これは学校のレポート用に書いたものですが、我ながら少し(笑)面白いと思ったので、加筆修正して載せることにしました。

たまに不可解な単語が出てきますが、心理学用語なので諦めてください(笑)

毒舌を言われた時、相手によって心情が変わる理由は、発言者が好きか嫌いかに集約されるであろう。

仲がいい相手なら「気心が知れているからこそ言うのだろう」と思うし、嫌いな相手なら
「余計なお世話だ」と腹が立つ。

ここで不思議なのは、腹は立つが気にはならない。

多分、自分にとってどうでもいい相手だからだろう。

逆に仲のいい相手の場合、腹は立たないが落ち込む確率が高い。

素直に受け止めるからだ。

私も親友に散々言われて落ち込んだものだが、腹が立ったことはない。

心配しているからこそきついことを言うのだと、分かっていたからだ。

社会心理学的に考えると、これは送り手の要因に当てはまる。

例えば新薬の効果を批評した時に、医学雑誌なら内容を信じるだろうし、大衆紙なら大げさに書いているのだろう、とあまり本気にはしない。

これはそのまま好きな人、嫌いな人に当てはめることができる。

嫌いな人の意見など、例え正しかろうがどうだっていいのだ。


次に自分とは立場が違う人―相手が芸能人、著名人、偉い人の場合を考えてみよう。

毒舌といえば、俳優の毒蝮三太夫が有名である。

「ババア、死ね!」と必ず言うが、言われた方は怒るどころか喜んでいる。

私は婆さんではないので喜ぶ気持ちが分からないが、婆さんになったつもりで考えてみることにする。

老人は普段相手にされることが少ない。

世間は若者のためにできているのだ。

時代劇や寄席は見ていて楽しくても、参加はできない。

しかし毒蝮は、しっかり自分を見てくれる。

埋もれていた老人を主役にしてくれたのだ。

辛辣な言葉を浴びせても、心がこもっている。

死ね、と言う事で生きる気力を与えているのだ。

最近出てきた綾小路きみまろも、サラリーマンにスポットライトを当てた。

サラリーマンは日本の経済を支えている割に地味だ。

中高年は肩身が狭い。

そこへきみまろが現れた。

つらい生活を全部笑い飛ばすことで、元気になれるのかもしれない。

まぁ、勿論この人たちが大嫌いという人もいるだろうけども。

さて、これらを政治家が言ったらどうだろうか?

一斉に責められ、テレビの前で平謝りし、即刻クビである。

なぜだろうか?

それは、こういう発言をしてはいけない立場だからである。

政治家は政治だけをやっていればよい。

もしも毒蝮のように「ババア死ね!」などと言ったら、「景気も回復できないくせに、お前こそ死ね!」と国民は怒るだろう。

私ならそう言う。

それ以前に、私は総理大臣というポジションが嫌いだ。

小渕首相の時は、友達と暗殺計画を考えるほど大嫌いだった。

死ねとか言い続けているうちに、本当に死んでしまったけれど。

今となっては何故そこまで嫌いだったのかすら思い出せない。

話はずれたが、ただでさえ反感を買いがちな政治家は、毒舌的発言などしてはいけないのだ。

反対に、芸能人は毒舌すら商売道具なのだ。

だから許されるのである。

しかし、芸能人だったら誰でも許せるというわけでもない。

一昔前ならサッチー、今はデヴィ夫人などが、もっともらしく色々なことにケチをつけているが、ただの夫人のくせに偉そうなことを言うな、と思う。

この人たちは夫が偉いのを自分も偉いんだと勘違いしているのだ。

SEMモデルの反映過程に似ている。

フロイトの同一視である。

このように芸能界でも地位のようなものが存在する。

和田アキコが言うなら納得できるが、えなりかずきが言ったら納得できない、という風に。


結局、発言者が好きか嫌いか、社会的地位があるかないかによって、受け手の心情が変わるのだと思う。

私は、毒蝮やきみまろ、サッチーやデヴィ夫人に毒舌的発言をされても何とも思わない。

好きとか嫌い以前に、どうでもいいからだ。


全てのものに同じ反応をしていたら、それはロボットと同じだ。

そしてそれは人間である限り不可能である。