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「ゆらめきIN THE AIR」は、なんていうか在るべくして作られたというような歌だと感じる。 『宇宙 日本 世田谷』からの、今までからの延長線上でありながら、まったく異なる可能性を示してくれた。決して上手に言えないだろうけど、「ゆらめきIN THE AIR」を聴くだびに「あー、この曲なんだよなー」と思う。佐藤伸治がやらかした最後のとんでもないこと。そのゆらめきIN THE AIRが在ることを感謝します。 佐藤伸治の歌声はありふれた天気のことや毎日の暮しについて。人と人とのつながりとか、日常のホントになんでもないことをこの上もないことのように歌っていた。 佐藤伸治自身が言うように 「『すごくいいんだけど、こわい』みたいなのって基本というかさ。以下略」(『米国音楽』第二号より)、 フィッシュマンズの音楽には良いんだけどこわいと思わせてしまう部分があった。そのこわさが顕著に現れ、同時にすごく気持ちいい心地よさを味わいさせてくれた歌が「ゆらめき IN THE AIR」であった。 「ゆらめき IN THE AIR」はフィッシュマンズの歌の中でも特別な存在だと想う。だが、どうしてこの歌を特別なものとして見てしまうのだろうか?その大きな原因について考えてみたい。 歌詞の怖さや重さ、精神の危うさ。人々が目を背けて、気付かない振りをしようとしてきたことを平然と言っている。シンプルで同じパートの繰り返し。暴れ狂う音の共振。 最新シングル曲でもあり、佐藤伸治が歌う最後の曲となってしまったこと。あの日の記憶、佐藤伸治の突然の死・・・ 後から意味付けされてしまったものがあまりに多すぎたから、この歌に特別な想いを感じてしまうのかもしれない。 そして、原因のもう一つの側面として私自身の事もある。音楽は想いを残してくれた。この曲を聴く度にあの頃の自分の状態というものを思い出す。当時かなり酷い状態に追い込まれていた私に、「ゆらめきIN THE AIR」がそっと差し伸べられた。 やっと救われたような気がした。当時の自分は必死の覚悟でこの歌にすがった。 この歌を何度も繰り返し聴き、四六時中頭の中でも響いていた。もう出口は見つかったつもりでいた。 けれど、何もかもが錯覚だった。 あの頃からなにも変わりはしない。ただ、もがき続けていただけだった。私が見つけたものは絶望の姿をした核心だった。 終わりに「ゆらめき IN THE AIR」について、佐藤伸治自身が語っていたことを書かせて頂く。 「当然のように続く日常。そしてもしかしたら突然、そして当然のよう にやってくるかもしれないひとりぼっちの世界。それは当然の報いなの かもしれない。そしてそれは自分にはどうすることもできず、きちんと した考えを持って明日にいかすこともできず、また当然のように明日を 迎え、楽しくやっていく。そんな時自分を必要としてくれる人が側にい ることを幸せだと思い、自分がミュージシャンでいられることを誇りに 思う。 そんな今自分がおかれた状況が当然のことと思えると同時に、 あまりに奇跡的なことにもおもえる。そんなことを思った歌です。」 再転載なのでこうして紹介していいものかと悩みました。 この文章の出所を調べてみましたが結局分かりません。 しかし、この文章を知らない人や知りたい人のために記載します。 私がこの文章を初めて読んだ時の感動を伝えるために。 12.01.1999 文 lucystone 1991-1994 singles&moreへ |
by Lucy Stone world lucystone@geocities.co.jp