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銀色夏生
銀色夏生さんについて、ちょっと書いてみました。 銀色夏生さんにふれた箇所が少ないわりに、文章は長くなっています。 このページはあくまでも、フィッシュマンズ経由をしてしまいます。 銀色夏生発・フィッシュマンズ経由・佐藤伸治行なんです。 (銀色夏生さんのファンの方、ごめんなさい) 銀色夏生さんは6・7年前に角川文庫から発売されている 「Balance」か「これもすべて同じ一日」か「春の野原 満天の星の下」を購入しました。 どれを最初に購入したのかは覚えていません。 表紙を見て「いいかも」と思い、中に書かれた詩も好みにあったので、購入したように覚えています。 当時は、表紙を捲って最初の所に書かれた本の要約みたいな紹介文に強く印象を受けました。 説教臭くもないし、すごく共感できる。 ありふれたことをさらりと言っている。 ちょっと空かした文章がまぶしく見えました。 私もこういう言葉で喋りたいな、と考えたものです。 今も本を買うという行為はさほどしません。 図書館で借りられるものは 全て借ります。読めるだけでいいのです。 お金もたくさんあるわけでもないですし。 ですから、 本に対する所有欲はまったくありません。 (音楽に対する所有欲は人一倍ありますが) 高校の時は、銀色さんの本を古本屋で2冊ぐらい、 高校の図書館に唯一置いてあった1冊を読んだ程度です。 高校の図書館にもっとたくさん銀色さんの書物があれば、 確実に読んでいただろうとは思います。 のめり込むには何かが物足らず、本を買わせるまでの魅力にも気付かないままでした。 けれど、銀色夏生さんの詞は好きですから。 高校の図書館で読んだ本が、「月夜にひろった氷」でした。 鮮烈な記憶として忘れることのない経験です。 (重複してしまう箇所もあるので、よろしければこちらもお読み下さい。) 図書館で借りた本でしたから、 「詩を空でも言えるように」と、何度も繰り替えして読みました。 ほとんど暗記したつもりだったのに、つい最近まで 終わりの一行しか覚えていなかったりします。 「私の記憶はだらしなく頼りになるものではないなー」と、笑っちゃいました。 終わりの一行を言えるような機会をずっと待っていたし、 私もあんな言葉も言いたかった。 そんな決意も薄れかけ、「月夜にひろった氷」を思いだし、 ついにこの詩集を買うまでは、 一切銀色夏生を読んでません。 真っ正面から真剣に読むにはちょっと恥ずかしいのもありましたし、 もういい大人になっていました。 歳を重ねていくうちに、選ぶことを止めてしまうものが多くなってしまいます。 忘れたわけではないけど、置いてきたもの。 走って取りに行けば何時でも間に合うものなんです。 けれど、思いだした時には決まって、取り戻すには遠離り過ぎたことに気付くのです。 必要がないと言えばそうかもしれなかったし、居場所もなかったのかもしれません。 あー、一体どうしたかったんだろう? 佐藤さんのことがなければ、再び銀色さんの詩にふれることはなかったと思われます。 私は弱い人間ということは、もう自分でも承知していますが、 やはり何かに縋りついていないと、 うまくいかないことが多すぎます。 フィッシュマンズが終わったのではなく止ったという感じなのです。 再びこの動きを進めるために、銀色さんの詩のことを思いだしました。 都合が良すぎますね。本当にあのどうにもできなさを、少しでも忘れるために 銀色さんに頼ることを選びました。 だから、銀色さんのことを語るのは不純です。 私は心から好きということに後ろめたさを感じてしまいます。 好きといえば、間違いなく大好きです。 けれど、この好きには距離を置いてしまいます。 欲しいものもたくさんあるけど。今の私には必要ないものもたくさんあります。 詩も限られてしまいますし、主となっている類いの詩も必要ではないのかもしれないです。 フィッシュマンズがあって、銀色夏生さんですので 個のことは知らなくても構わないのです。 私が求めているのは一時的な現状打破としての詩。 ふたつの詩集 でも書きましたが、佐藤さんの詩と、銀色さんの詩は かなり似ているような錯覚を起こしています。 銀色さんの今のことは殆ど認識していないので、 似ていると言うのは間違いかもしれないですね。同じ方向にあったというべきです。 「月夜にひろった氷」を初めて読んだのは今から4年前です。 頃を同じく、私はフィッシュマンズにも出会っていました。 あの時の私は狭い世界の中でも貴重な出合いを繰り返すことができました。 必死に生きていた感触をこの手につかんでいたことを幸運に思います。 私が欲しかった詩というのは、この上もない孤独ではなく、 ありふれた日常のなかでの心の葛藤でした。 佐藤さんの詩は人生にはたくさんの選択肢があること、 いくら絶望の淵に陥ようともかならず残された道があることを。 銀色さんの詩は、生きるゆくことに 賭けてみるだけの価値はあることを教えてくれます。 人の感じ方というものは個々によって違うからこそ面白いのです。 今の私はこう感じたのです。 「孤独は他人と共有すべきものではない」 矢野顕子さんはそう語っていました。この言葉を聞いた時、 やっと落ちきれた気分になれました。 これは、私が求めてきた正反対の答えです。 自ら孤独を作り出し、この孤独を他人と共に分け合って、 一緒に救われなければならないと考えてきました。 そうではなかったのです。元凶はここにあったのです。 孤独から生み出されるものは、自己のみから抽出された 心の揺れによってたどり着いた最果ての風景。 そんな文章なんて誰も読みたくないことを、私はすでに知ってしまった。 |
(2000.04.03 追加)
by Lucy Stone world lucystone@geocities.co.jp