様々な映画が上映される。その中でも、アメリカ映画が占める割合は増え続けている。確かにつまらないものが多い。しょーもない、ヒットさせることが目的で、人々に感動や感銘を与えようと言う意気込みのある作品は日に日に減っていっているような気もする。しかし、アメリカが、かつてはメルティングポット、今ではサラダボールと言われる人種のごった煮である国であるからには、様々な思惑が映画の底辺に潜んでいると言っても過言ではないでしょう。ここらを見ながらアメリカ映画を見ていくと、何だか、とても楽しく観れてしまったりするわけで、そういう斜に構えて観てみよう、と言う短期企画です。
「フォレストガンプ」
読んでいる方の多くが、この映画に涙したかもしれない。かくいう私も泣いてしまいました。だって、60年代の音楽がかかるだけで、体が反応してしまうのですから。もう、詐欺みたいなものですね。
ところで、この映画で奇妙な所は、いきなり冒頭から出てきます。ガンプの出生の話をするシーンがあるのですが、これが実に奇妙だ。ガンプの、フォレストというのは、KKKの創設者から名前をとっていると語るシーンである。はてはて、何故、現代のアメリカに突如現れた純粋無垢なヒーローを捕まえて、KKKという負のイメージをまとわせたりするのだろうか?謎である。
しかしながら、元を正すと、アメリカ映画と黒人差別主義者というのは、非常に関わりが深かったりする。ハリウッド自体が、ユダヤ人を中心にして作られた事は有名な話で、要は、ユダヤ人の手によってアメリカ人のイメージというのはアメリカに広く伝わったというは有名な話。で、恐らくアメリカ映画として、初の長編映画と言われているのが、グリフィス監督による「国民の創世」だと言われています。で、この映画にも裏がありまして、この映画の中でKKK団は英雄となり、牧 師に「南部の人たちよ、今や行動する時が来たのだ。キュー・クックス・クランはこの黒人を処刑し、死体を黒人知事の門前に置くだろう」と言わせているのです。この映画の製作サイドには、ロックフェラーや、フォード(車のね)というお偉方がいて、この方々はKKKと深いつながりがあったと言われています。
まあ、この話は「フォレストガンプ」には関係ないですが、そう言うこともあるのです。では、何故?と言われると、「フォレストガンプ」公開時というのは、アメリカの保守が活発になった時期と重なるのですね。かつてのアメリカを取り戻そう、と言う考えの人達です。過激な人になると、黒人などの他人種をアメリカから追い出せとか、白人達だけの国を作るぞ!等と言う方々もいるようです。(この保守については、いずれじっくりと書きます)レーガン大統領時代から続く保守タカ派の勢いは、とどまることを知りませんでした。
そういう人達が増え続ける中、映画のヒットを狙う為に、マーケティングから保守向けのエピソードを入れ込もうというスタッフがいてもおかしくない。ガンプと言う主人公は、巧みなマーケティングから生まれでたキャラクターなのかもしれません。
さて、この映画はガンプを、良きアメリカ人に仕立てる為の、巧みな演出が至るところにあります。まずはガンプが恋こがれる女性のキャラクター。彼女は、常にリベラルな思想を持ちます。故郷である南部を出て、学生運動、人種差別撤廃を求める公民権運動に参加します。そして、70年代にはディスコブームにまで手を出す始末(笑っちゃうけど、かなり陳腐)。映画を観ている限りでは、かなりのバカ女です。流行に流されているっていうか。随分です。果てにはドラッグ中毒になって自殺までしようとしているのです。「孤独だ〜」とか苦悩して。そんな資格は、この女にはありません。
で、何故かガンプは彼女を温かく見つめ、受けとめます。お人好しにも程があります。変だ。
はたまた、ガンプがブラックパンサー(黒人の自由を勝ち取るために作られた暴力を容認する政治団体)と出会うシーンもいただけません。明らかにブラックパンサーは暴力一辺倒の集団と描かれているのです。よく黒人が怒らなかったなあ、と感心してしまいました。ベトナム戦争のシーンにしてもそうです。死を前にした黒人兵を抱えてジャングルを走り、そして、黒人が涙ながらに「家に帰りたい」と言うシーン。このシーンは、明らかに人種差別主義者の温床、保守派の故郷、南部を指しているのでしょう。
成功して南部に戻ったガンプは、穏やかに生活をするハッピーエンドが待っています。明らかに南部礼賛、保守派万歳の、この映画は、随分とキナ臭いものを見て取る事が出来る映画です。