大学時代の仲間と、年に一回、わざわざ河口湖まで行って飲むという企画があった。貸別荘を借りて、そこで一晩飲むという会だ。
例えば、合コンというのは下心がある。女の子がいる以上、格好付けるというのもあるし、そのノリは、女の子が入るのでは意味あいも違ってくる。それなりの気取ったノリというのがある。結局、飲み会で楽しもうと言うのも、もちろんあるだろうけれど、その後の「何とか女の子と良いことをするぜ」とか「女の子に良いとこ見せとくか」というのが先にくるから、はしゃぎようも結局女の子を意識した意図的なものになるわけだ。いわば周りの視線を意識した、はしゃぎ方だ。
さて、これが男だけとなると話が違ってくる。そこには下心なんてのは存在しない。気取る必要性など見つける事さえ出来ない。そこにあるのは「おいおい、楽しくやろうぜ!気持ちよければ何でもOKだろ!!!」という、快楽の暴走機関車、またはオナニー覚えたての中学生のようになる。
事実、こういう面白ければ何でもあり状態は凄いことになる。その河口湖飲み会にしてもそうだった。ぞうさんの顔をしたパンツ(鼻のところにイチモツを入れるようになっているパンツ。もちろん袋は無防備だ。)を家から仕込んできて、頃合を図ってズボンを脱ぐ奴。(佳境に入った時には、そいつはぐったりしながら割り箸でゾウの鼻をつまんだりしていた。しかもつまらなそうな顔で)一人の男を捕まえてそいつのケツに腰を振る奴(「どうだ!どうだ!」「今日の××君凄いよ〜!」なんて掛け合いをしていて、初めの内は笑っている。が、これが毎年になると、みんな慣れてしまって、みんな放置している)。たわむれに関節技を掛ける奴。一人、柱にラリアットをする奴(そいつは、次の日「何か腕がいたいよ〜」と言っていた)。「トップガイ」(織田裕二主演、日本映画の金字塔?)を見始める奴。野沢菜の汁でイッキを始めたりもする。正にソドムの市。
こうなってくると手に負えない。もう、何でも面白そうならやってしまう状態。人が飛んだり、転がってたり、奇声、いびき、かけ声が、ジャングルの中のサル達の鳴き声のように飛び交う。まさに貸別荘はサル山と化している。
ここまで行くと、余りの楽しさに毎年夏くらいになると「今年は何時?」なんて気の早い事を言い出す輩もいた。
このパワーは、男だけ(もしくは女だけでも、そうなるんだろうか?)でなければ、こうはならないだろう。見栄も外見もなく気持ち良い事しか考えていない。もしくは考えられない状態になっている。
極端かもしれないけれど、渋さ知らズのライブのノリは、そんなノリがあるような気がする。もちろん女性もいるけれど・・・。ダンサーの2人は、素敵な踊りを見せていてくれるが、あれもメンバーを乗せる為の餌のような気がする時がある。(ダンサーさんごめんなさい。もちろん、お客の僕らもノリノリですけど)やっぱ目の前に綺麗な人がいれば燃えますからねえ男は。
舞台上では勝手に(って言いぐさもないか)盛り上がり始めたメンバーの方々がいて、それは客を意識している部分はあるだろうけど、その主旨は、かなり薄れてくる。しかし、薄れてくるからと言って、客が楽しめない訳ではなくて、むしろ逆で、その奇怪とも言えるテンションの高さに面白さを感じ始める。ステージ上が異様なテンションを帯びてきて、それを見る客は「何かすげえなあ」って感じでテンションが上がってくる。この関係性は面白いんじゃないか?と僕は思っている。テンションの伝染とでも言った感じで、広がる興奮の波。
特に片山広明(Sax)がソロを取るときの盛り上がりは別格だ。既に特殊な液体で上機嫌の時のソロは格別だし、ふと余所へ目を向ければ、大沼志郎が切れのあるリズムを刻んでいるし。渋谷毅の独特の風格漂うキーボード等々、ソロ合戦になれば見所は多い。百戦錬磨のメンバーが、それぞれ気持ち良い事を探して好き勝手に演奏してテンションを上げていく。それは、正に面白いことを探して無軌道になったサル化した友人達のように見える時がある。
その相乗効果は、又メンバーを刺激して、更に客が刺激されて、とドンドン高みに上っていくような快感があったり。その状態の時の渋さの気持ちよさは例えようが無いくらいだ。これぞライブ、これぞ快感。渋さ知らズのライブは、男だけの飲み会のような恥も外聞もない気持ち良さを感じられるのが魅力だ。