インセンティヴという当たり前の事

〜本屋から見るインセンティブの重要性について〜

本屋というのは、不可思議な存在なのである。仕事柄、色々な本屋の人に会うが、決して本が好きな人がなっている訳でもない事が多い。

一番ショックだったのは、「高市君、本屋っていうのは不精者がなるものなんだよ」と言われた事だ。決して世間で言う本好きとは違うのだが、それでも本に全く興味がない人が多いのには驚いた。

これで本屋が栄えるなら、それこそ奇跡だ。それくらい凄かったりするのだ。例えば、魚に興味のない魚屋で魚を買いたい人がいるだろうか?良く行く魚屋のおっちゃんは、魚の調理法を教えてくれる。料理に興味がない人がやっている料理屋はどうだろう?イタリアの事を何も知らないパスタ屋や香辛料に全く興味のない本格派カレー屋。どれも行きたくないじゃないか。

ところが本の事を知らない本屋は想像以上に多い。安直な本屋が多い事に原因があるのかもしれない。古い本屋が、行商の傍らに始めたのが多いのも原因と思える。東京、もしくは江戸に行商に行ったついでに人気のある本等を田舎に持って帰って売っている内に本屋になったというのは結構あるのだ。であるからして、本屋とは初めからサイドビジネスで始めたのもかなりの率にある。結局、世襲制というのは罪悪か?等と思ったりするのだ。

佐野眞一の「だれが本を殺すのか」は、正しく本屋、取次、出版社三つが揃いに揃って愛情の欠片もなくビジネスとして書籍を生殺しにする様を追った出色のノンフィクションなので、是非読んで欲しい。

さて、うちの近所にある本屋は、それでも魅力を発するのは何故だろう?という話だ。

個人的には義理に近い物を感じていて、新書で欲しいのがあると、出来るだけその本屋で買おうと思っている。というのも、色々面白い本を教えて貰っているからだ。「真剣師小池重明」「フーリガン戦記」「転がる香港に苔は生えない」「坊ちゃんの時代」等々、それこそこの本屋で平積みになっていたり、店員が教えてくれたり、とにかくお世話になっている。

つまりは店員が本を知っているのである。阿佐ヶ谷という中央線沿線の特殊な土地柄というのもあるが、それでも良書を売り上げだけでなく平積みにし、店員もアドバイスしてくれるというのは嬉しい話で、結局「知っている」「好き」というのがある種の魅力として作用するのは確かな事だ。

で、今話題のインセンティブである。

これは「誘因」と言うことだ。通常インセンティブというと「お金」が上げられる。貧者は生活苦に鞭打たれて働くというのだが、こればかりではないらしい。高度成長期の日本にはインセンティブが満ち溢れていた。高度成長期の科学者、技術者の多くは「世のため人のために尽くしたい」という願いがインセンティブの一つだった、とか、立身出世が学びのインセンティブの一つだったりもしたと言う。

87年、一人当たりの国民総生産で米国を追い抜き、追い越せが達成した事が、働き学ぶインセンティブを干からびさせたのではないか、というのが村上龍と京大教授の対談の主旨だった。

今の不祥事や不景気も、このインセンティブの欠如が問題ではないか、と思う。自分の好きな、良いと思える本を売りたい本屋が少なければ、本を買いたい人が減るのは当たり前で、実は情報の氾濫や携帯電話とかは、要因の一つでありこそすれ、最も問題なのは、こういう事なのではないか。これは大きな問題のような気がしてならない。

治安を守りたい警察官も日本の未来を考える政治家も、世界全体に興味を持ち考える外交官も、本が好きな本屋も、子供の事を考える玩具屋も居なくなった事に問題があるのかもしれないなんて考える。サッカーの選手やイチローが魅力的に見えるのは、そこに溢れんばかりの愛情が見えるから、という至極単純な理由かもしれない、等と思う。