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「S」
いろいろ考えたり記したりはしてきたけれど、
一番大事な部分である、フィッシュマンズの魅力については
全く述べていませんでした。
フィッシュマンズの音楽は空気。 佐藤伸治の歌声は水。
これが、いまの私に言えた
できる限りの感謝を込めた、精一杯のたとえ。
この際逆でもなんでも構わないのだけど、
大切なのが水と空気
どちらとも、私たちの身近に存在しているもの。
それに当り前だけど、水と空気ともごく普通に
知らずにそっと無くてはならないものになっている。
心のすきまが在るのなら、
それを簡単に埋められるものは空気と水。
空気は形そのものがなく、水はどんなものでも 重力が
あるかぎり染み込んでいく。
どんな隙間だとしても、必ず埋められるはず。
人を満たすものが水と空気なら、
私を満たし続けてくれるのは フィッシュマンズの音楽と
佐藤伸治の歌声そのもの。
彼らの音楽が私の中の忍び込んだその瞬間、
なんでこうも自然に入り込めたんだろうか?
その答えはここにあるはず。
「音や演奏、メロディーなどから」
これが一番むずかしい。 今もまったく分かりきってないだろう。
これからも、やはりわからないままかもしれない。 私にはそういった知識は無い。
十分でないこと、知らないことについて、 あたかも知ってるかのように書くことは大変危険なことだ。
ここでは、いさぎよく引き際も弁えたつもりである。
ただ 、ある意味で一番はっきりしていることがある。
フィッシュマンズを聴くのには楽器や演奏技術それらを含めた総合的な知識などそんなもの一切必要無いということだ。
だから、フィッシュマンズを好きになった。
だれが聴こうが必ず何かは残るだろうし、気に入って好きになることもあるかもしれない。
フィッシュマンズの音楽にはそれだけの何かがある。それを最大の魅力と言わずして何というべきだろうか。
「歌詞から」
大袈裟すぎるのかもしれないけど・・
きっと、フィッシュマンズを愛してしまった人達は、これからも未来永劫この音楽を聴いていくはずだろう。
それは単純に、素敵な歌詞が存在しているから。
そして日々の生活の情景を淡々と歌詞の内容にしているから。
歌詞の世界は、どこにでもあるような、そんな在り来たりなことばかりだった。
けど、愛してしまったとか聴いていくはずとか、そんなことは誰もがどうでもいいこと。
その事実に結構打ちのめされてきたけれど、佐藤伸治が作り上げた歌詞観には人を呑み込む力があった。
欲しかった言葉、疎外感を消し去るような感触、共有を試みれた孤独。
思ってたもの、望んでいた錯覚。
佐藤伸治はある種の歌の中で、人がふと魔が差したように感じ思う事だけど、決して大っぴらに言えるようなことじゃないことを歌詞にしてきた。
そして、そんな曲をわりとさらりと歌ってしまっていた。
ひた隠しにし、目を背けたい。できれば知らないままで気づかない振りをしていたかった。
その方が何も変わらず幸せであれたのに。
敢えてというか、もうその事実に直面するより他なかったのだろう。
それは辛く厳しいことかもしれない。
だけど、同時に生きてゆく側面をしっかり照らし、暮らしを素直に輝かしてくれる。
それはごく簡単なことであるかのように、佐藤さんはいつも歌ってた。そんな気がしてならない。
「不安定な自分から」
書き方や書き順としては、かなり壊れてきたようでもあるが・・・。
私がとことん
"フィッシュマンズが好きだ!"と
いうことは理解していただけただろう。
「なんでこんな事をしてるのかな?」と、考えてみると、
私以外つまり誰でもいいから、
他人のフィッシュマンズへの想いが聴きたかったせいかもしれない。
フィッシュマンズが好きな人がわりと経験してきたこととして、
周りにフィッシュマンズが好きな人、もしくは知ってる人は全くいないということ。
(ここでは己で開拓し元から好きな人。自分で薦めて好きにさせた人は含まない)
自身の経験では知ってた人が数人で、好きな人には出会ったことはない。
太いコネや人脈があるわけでもないから、これが全てというわけではないけれど、
やっぱり出会ったことはない・・・寂しい。
フィッシュマンズを薦める会・会長になったつもりで、
「聴いて聴いて」と頑張ってみるも、その効果はイマイチない。
そんなわけで、「知る人ぞ知る伝説のなんとか」みたいな形容をされてしまう。
実際に、どこかの雑誌に「伝説のなんとか」みたいな宣伝文句が載ってて
「ついに行くところまで行ってしまうの?」と、茫然自失となった。
だいだい、「知る人ぞ知る」とは、一体なんぞや?
"ウキー!!"って、私が怒ってもなんにもなんないけど、
そういう方向に向かっちゃうのは仕方ないことなのかな?って思う。
「フィッシュマンズの音楽はどんな感じなの?」
という問いに、よく戸惑ってきた。
「ジャンルで言えばダブ/レゲエかな」
と、返してみても
「ふーん、レゲエなんだ」
と、手ごたえの無い返事をされてしまう。仕方なく
「良かったら聴いてみて!」と言えたのも最近までで
「そうだね・・・気が向いたら聴いたら」
と、今では弱きなことしか言わなくなった。
フィッシュマンズの音は本当に例えようが無い。
"いい!"以外でしっくりくる表現が欲しい。
そんな折に白羽の矢が立ったのが癒しという単語であった。
しかし、ここに問題がある。
果たして癒しの音楽なのか?そんなことはまずないだろう。
別に癒されたくて、
フィッシュマンズの音楽を聴いてるわけじゃないし、
フィッシュマンズも癒したくて音楽を作ってきたのだとは思わない。
背中を押してくれたり、前向きに生きるためのちょっとした支え。
あれもこれもあってもいいどうでもよさ。
癒しという表現にも抵抗を感じてならないけど、それ以外の言葉も思い浮かばない。
あるのはただ、かっこいい音楽と心地いい場所。
いい音楽があれば暮しはたしかに光り出す。 だけど光は浸透しすぎてはならない。
白く映る世界は眩しすぎ
心の全部をえぐり出す。
目の前にさらけ出してしまった
真っ白い自分の陰に 今も苦悩し、追い込まれている。
こんな答えの見つからない白昼夢が、 何時か
解決するときこそ
音楽を聴かなくなる日だと思う。
フィッシュマンズとは、 私にとってそんな光り具合をしている。
原文:12.08.1999
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