極私的演劇論 2

 この回では、演劇界の重要人物を極私的な目で選んでみました。参考にしていただけたら、と思います。

野田秀樹
 現在の小劇場演劇界において、と言うより、ここ15年くらいは常に人気実力ともにトップランナーであり続けている天才。その演出はオリジナリティに溢れていて、出てきた当初「舞台に風を起こす」と言い放ち、役者の体を、とにかく酷使する事で有名。その戯曲も特異なもので、正に針小棒大という突飛なストーリー展開を、進むにつれてまとめていく力量は、さすがの一言に尽きる。特に岸田戯曲賞を受賞した「野獣降臨(のけものきたりて)」は、アポロ11号がNASAとの交信を絶った、数秒間を2時間の芝居にする、という正に野田ワールドという感じの作品だ。僕が初めて観た作品は「明るい冒険」と言う作品だったが、その目まぐるしい場面展開に正に目眩がしそうだった。特に、野田秀樹が最も得意とする言葉遊びの妙などは、この人でないと味わうことの出来ない魅力である。

 現在、野田秀樹はNODAMAPというプロジェクトを、夢の遊眠社を解散、イギリス留学を経て設立。凱旋公演だった「キル」以来、上演を続けている。このプロジェクトでの作品の作り方も、当初はセンセーショナルでワークショップという稽古とも遊びとも区別の付かない事を俳優を集めてやりながら、作品を作っていくという方法を取っている。

 特に、最新作「right eyes」からは、イギリスの劇団テアトルドコンプリシテの影響もあったのか(番外公演「赤鬼」で俳優も客演させている)、身体を意識した演技と言うのを極めるという傾向がある。舞台は、ここの所、ドンドン簡略化されていて、役者を見せる傾向が強い。しかも、戯曲も言葉遊び等の比率が減って、どんどん簡素化していっているように思える。インタビューによれば、海外進出を視野に入れ、テアトルドコンプリシテとのコラボレーションも考えているようで、今後の活躍が期待される。

鴻上尚史
  第三舞台の作演出家。現在、活動を開店営業中だが、この人の崇拝者は多い。特に処女作である「朝日のような夕日をつれて」は、小劇場演劇のマイルストーンと言っても良いくらいの名作。僕が思うに、この人は編集技術に長けている人で、様々な思想や時代を読みとり、それらを切り貼りして作品を作り上げるのを得意としている。「朝日〜」は、サミュエルベケットの名作「ゴドーを待ちながら」、「天使は瞳を閉じて」は、「ベルリン天使の詩」等、ベースになる素材を明確にしながらも、その作品のクオリティは高かった。演出も非常に巧くウェットになることなく、さりげない演出は、非常に良かった。しかし、最近の作品の失速は、残念な所で本人も薄々気付いていたのか、野田の後を追うようにイギリスへ留学。今後の活動が気になるところ。

つかこうへい
小劇場演劇第二世代の筆頭。第一世代を鈴木忠志(SCOT)、串田和美とすると、第二世代は唐や、つかと言われている。因みに第三世代が野田、鴻上などと言われる。アングラ色が強かった小劇場演劇。元々、学生運動とのつながりや、左翼的思想で、演劇をやるひと=危険人物みたいな風潮の中で、演劇に笑いを導入した。当時は軟派と言われて人気はあったが、何処か俗っぽい評価を受けていたようだが、その中にある強力なパワーは小劇場界随一かもしれない。戯曲は形にせず、役者との稽古の中で、作品を作っていくという不思議な創作方法をとる事でも有名。よって、この人には正式な形での戯曲というのは存在しない。

 誰もが知っている「熱海殺人事件」は、つかのエキスが全て詰まっていると言っても良い。この人は根元的な力を信じている人で、見せかけではない強さと言うのを描くことを好む。演技形態も人間を見せるという、つかの信念が貫かれていて、そのロマンチズムを体現できる力の強い役者が多い。最近は少し変わりつつあるが、春田純一等は、つかの力で才能を開花させた役者だろう。それは良い意味でも悪い意味でも、つかの息がかかった役者になっている。

 恐らく、鴻上尚史や、その後の小劇場に一番影響を与えている作家であり、演出家だろう。

岩松 了
 90年代の初め、少年やSFチックな作品が主流をなしていた時期に、突然現れた異色な作家が岩松了だ。東京乾電池が、メジャーから遠ざかっていたにも関わらず、突然の評判に、当時の僕も驚いた。「町内会三部作」そのタイトル自体で、今までの小劇場と違う匂いを感じた。「布団と達磨」「お茶と説教」「陥没」。なんなんだ?というのが当時の感想。しかも、岸田戯曲賞も受賞すると言う快挙。その突然の登場には度肝を抜かれた。

 これ以降、小劇場演劇界に「静かな演劇」というジャンルが現れた。当時で言うと、青年団の平田オリザ、遊園地再生事業団の宮沢章夫、などだ。90年代の大きなムーブメントと言えるだろう。しかし、この人の作品は静かな演出ではあるが、内容は実に下世話でうるさい。水面下の雑音が、これだけ多い作家も珍しいくらいだ。

 「布団と達磨」は、柄本明演じる男が、病床に伏していて、エロ本を読んでいるところに客が来る。次々と現れる客に、エロ本を隠しつつ話をする。というシーンがある。エロ本を隠しながら淡々と話す姿に客がニヤニヤすると言う仕組みだ。この人は人間の根本にある汚いモノを平然とさらけ出す。そして、その上で、人間を大らかに受けとめる。恥ずかしい事や、意味不明な事も含めて、生活という滑稽な時間を切り取るのだ。

 しかし、最近は随分とロマンチストぶりを出し始めていて、桃井かおり&竹中直人の「月光のつつしみ」、樋口可奈子&竹中直人の「水の戯れ」など、ここ4.5年コンスタントに作品を発表している「竹中直人の会」では、そのロマンチックな作風で別の魅力も見せ始めている。

宮沢章夫
 伝説のギャグユニット「ラジカルガジベリビンバシステム」。シティボーイズの3人、竹中直人、中村有志、いとうせいこう、ビシバシステムなどが顔を揃えていた、正に今の不条理コントの走りのような集団をまとめていたのが宮沢章夫だ。大竹まことをして「あいつが、次にやること、それに興味がある」と言わせるほどの天才だ。その奇妙で、しかも一筋縄ではいかないおかしさは、実際に触れてみないと分からない。名著「彼岸からの言葉」は絶版状態だし、とにかく、現在、彼がやっている遊園地再生事業団に足を運んでもらいたいものだ。

余談だけれど、スチャダラパーの名前の由来は、彼らが熱狂的ファンだったラジカルの作品名「スチャダラ天国」にちなんでいるのは有名な話。この人の作品も癖のある作品だ。80年代の人間に、ありがちなウェットな感覚を嫌うというか、素直にやれば随分と感動的になるところを、敢えて避けて通るというような感覚が持ち味だろうか。普段人が気にしないような所に焦点をあてて、じつに印象深い作品を作る、この人の感性は天才というに相応しいものがある。

 この人も、最近随分とロマンチックな作品を連発していて、「あの小説の中で集まろう」「14才の国」等、おかしいけれど、何か不思議と心暖まる作品を連発している。最近は、林巻子(exロマンチカ)とのコラボレーション等も行っていて、何時までも前進していく姿勢を強めていて注目だ。

三谷幸喜
今や演劇人というより、作家として有名になった三谷幸喜。この人の劇団東京サンシャインボーイズくらい破竹の勢いで有名になって、あっと言う間に解散してしまった劇団も珍しい。三谷幸喜が出てきた頃からウェルメイドプレイという言葉が小劇場演劇に鳴り響いた。MOPのマキノノゾミ、二兎社の大石静、等、面白い、巧く出来た戯曲を書く作家が増えた。その中でも、やはり飛び抜けた才能を発揮していたのが三谷幸喜だ。

「十二人のおかしな日本人」から、チケット入手が困難になり始めて、その後の「彦馬がいく」(大傑作)や「ラヂオの時間」「罠」、サードステージプロデュース「ヴァンプショウ」等、僕が見た作品のほとんどが面白すぎた。演劇と言うジャンルに括られる人では無いのを承知で言えば、この人は演劇には余りこだわっていないと思う。むしろ、僕にとっては、映画やテレビで良質な作品を作って欲しいと思う数少ない作家の一人だ。近年はパルコ劇場との提携で作品を作っていて「笑いの大学」等は、三谷幸喜の神髄を見せつけた作品や、三谷版ドリフターズのような「君となら」等、良質な作品を連発している。ただ、最近は料金自体が高くなっていて不満もある。

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