何故あんなことを言ってしまったのか。
彼を責めたところで、どうにもならないのに。
私は医者失格だ。
カカシさんを怒らせてから、ここ数日ずっとそんなことを考えていた。
医者は相手を否定してはいけないのに。
全てを肯定しなければいけないのに。
でも、と思う。
私は彼を否定したわけじゃない。
気づいて欲しかったのだ。
何に?
分からない。
今日の患者はヘビーだった。
暗部の男。
勿論、面はつけていない。
いつもは割と明るいのに、今日は沈痛な面持ちだった。
「仕事以外の話でもいい?」
「いいですよ」
ここでは何を話してもいいことになっている。
暗部の中には、任務の内容を克明に話す人間もいる。
どうやって相手を殺したかなんて聞きたくはないが、仕事だから仕方ない。
もしかしたら下手な忍よりは、暗殺の知識を持っているかもしれなかった。
嬉しくはないけど。
だから世間話をしてくれた方が助かる。
「俺のとこさ・・・子供が生まれたんだ。もう三ヶ月になるかな。でも妻が言うんだよ。その血まみれの手で、この子に触らないでって。俺はまだ一度も子供を抱いたことがない」
思いがけず、内容は重かった。
淡々とした喋り方が、余計痛々しい。
何と言ったらいいのか、分からなかった。
彼はきっと自分の手のひらを見つめたことだろう。
妻は何を言っているのだろう、と思いながら。
日常的に死と向き合う機会が多いものほど、血に対しては無関心になる。
「血が消えないんです!」と強迫観念に取り付かれる者は、中忍や下忍に多い。
自分以外の血を受け止めきれないから。
「昔から奥さんは貴方の仕事に否定的でしたか?」
「いいや・・・前は寧ろ尊敬されてたよ。里を守る立派な仕事だって。子供が生まれてからだよ。貴方は呪われてるって、毎日言うんだ。俺はどうすりゃいいんだ?」
「貴方の道は二つあります。暗部を続けるか、それとも辞めるか」
「・・・やっぱそうだよな。火影様にも勧められたよ」
男は苦笑して、そしてどこか暗い笑みを浮かべた。
「でももう・・・普通の任務はできそうにないから」
「・・?」
男の言葉の意味を、私は理解できなかった。
マタニティブルーだろうと奥さんの受診を促して、診察は終わった。
私はどうしてこんなに無力なのだろう。
私ができることといったら、相手を絶望に突き落とすことだけだ。
仕事が終わって病院から出ると、壁に誰かがもたれていた。
私の姿を見ると、駆け寄ってくる。
「あ、さん!」
「イルカさん・・・でしたよね?」
「はい!覚えていてくれたんですね」
彼は心底嬉しそうに微笑んだ。
私はまた見惚れてしまう。
今日一日のことを、全て忘れてしまうような笑顔だった。
「ずっと・・・迷ってたんです。訪ねて行こうかと。でも、ご迷惑かと思って・・」
「そんなに気にすることないのに。私が一日に診るのなんて数人ですから、大半は暇なんですよ?」
暇、とまではいかないが、一日に数人しか診ない事は事実だった。
流れ作業のようにやるわけにはいかない。
一人一人の心の深淵と向き合わなくてはいけないのだから。
「でも御邪魔しちゃ悪いから。というか待ち伏せみたいになっちゃってすいません!」
いきなり彼は頭を下げる。
こっちが慌ててしまった。
「頭なんか下げないでください!私に用だったんでしょう?もしかしてずっとここにいたんですか?」
夕方とはいえ、まだ暑い。
彼は曖昧に微笑んで、答えない。
そして一度大きく深呼吸した。
「さん!あの日言えなかった事を、言わせてください」
「はい?」
「貴方が好きです。一目惚れでした」
スキデス。
初めて聞く言葉みたいだった。
理解するまでに、たっぷり十秒はかかった。
「・・・・えぇっ!?」
「俺の事は嫌いですか・・・?」
「そ、そんなことないです!嫌いなわけないじゃないですか・・・」
「もう恋人がいるんですか?そうですよね・・そこまで考えてなかった・・・」
イルカさんは勝手に勘違いして、どんどん沈み込んでゆく。
重く垂れ込めた黒い雲が、見えるようだった。
「いませんてば!イルカさんて結構思い込み激しい方でしょう?」
つい失礼なことを言ってしまい、慌てて口を押さえる。
取り繕うように、続けた。
「私はまだ返事してませんよ?聞かなくていいんですか?」
「へ?あ、聞きたいです!」
純情な彼にちょっと意地悪したい気持ちになって、腕を絡ませる。
彼の体が固まるのが分かった。
「ご飯一緒に食べましょうか」
「え?」
「それが答えです。それとも嫌ですか?」
悪戯っぽく、顔を見上げた。
彼のぽかんとした顔が、泣きそうに歪む。
「・・・いいえっ!喜んで!」
私の答えは、きっと最初から決まっていた。
彼の笑顔に見惚れた時から。
それに。
イルカさんといれば、彼のことを考えなくてすむから。
