最近のバスはグルグルと目的地を目指し周り続けるだけ

〜静かなれど、饒舌な映像美に感動、映画「ユリイカ」を観て〜

母が目を患い、病院通いしていた時だ。北里病院という病院へ連れて行かれることが、結構あった。ジュースを買ってくれたりしたのもあるが、一人で留守番が出来ない乳離れ不完全の僕は、母の検診によく連れて行かれていた。

帰る段になって、母はよく、こんな事を言った。

「お江戸の大廻りしていこうか」

お江戸の大廻りという言葉があるかどうか分からない。道すがらにあるお地蔵さんに祈る時の言葉「ののちゃんあん」など、今もって意味不明の言葉を母はでっち上げていた節があるので、なんとも言えないが、それでもそんな事を言われたのを覚えている。

要は、駅まで帰るバスで、行きに乗った直線コースではなく大廻りをする路線に乗る事だった。その母が言うお江戸の大廻りバスは、用水池のような所をぐるりと廻った筈なのだが、それが湖のようにも見え、丁度夕方のオレンジ色の陽を浴びて真っ赤に輝いて綺麗な風景だけが、何故か記憶に残っている。

バスの窓越し、何の気なしに見ていた些末の風景が、頭の中に残っていた。

それを思い出したのは、JAGATARAというバンドのボーカル、アケミを追悼するライブの時の話である。友人だった小玉和文が「アケミは、よく良いみちくさがしたいね、って言っていた」と言った時の事だ。

かつて放浪の詩人、山頭火(ラーメン屋じゃないよ)は、「真っ直ぐで真っ直ぐで、どこか寂しい道」と言った。その時、蛭子能収は「凄いよく分かる」と感動していた。

道草こそ人生を彩る豊かな感性だと思う時がある。真っ直ぐ過ぎる道は、どこか貧相で、不自然なものだ。

くねくねと曲がり過ぎているのもどうか、とは思うが、真っ直ぐな道は、人を緩やかに狂気や妄想に陥らせる事があり、都市伝説にありがちな「タクシーに女性を乗せて・・気が付いたら!」の類は、真っ直ぐな道を運転している内に催眠状態が原因で起きる事が多いなんて話もあるくらいだから。

さて、少し話がそれたけれど、バスである。目的地が決まったバスは、延々と往復、もしくは循環を繰り返している。脇に逸れる道は幾らでもあるのに、同じ道を何遍も通るのだ。まあ寄り道ばかりするバスというのも問題は、問題だけどね。

映画「ユリイカ」は、そんなバスがジャックされる事から始まる。その事件が元で、心に傷を負ったバスの運転手と偶然乗り合わせた兄妹の再生の物語。兄妹は、その事件をきっかけにして家族が崩壊し、二人だけで暮らしている。バスの運転手は、精神的な傷を処理しきれずに家出をし、妻と別れ浮遊したままだ。ある時、その兄妹の存在を知り、奇妙な共同生活を始める。そして、その町で起きた連続通り魔殺人を機に、もう一度バスに乗り、兄妹とその従兄弟を連れて再生の旅に出る、という話だ。

淡々としているのに、饒舌な映像。時折、差し挟まれる音楽の印象的な響き。シンプルで感情を抑えたクールで効果的な演出。青木真治監督の才能が、びしびし伝わる映画だ。3時間を越える長い尺の必然性を十二分に感じさせてくれる繊細で、強い意志を帯びた訴えが強烈。

役所広司演じる運転手が、事件と家族崩壊を機に口をきかなくなった兄妹と、同じ痛みが分かる者同士の繊細なコミュニケーションが、本編中、何遍も丁寧に描かれ、大人として子供に伝えるべき事柄を身を呈して伝えていく事の大切さと難しさを表現する。

背負ってかなければならない痛みや哀しみへの処し方を知らない幼い兄妹に、体を張って伝えていく姿は感動的である。それでも解決しきれない事柄があり、それに対しては、酷く不器用で人間的な対処の仕方をしていくのも良い。

人間の営みは、愚行の歴史である、と誰かが言った。繰り返し繰り返し、愚かな事を繰り返しているにも関わらず、懲りる事がないのが人間だと。映画を観ている内に、そんな人間の歴史そのものがバスの酷く単調でストレートな循環に思えてくる。

バスを購入し旅に出る事を決意する主人公は、その愚かな循環から外れて寄り道をする事を選んだのかもしれない。繰り返される愚行のループから脱出する為の、たった一回の選択。

主人公の行動は、酷く個人的でありながら、もっと大きな意味を帯びてくる。傷ついた兄妹と共に再生する事自体が、もっと大きな人類の再生にさえ思えてくるじゃないか。

決して楽観的だったり感傷的でない旅は、意外な事実を機に大きく展開する。とことんまで傷ついた少女を救う術を知らない主人公が取った行動は、またもやシンプルで不器用な方法だ。ただ単に「僕は此処にいる」という表明。「貴方は一人じゃない」という事を知らせる小さな合図だ。

ラスト、崖っぷちのギリギリで、少女が再生を自ら決意した瞬間にセピア色の映像がカラーに変わるのは、やっぱり等と下世話に思いもしたが、それを越える感動がある。ビデオで観たのに鳥肌が立った。

ラスト近くで流れるジム・オルークの「ユリイカ」に少々驚いたので歌詞を確認した。

〜おまえのタルみきったもんをシャンとさせるさ 種をまいたって 水をやる仕事の人間がいなきゃ 木にまで育たないんですよ〜

これはヒトが、次のヒトに大切な事を伝える姿を丁寧に描き取った作品だ。そして、その道にコンビニエンスな道などなく、もしかしたら、ちょっとした寄り道や哀しみや不便さが伴う物だと気付かせてくれる。

小さな頃、見も知らない病院に連れて来られて疲労困憊の僕に、ちょっとした寄り道を提案した母は満更でもない、と映画を見終わった時にふと思った。

いつか何処かで疲れ切ったり、傷ついた人がいたら、その時は、ちょっとした笑顔で言ってあげよう。

「お江戸の大廻りしていこうか」と。

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