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やっぱりアメリカは品がない? 〜J・ハイアットの「クロッシング・マディ・ウォーターズ」を聴いてアメリカの音楽に思いを馳せる〜 |
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ジーパン!ジージャン!バンダナ!ハーレー!キャデラック!ハイウェイをぶっ飛ばせ!とびきりの女はべらかして!(ex レッド・ウォーリアーズ) 端的にアメリカンロックという言葉から連想される言葉達。ビートルズを入り口として、キンクスやゾンビーズやらを通過して、ニューウェイヴ系由、ネオアコ行きの特急に乗った僕にとってのアメリカンロックという言葉の含む意味はこんな所だったのです。僕にとって真のアメリカンシンガーは、デイヴ・リー・ロスです。ある意味、彼がやっていたラスベガスのショーは、本気で見てみたい。 黒のスーツでばっちり決めた物憂げなイギリス人の繊細さに比べ、なんてアメリカは大雑把で無神経なのだろう?アメリカ?3%の世界をも動かすエリートと97%のポテト野郎達の国じゃないか!(国際問題レベルの爆弾発言)ハンバーガー食って、固いステーキをかじる人種だろ?繊細さを求める方が無理だって(これも偏見)世界は自分達中心に回ってるって思い込んでる身勝手な国だよ!(これは結構当たってる) この印象は、今も変わりません。本日も反省の色無し(EX ダン池田)なのですが、周囲からは不思議がられます。アメリカ嫌いの癖して、アメリカの現代史が大好きというのはどういう事なのか?それは可愛さ余って憎さ百倍という事なのか?と聞かれるのです。 ここで説明させて貰えば、僕はアメリカを一つの国だと思っていません。人種の壁を越えるという無謀な計画を永遠に続ける実験場です。ワスプが、黒人を大量に奴隷として連れ込んだ時から、もしくは、様々な国の人が移民として移り住んだ時から、実験がスタートし、ずっと続けている国だと思っています。だからこそ面白い。彼らは真剣に世界が一つになる(する)シュミレーションを繰り返しては失敗しているだけなのです。で、その勇気に拍手を贈り、そして呆れるのです。 ベトナム戦争という悲惨な戦争から、素晴らしい映画や音楽が生まれたように、この人種の強烈な摩擦は一つの偉大な果実を実らせています。その一つがアメリカンミュージックなのです、きっと。JAZZ、カントリー、R&B、ファンク、ラグタイムetc。アメリカに根付いた音楽を辿っていけばアイルランドにもアフリカにも、フランスにも様々な所に行ける気がします。それは素晴らしい事でもあり、哀しい事でもあるかもしれないなあ、と思うのです。 アメリカの音楽の強みは、この豊かな土壌にあります。ニューオリンズへ行った時に感じたのはフランスの文化も黒人の文化も、ブードゥーも、白人の傲慢な文化もごちゃ混ぜにあって、それが混在している事でした。一つの物に固まらないけれど、バラバラに存在して一つの器にてんこ盛りになっているのが素敵だと思うのです。 少なからず感化されるのです。そういう所に居れば。それがアメリカンミュージックだと思います。いわば寄せ鍋のようなもので、アメリカンミュージックとは、カニや豚肉など、鍋にぶち込まれた具材から出た濃厚なスープのようなものではないかと。 前置きが長くなりましたが、ここの所、本当にアメリカンミュージック(敢えて、こう書きます。アメリカンロックとは呼ばないで)を良く聞くのです。JAZZ、ロック、カントリー、何でも良い。シンプルな演奏の奥深くに軽やかに流れる伝統や豊かな音楽性が見えるものが楽しくてしょうがない。 先日買ったJ・ハイアットの「クロッシング・マディ・ウォーターズ」を聞いていてゾクゾクしました。「Bring the family」「stolen moments」「slow turning」と怒涛の名盤を出していた頃の歯切れの良さが戻って来ている。親父の底力爆発。相変わらずのハイアット節。演歌歌手のようなこぶしとシンプルなギター。今作の新趣向と言えばバンジョーとベースしかいない事。歌自体は普通に聞けばアメリカンロックとしか聞こえない。ただ、そのシンプルさの中に様々な音楽の断片が見えてくる。アイルランド民謡は勿論、JAZZっぽいフレーズや、カントリー、ラグタイムっぽいバックトラックなど。知らず知らずにアメリカから吸収した音が漏れ出ていて、微笑まずにいられない。 以前、インタビューで見たJ・ハイアットは、当時ヒットしていたプリンスの「パープルレイン」を歌い、「俺が歌えば、俺の歌になる。ブルースは歌い方なんだ」と言っていた。確かにそれはハイアットの歌だったし、ブルースに聴こえた。音楽的素養を目一杯吸い込み、どんな音楽でも自分のものにする度量と感受性に、見ていて圧倒された。 些細な事では自我の崩れない人間国宝のような風格。数百年続いた伝統が醸し出す底力と余裕。ぽっと出のミュージシャンのような表装的な装いとも違う、さりげなさ。そういう物が、すうっと耳に入る時の快感は堪らないものがある。最近好んで聴く、Gラヴや、ベンハーパー、段・ヒックス、ウィルコ、フィッシュ、R・ウェインライト。それらの底流には様々な音楽があり、その根を辿ればアメリカ経由で、アイルランドやアフリカに行ける。どれもアメリカの大地に染み込んだ過去の遺産に敬意を払う知性と技術がある。そこに、今だからこそ出来うるラップ的な方法論やループの快感といったスパイスがピリッと効いていれば、ドンブリ三杯はいけます。 アメリカの傲慢さは嫌いだが、世界各地に張り巡らされた根をつなぎ合わせて、それをルーツなのだと言い切れる人々の音楽には、耳を傾けるといい。それは、きっとどの世界にも繋がっている筈だから。その繋がりこそがアメリカの魅力なのに、アメリカ固有の物などと考えるからいけない。初めからアメリカは国境を越えていた筈なのだ。アメリカが新たに作り出したもの。キャデラックに、とびきりのビキニ姿の女に、ハーレーにラスベガス。根っこなしに作り出したものは品のないものばかりだ。そういうアメリカは、正直嫌いです。 根っこが何処の国にも繋がっている国ならではの音楽。それが僕を魅了するアメリカンミュージックなのです。 |