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高度3000mの生存本能 〜飛行機に乗るなら窓際に座れ!〜 |
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ここの所の激しい出張続きで、飛行機に乗る事が多い。まあ、ジャンボからコミューターなんていう、聞こえは良いが、ぶっちゃけプロペラ機まで、よくまあ飛ぶ物だと思う。 で搭乗手続きなんて言うのがあると、必ず通路側か窓際かと聞かれる。大多数の人が思う筈だと信じてる。やっぱり飛行機は窓際だと。窓際と通路側に¥500くらいの差があっても良いように思う。それくらいの価値はある。本来人間が見る事は出来ない光景なのだから。織田信長だって空からの景色見せますよ、と言えば、きっと加賀百万石の一つや二つはくれた筈だ。 ところが私は、軽い高所恐怖症である。つまり窓際から外を見ると足の裏にじんわりと嫌な汗をかく。特に離陸の時だ。何度乗っても「もう戻れないぞ」と思う。ふわりと浮かんだ瞬間。重力から開放されるのか、見放されるのか分からないけれど、そう言った瞬間に過ぎる思いは大きい。徐々に小さくなっていく街並み。船やら岸辺やらが箱庭かジオラマに見えてくると不安になる。なのに僕は窓際にいる。 この視線は危険だ、と思う事がある。高層マンションに住む人は、徐々に感覚を麻痺させて感情移入が下手になるなんて話を聞いた事があるが、そういう人もいるに違いない。正しく、これは神の視線だ。黒沢明の映画を称してビートたけしは、「影武者」から黒沢明は人間を描く事がなくなった、と言い放った。空から写す神の視線を持った時点で、黒沢の映画はつまらなくなったというのだ。この視線は危険なのだ、やっぱり。 で、話は変わるが、時々飛行中に高度が表示される事がある。3000メートル位まで上がって行く。凄いよ、50Mの600倍である。そんな高さに居れば危険を感じて良い筈だ。3000Mの高さでトイレに行こうとしてよろけたりするのだ。異常な世界じゃないか。しかもスチュワーデスにいたっては、高度3000Mで「ジュースにスープ、ジャワティーストレート等がありますが」等と言い放つのだ。そして「すみませんコーヒーはありませんか?」等と聞いたりもする僕。シュールじゃないか。 仮に、高度3000M上空に居る事を認識しているサルがいたとする。彼はどうするだろう?歯を剥き出しにして喚き続けるに違いない。ましてや、ちょっとでも揺れたり、機体が傾いた日には相当な事になるに違いない。それが動物の本能と言うものだと信じる。 時々、揺れると再び嫌な汗を掻く事がある。危険を察知しているのだ。そんな瞬間、僕は自分がまともだと思う事がある。分かっていても翼が歪んだりしているのも見れば、嫌な気分になる自分がいとおしい。 機体が揺れた時、ふと横を見れば平気のへの字でコーヒーにシュガーを入れている男がいる。彼を責めるつもりもないが、大人だと思わない。彼は動物としての生存本能を捨てたのだ。高度3000Mである。動物である以上、動揺する自分を誇らしく思う。 そして、窓から見る雲や、そこから覗く富士山にちょっと小踊りする自分を一人間として嬉しく思うのだ。笑えば良い。笑えば良いじゃないか! |