彼岸過過ぎ
松尾スズキの「キレイ」に見る、美しい人達
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小学校の運動会が面白くないらしい。徒競走は順位を決めない。どうやら、人に順位を決めるのは良くない事というのが、教育の現場では自明の事となっているようだ。立花隆が、運動会でダメな人は、勉強で頑張れば良い。勉強がダメなら美術が、技術があるだろう、と言っていたが、僕は、この意見に賛成。「みんな一緒」なんて幻想だろう。個性の時代とか良いながら、どこか歪んでいる。 僕の通っていた小学校は、田舎だったせいか、とんでもない奴がいた。勉強は出来ないが、大車輪(鉄棒のね)が得意な奴。高尾山で猿を捕まえた奴。自転車で急坂を駆け下りようとして大怪我をする奴。笑った拍子に鼻ちょうちんを作って、大笑いされるが、野球でホームランを打つ奴。跳び箱が得意で、休み時間に、小学生としては異常な高さの10段位の跳び箱を、バネ付きの踏み台で飛んで、勢い余ってマットの先へ膝から着地、膝の皿を割った奴。みんなバカだった。で、忘れる事が出来ない素敵な奴等だった。 小劇場演劇で、そんな異端な雰囲気を醸し出している松尾スズキの、驚愕の企画。ミュージカル「キレイ」を観た。決して、松尾スズキの最高傑作とは言えないが、明らかに小劇場演劇の枠組みが変わりつつあることが実感できる刺激的な舞台だった。 デビュー時から、余りにもどんよりとした顔(「痙攣が好きなんです」なんて普通に言う不気味さ)、従来にないタブーをテーマに取り上げる特異さ、劇団員の個性を超越した異様さで話題だった松尾スズキ。が、その反面、作品を観ると、意外なロマンチストぶりを垣間見せる、不思議な作風。良く言われるのが太宰治の影響だ。本人も、太宰ファンと広言している。 で、問題の「キレイ」を観た感想は、松尾スズキ意外と冷静沈着という事だった。恐らくもっともシアターコクーンが似合わない作家の1人、松尾スズキが、コクーンの舞台で何をやるか?って興味があったのだが、実に堅実。松尾ワールドを損なわずに、しかも、松尾ワールド普及版を、しっかりと上演していたからだ。 もちろん、それには主演の奥菜恵、南果歩の出演で、観易くなっているのは確か。だが、作風自体は変わらないのに、節々で挿入されるエピソードが、やっぱり毒を薄めたなあ、って印象がある。悪い意味ではなく。 内容は、10年間地下室に監禁された少女が、外界に出ていく。その少女が戦争状態の外に出て、如何に生きて行くか?監禁された地下室に残された少女の思いとは?って内容。 この作品で印象的なのは、「いっちゃった」人達の姿だ。大豆から作られた人工人間、大豆丸が、戦死すれば食料にされて天寿を全う出来る筈なのに死ねず、悶々としているが、子供が出来ることで、過剰な迄に生きる事に執着する。「生き恥さらす。生きる醍醐味よ」等と吐き捨てる姿。慈善事業をライフワークにする女が、身代わりになった主人公の少女を病院に運ぶ時に「この子は私の身代わりに撃たれたの、だから、この親切は私の物よ。誰にも譲らない!」と啖呵を切る姿。(ここは涙が出そうになった) 金の亡者と化した男が、3億の金を手に入れた主人公の少女に、掌を返したように結婚を申し出てキスをする。ゲイである男はカーテンの影で、ゲロを吐き出す。その横で、金に執着している男に愛想尽きた男が一言「俺は段々、あんたが好きになってきたよ」。 松尾スズキが、言いたい事の一つは、これだったのではないか?と思う。平均化を理想とする現在の世の中で「普通、平均」から、かけ離れていく「いっちゃった」人々。彼らの行動は、時として希望を与える。彼らの言葉には、ひどく低レベルなのかもしれないが夢がある。ああ、これだけ自分に素直で良いんだ、と。突き抜ける事で、価値が出る個性とでも言おうか。 もちろん、題名通り、純粋さと汚れの二面性の話もある。少女は、生きていく為に「女」という現実的な物になる。生き物として、捨てた純粋さと、手に入れた計算高さや卑しさ。でも、それは、どちらが良いわけでも悪いわけでもない。キレイなだけなものは、キレイじゃない。汚い物を通過して、なおかつキレイでいること。それこそがキレイだというような事。 もしくは、監禁していたマジシャンが、少女にとっての神になっている。神は、姿を変えるし、絶対的な存在でもない。少女に居て欲しいと哀願したり、急に強気になったり、決断を迫ったり。神が絶対的な存在ではなく、結局判断をするのは人間で、悪い行いも、良い行いも、やるのは結局人間次第であること。(実際、この作品の副題「神様と待ち合わせをした女」は、神様が降臨する訳でもなく、来て頂く訳でもなく、待ち合わせをする所がミソ) 様々な事柄が、幾つも錯綜するのは松尾ワールドの醍醐味ではある。 でも、僕が一番心に残ったのは、この中途半端からかけ離れた「いっちゃった」人々に向けられた暖かい視線だった。語るべき、見るべきもののない中途半端な堅実さ、より、突き抜けたファンキーさに花束を。 松尾スズキが、シアターコクーンで満場の拍手を浴びている瞬間は、「普通」が幻想だと思える時代も夢じゃない、と思える、なんとなく素敵な光景だった。 |