以前、多分モンティパイソンが言っていたと思うのだけれど、「俺達には笑いという武器がある」って言うことを言っていた。権力に真っ向から立ち向かうんではなくて、笑いというオブラードに包んで攻撃をする、っていう正にエンターテイナーの鏡みたいな姿勢を貫いた集団だったのだ。モンティパイソンは。(しかも、やたらとくだらない)
何かを表現すると言うとき、シリアスになることも必要になる時もあるというのは分かる。しかし、エンターテイメントと言うのを表現手段としている以上、やっぱり、僕はモンティパイソンみたいなスタンスに魅力を感じるのだ。難しい事を難しく表現するのは簡単だ、難しい事をかみ砕いて表現できる人こそ天才である、って言うのは、僕の持論なのだけれど、正しくモンティパイソンなんてのは、それを実践していたのではないだろうか?そして、それは多分に誤解を招く事がある。要は受け手も鋭い洞察力が必要とされるのだ。そう言う表現には。
好きではないけれど、チャップリンの「独裁者」なんてのは、正しく、そう言うものの分かりやすい形だろう。腹の中で、ぐちゃぐちゃになっている怒りや悲しみを、ぐっとこらえて笑いに転化する。そんな姿勢を見ることが出来る。今の日本じゃ、それも笑いとしか捉えてもらえないかもしれないけれど、でも、そう言う表現をする人を、僕は凄く尊敬してしまうのです。
「考えてるさ、ふざけてはいるけれど〜」と歌ったのは奥田民生。彼も、そんな真面目な姿勢を隠しつつも、鋭い見解を持っている人だと思う。「イージューライダー」は正に、その姿勢の表明文とも言える傑作だと思っている。(ちなみに、この曲は、私の座右の曲で、もう一つは、XTCの「バラッドオブピーターパンプキンヘッド」です)
さて、本題として、今日(9/5)に見に行った、スペースシャワー10周年記念「スウィートラブシャワー」というイベント(日比谷野外音楽堂)。とりあえず椎名林檎目当てで行ったのだけれど、ここで凄いのを見た。イベント自体が、随分と散漫なイベントで、まとまりがなく、椎名林檎は2番目に登場。(未だ陽がカンカン照りの時間)PAが、あまりにも酷く、演奏自体が会場に聞こえないという悲惨な状態でのライブ。随分と、割を食ったように思える。椎名林檎は。
その後も、なんとも、まとまりの掛けるメンツで、盛り上がるものも盛り上がらん状態だった。
しかし、である。おおとりの清志朗がやってくれた。正しく素晴らしいライブをやってくれたのだ。
とりあえず、皆さんご存じでしょうが、清志朗が「冬の十字架」というアルバムで、パンク版「君が代」を収録しているということで、レコード会社のポリドールが、アーティストの許可も得ずに発売中止を決定したという事件があった。ネット上でも清志朗が、相当怒っているというのは聞いていたが、そこはそこ、清志朗も大人だから、しかも衛星とは言え、テレビで放送されるとなれば、自粛もするんじゃないか?というのが僕的な見解だった。
ところが、である。清志朗は、いきなりステージ上に日の丸を配置(何故か、星条旗もあった)で、君が代の演奏と共に、登場。いきなり、一曲目からポリドールに怒りをぶちまける。「自由に言うことも出来ない」とか、「見えない抑圧が」とか、明らかににわか作りで作った曲ながら清志朗の歌唱力で聞かせる。「怒ってないよ、大人だから」と言いつつ、ポリドールに対する文句の連呼。ここらでは、清志朗が可愛く見えた。笑いながら見ていた。2曲目で、問題のパンク版「君が代」を披露。しかし、しょーもない曲だった。髪の毛を引っ張って「むすまでむすまで」と言ってみたり、まあ、こういう曲を自粛すること自体に意味があるのか?ってな位しょーもない感じがある。しかしながら演奏はソリッド、かつ、切れの良い演奏で客をグイグイ引っ張っていく。さすが十年選手。他のメンツとは明らかに一線をかくす演奏。「ポリドールに捧げます」という一言で演奏された「大人だろ」と歌う曲は、「大人だろ 子供みたいに勇気を出せよ」という歌詞でグッとくる。清志朗の声も、何とも感動的なミディアムテンポの曲だった。曲の合間合間に畳み掛けるように「ふざけんなポリドール」を連呼。ここまで来ると、ポリドールも、まずい人を敵に回したなあ、と気の毒に思えてくる。
追い打ちをかけるように、しつこく「そんな事言うんなら、契約すんなよ」とまで言っている清志朗。いきなり「北朝鮮の歌」を歌い出す。またもや、明らかに一発で考えついたままに作ったと言う感じの曲。「憧れの北朝鮮、おーい、キムくん」なんて歌詞。ここらに来た頃から、様々な意図が滲み出てきた。明らかに清志朗は「なにか」を表現しようとしている。「みんなが平和に手をつなげる世界が、テポドンも無い世界が、きっと来るだろう」と歌うと会場から拍手が。(しかし、そんな会場が、僕には薄気味悪くも思えた)11年前(だそうだ)に、同じように発売禁止になった「カバーズ」の中から「愛なき世界」を演奏。勢い良く始まった曲は「でもよ〜何度でも何度でも、おいらに言ってくれよ、世界が破滅するなんて嘘だろ」というフレーズでは、考えさせられた。何かが体中に注入されたような感じ。あの頃よりも、シビアに、切実に感じたのは僕だけではないはずだ。次の曲で「悪くなっていく世界」と歌う、清志朗。
そして、アンコールでは、何も無かったように「雨上がりの夜空に」を大合唱して、気分良くショウを終わらせた。
清志朗は、エンターテイメントの原則を守りつつ、カウンターカルチャー(対抗文化。権力に対すると言って良いのかな)としてのロックを貫徹したショウを作っていた。あのショウをシビアに受け取るのが良いことか、どうかは分からない。確かに楽しめるショウとしても充分機能させている訳だから、楽しむことは大事だ。あの場で、考え込むのは野暮というものだろう。しかし、清志朗は、明らかにあの場に、楽しませる為の「ポリドールとの対立」を据えながら、それだけでは終わらせない「時限爆弾」を据え付けたように思えてならない。平和とか愛とか脳天気に繰り返されるロックの「場」に、「そうでもない現実」を見せつける意図がハッキリと出ていたように思える。(今年のウッドストック愛と平和の4日間が暴動で終わってしまったように、ジョンレノン的な脳天気なロックが通用する時代でなくなったのだろう。)それに比べて清志朗が見せた、「どうも居心地が悪い現在」と、音楽に込めた「希望」の対比は、十分に感動的だった。何も考えてない「愛と平和」より、「随分と気味の悪い現実」を直視した上での「希望の歌」の違いを、これだけ歌い切れるエンターテナー清志朗に拍手を送りたい。それは僕が、もっとも理想とする表現に限りなく近かった。それにしても、最早ベテランの清志朗が、これだけラジカルなライブを見せていたのに、紋切り型のライブしか出来なかった若手はふがいないとしか言いようがないな。
ちなみに、清志朗曰く「11年前に発売延期を言い渡された時も、中日が優勝したんだよな」という有力(?)情報を提供。今年は中日の優勝か?
尚、発売中止になった「冬の十字架」は今月インディーズから発売される事になりました。
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