橘少将さま。何故私の元に来てくださらないのですか?あんな小娘より、私の方が余程貴方さまを喜ばすことができるというのに。

ああ、憎い!龍神の神子!


「平和だなぁ」

縁側に座りながら、あかねは呟いた。

最近はアクラム達も襲ってこないし、長閑な日々が続いている。

こうしていると京に危機が迫っていることなど、嘘のようだ。

「藤姫とお喋りでもしようかな?」

立ち上がろうとした時、門の方が騒がしくなった。

誰か来たらしい。

あの背の高い優雅な身のこなしは・・・

「友雅さんだ!」

自然に顔が緩む。

友雅は、あっという間に女房に囲まれていた。

絶大な人気なのだ。

雅やかにあしらいながら、友雅は庭にいるあかねを見つけた。

にっこりと笑うと、真っ直ぐに向かってくる。

と、一人の女房が縋り付いてきた。

双葉という名前だ。

「少将さま。私達の相手はしてくださらないのですか?」

「悪いが、姫君が待っているからね」

「神子様は毎日のように少将さまと会われているではないですか。たまには一緒に・・・・」

必死で引き止めようとするが、友雅は柔らかく、しかしきっぱりと拒否した。

「無粋なことをするもんじゃない」

手を離させて、立ち去ってしまう。

双葉は俯いて、唇を噛んだ。


「ご機嫌はいかがかな?姫君」

「こんにちは。女房さんが御用があるみたいでしたけど・・・」

「ああ、大したことではないのだ。気にしなくていいよ」

「そうなんですか?それにしても相変わらずモテますね」

感心するように言ったあかねに、友雅は緩く笑った。

「おや、やきもちかな?」

「えっ?ち、違います!」

「ふふ。つれない人だねぇ」

遠目で二人のやり取りを見ていた双葉は、哀しげにため息をついた。

少将様は、もう私達を見ては下さらない・・・・


何日かたった後。

あかねは天真と一緒に部屋にいた。

床の上に、紙が散らばっている。

「お前、へったくそだなぁ」

天真があかねの描いた絵を見て、笑った。

「なによー。天真君だってそれ何?」

最初は文を書く練習をしていたのだが、飽きてしまって絵になったのだ。

藤姫の似顔絵をそれぞれ描いたのだが、慣れない筆は扱いづらく、結果は散々だった。

藤姫が見たら、怒るかもしれない。

「よし!どっちが似てるか聞きにいこうぜ!」

そう言って立ち上がりかけた天真を、あかねは慌てて引き止めた。

「これを?!もう1回描いてからにしようよ。これじゃ藤姫も怒るよ」

「そうかー?ま、いいけどな」

このやり取りを、たまたま通りかかった双葉が見ていた。

あかねはいつも御簾を開け放しているので、部屋の中が見えるのだ。

橘少将様に目をかけていただいているのに、他の男にまで媚を売るとは!

龍神の神子といったって、一人では何もできない小娘ではないか。

許せない。

瞬きをするのも忘れて見つめていた双葉に、他の女房が声をかけた。

「何をしているの?ちょっとおつかいに行ってきてくれない?」

「は、はい・・・・」

双葉は慌てて部屋から目線を逸らした。


少将様。 私はこんなにお慕いしているのに・・・・

用を終え、屋敷に帰る途中だった。

「そこの女・・・・」

ふいにしわがれた声がした。

驚いてそちらを見やると、ぼろぼろの服を纏った汚らしい老人が立っていた。

物乞いのように見えるが、それを否定するような眼光の鋭さを持っていた。

「何か御用?」

「そなた、憎んでおる相手がいるのじゃろう?」

ずばりと言われて息を飲む。

「どうしてそれを・・・」

「ふぉっふぉっ。顔を見れば分かる。暗い嫉妬の炎が立ち上っておるわ」

「・・・・・」

「手伝うてやろうか」

「え?」

「憎い相手を殺す手伝いをしてやると言うておる」

「そんな・・・殺すだなんて」

「憎い女子が死ねば、男はお主のものじゃぞ」

「私のもの・・・・」

双葉はとりつかれたように呟いた。

「そうじゃ。わしの言うとおりにすれば簡単じゃて・・・」

「・・・・教えて」

老人の顔が醜く歪んで、口から黄色い歯がのぞいた。


さっきまで部屋に友雅がいた。

何か飲み物を貰ってくると言って、部屋から出ていったのだ。

外はもう暗い。

あかねはなんとなく嫌な予感がして、御簾を下げるために立ち上がった。

御簾に手をかけた時、誰かの手があかねの腕を掴んだ。

「っ!」

名前は知らないが、何度か見たことのある女房だった。

しかし、女の口は血で濡れていた。

手には犬の首を持っている。

おそらく犬の血を啜ったのであろう。

あかねは悲鳴をあげることもできずに、じりじりと後退った。

「憎い娘・・・・少将様を返して・・・」

「・・・少将様?友雅さんのこと?」

「許せない。殺してやる!」

「いやっ!」

双葉が手を伸ばしてきて、あかねは目を瞑った。

そこへ丁度友雅が戻ってきた。

「神子殿!?」

「友雅さん!」

双葉は、はじかれたように友雅の方を見た。

「神子殿から離れろ」

「橘少将様・・・何故この女にばかりかまうのですか?神子だからですか?」
双葉が悲しげに問う。
「違うよ。この姫君が大事だからだ」
「私はこんなにも貴方様をお慕いしているのに・・・・この娘さえいなければ!」

叫びと共に口が裂け、歯が伸び、牙のようになる。

こめかみがもこり、と蠢き、角が皮膚を突き破った。

「いけない!神子殿!」

あかねを庇うように、友雅が立ちはだかった。

「助けてあげられませんか!?」

あかねが泣きそうな声で聞く。

友雅は心の中で苦笑した。

自分が狙われているというのに、まだ相手の心配をしている。

「もう駄目だ。あの女は生成りになっている」

「なまなり?」

「説明は後だよ」

懐から小刀を出す。

「咬うてやる!」

生成りとなった双葉が、友雅に飛び掛ってきた。

「嫉妬に狂ったか。可哀相だが、私の大事な姫君を傷つけるわけにはいかないからね」

刀を出したものの、やはり女性を切ることは躊躇われた。

その隙をついて、双葉が腕に噛み付く。

一瞬考え、友雅は双葉を抱きしめた。

「もっと誠実な男を好きになればよかったものを・・・・」

その声を聞いて、双葉は我に返った。

あんなにも恋焦がれた相手が、私を抱きしめている。

「少将様・・・・」

双葉の目から涙がこぼれた。

「私のせいですまなかったね・・・・しかし君の気持ちには答えられないよ」

友雅の優しい言葉に、双葉は首を振った。

そして刀を持っている腕を取ると、静かに自分の首に刃をあてた・・・・


「どうしてこんなことに・・・・」

あかねは泣きそうな声で呟いた。

「怖い思いをさせて悪かったね」

「それはいいんです。でもあの女房さんが可哀相で・・・・」

「・・・そうだね。悪いことをした」

「どうしてあんな風になってしまったんですか?」

「嫉妬にその身を委ねてしまったのだよ。心を喰われて生成りになってしまったのだ」

「生成りって何のことですか?」

「般若になる一歩手前の状態のことだ。半人半妖というところだね。だからこそ人間の心が残っていた・・・」

「・・・・・」

「この前の話を覚えているかい?」

唐突な質問に、あかねは首を捻る。

「この前?」

「鬼は人の心の中にいるのだと言っただろう?」

「・・・あの女の人の中にも鬼がいたということですか?」

「人には誰しも鬼が棲んでいるが、滅多なことでは鬼にはならない」

「・・・いつなるんですか?」

「それ以外術がない時に、人は鬼になるのだ・・・・」

「・・・・・」

友雅は自嘲気味に笑った。

「・・・私もあの女性と同じようなものだ」

「友雅さん・・・?」


逢う度に強くなる、この暗い炎

君をこの手に入れられるのなら

私は鬼にでもなってみせる