鉄砲”。 撃たれたって痛くもないし、彼らの音楽には 全く心に響いてくるものがなかった。 あるとすれば、水を引っ掛けられ、ちょっと涼しかったぐらい。 しらばくしたら、濡れたしみも気化して乾き、やっぱり何も残らない。 別にクラムボンのライブが悪かったわけではない。むしろそれなりに良かった。 たくさんのお客は悦んだことだろうし、またライブを観たいとか思ったに違いない。 ただ、私だけが“一抜ける!”ことにしただけだ。 もはや私が聴く音楽でもないし、 好きな人だけが集まってワイワイ聴いていればいいだろう。 去り際に言いたいことを言って逃げてしまうのも、 自分自身どうかと思うが、誰も言わなそうだし、私が言わなくて誰が言う? 勘違いでも傲慢でも結構なんじゃないかな? 提供側と供給側には、 あくまでも金銭的な支払い義務が生じているわけなんだから、 払った金額だけの期待には応じてもらいたい。 こっちだって何も募金や寄付をしてるわけじゃないのだから。 無料なら、“良かった良かった ”で文句を言うつもりはないけど、 今回に関しては“うーん”って感じがずっと続いていた。 お金を払ってまで、クラムボンのライブをまた観たいとは思えない。 期待通りのものを観させてくれるライブって、本当に数少ないのかもしれない。 クラムボンのライブの時に、頻繁に思い浮かんだことは、 ROVOのライブでの、あの昂揚した観客の歓喜の持続。 非変実と現実とのはっきりとした境界付けを行ってしまうのが、 ROVOのライブだった。 ROVOのライブが決して特別というわけでもなく、 ただ現実を見つめ直すための方法を示してくれるだけだ。 ライブの終焉に味わったどうしょうもない喪失感が、 突き放されたままの日常に色を塗り始める |
by Lucy Stone world lucystone@geocities.co.jp