完璧に作られた美しい記憶

脱夏休み幻想とスティーヴンミルハウザーについて

 

 

最近出た、ファミコンのソフトで、夏休みを疑似体験するゲームがある。また、そういうのが出たなあ、と思う。決して非難するつもりはない。僕も夏休みもの(敢えて、そう呼ばせてもらう)は嫌いじゃない、否、かなり好きだ。「マルセルの夏休み」「マイライフアズアドッグ」(これは微妙)、野田秀樹が遊眠社で書いた一連の少年モノ、夏休みは素敵な思い出だ。

しかし、ホントに自分の夏休みは、そんなに素敵だったのか?

と、こう言った事が、ふと浮かんでくる。それなりに辛いことがあったはずなのだ。しかしながら、大概な事は最終的には素敵な少年時代で締めくくる事になる。確かに暇つぶしに「あなたの知らない世界」を見て怖くなってしまったり、友達の家へ行ってみれば家族で帰郷していて、独りぼっちを骨の髄まで感じてみたりしたはずなのだ。更に、解くに解けない宿題がある。最後になって突如襲ってくる工作の宿題に、慌てて友達に聞く絵日記の天気等々。

そういうものの上に夏休みは成り立っている筈なのだ。ところが、ひとたび大人になれば、全ては綺麗に整頓され、良いことだけが強調された記憶が残るのだ。懐かしき素敵な子供時代の象徴としての夏休みがある。

この記憶は、何処から来るのだろう?

日本のテクノシーンで異色な才能を発揮している竹村延和という人がいる。チャイルドビューというレーヴェルを主催し、京都を拠点に世界に音楽を発信している。彼の「夜の遊園地」についてのインタビューで、人工的な子供時代、イメージとしての子供時代を作る事に興味を持ったというのがあって、驚いた。

彼曰く、作られたイメージの少年時代というのがあって、それを音楽で表現したいんだそうだ。確かに彼の音楽は、不思議と懐かしいというか、胸の奥が、少しばかりキュッと締まるような感覚に陥る。それは、決して本当のノスタルジーではなく、あたかも皆が共有しているかのようなイメージの子供時代の記憶である。竹村が作りたいのは、そう言った幻想の子供時代だ。

恐らく様々な媒体が作ってきた、いわゆるノスタルジーもの(テレビとか映画とか)が、多くの人の共通項になっている部分もあるのだろう。ノスタルジーではなく、竹村延和も言っている「自らのものと錯覚している子供時代のノスタルジー」が、現実の子供時代に微妙に影響しているのだろう。

竹村延和の不可思議な懐かしさを持たせる音楽は、メリーゴーランドのような音や、川のせせらぎのような音が際限なく溢れ出てくるのだが、この音楽を聴くと、スティーヴンミルハウザーの小説に、何故かしっくりくる。

ミルハウザーは現代アメリカ文学の代表的とは言えない小説家である。つい先頃、ピューリツァー賞を受賞したので、少しばかりメジャーにはなったが、日本で人気のあるキングやアーヴィング、オースターと言ったメジャーな作家に比べれば、やはり知名度的に落ちる。

翻訳されている作品は「インザペニーアーケード」「エドウィンマルハウス」「三つの小さな王国」「夜の姉妹団」(短編一作)「バーナム博物館」と未だ少ない。

しかしながら、インザ〜、とエドウィンの二つだけで充分、ミルハウザーの底知れない魅力と実力を知ることが出来る。ミルハウザーの魅力で、よく言われるのは、やはり異常とも言える緻密な描写であろう。とにかく、その描写表現は、ファンの僕でも「うわ〜書くか?ここまで?」(決していやらしい訳ではありません)という位、緻密。中でも、「インザペニー〜」の表題作は、本領発揮といった所でしょう。また、「Jフランクリンペイン〜」の時代に逆らって緻密な手書きのアニメを書き続ける夢見がちな主人公は、あたかも著者自身のようだ。読んでいる内に、フランクリンペインを書いているミルハウザーがいて、更にまたミルハウザーを書くミルハウザーがいて、と言った妄想が膨らんで不思議な気分にさえなる。

 天才的なからくり人形作りの一生を、恐らく自身の芸術観をオーヴァーラップさせて描いた「アウグストエッシェンブルグ」(柴田元幸曰く、最も訳していて自分が書いた事にしたかった作品といわしめた)。「マンガ」と言う傑作小説を書き十歳で自殺をした少年を赤ちゃんの頃から緻密に書いた疑似伝記の体裁をとる魅力的小説「エドウィンマルハウス」。

彼は、明らかに子供時代に未練がたらたらの大人のように思える。そして、そのノスタルジックな憧憬に駆り立てられるように小説を書いているように思える。しかしながら、そのノスタルジックな感情には、先に書いたとおり、大人としてのフィルターがかかるのだ。そして、そこに作為的なノスタルジーが宿る。ミルハウザーは、その捏造に、最も意識的な作家かもしれない。

彼の小説は、決して少年時代だけを書いたものではない。彼が書いているのは、子供時代を大人の視線から捉えた物が多いのだ。その入れ子構造こそミルハウザーの魅力なのではないだろうか?彼の書く小説が、一種ねじれた設定(10才で自殺する天才作家を、幼なじみが脅威的記憶力で書いた伝記という設定で書いたり、天才的からくり人形作りが子供の頃の夢を忠実に実現しようとして一種の破綻を迎えるなど)なのは、むしろ単純なノスタルジックに陥ることなく、(少年時代を当然の事ながら通過してしまった)大人として、子供時代を書いている事に、過剰に自覚的な事が分かる。その過剰な自覚が、過剰な描写を引き起こさしているようにも思える。

そこには、明確にフィクションと割り切られた郷愁を不思議と味わうことが出来るはずだ。完璧な創作物としての子供時代。

これこそがミルハウザーの醍醐味の一つでしょう。

ミルハウザーの作品を読む事は、大人の視線で描かれた憧れの夏休みを、じっくり堪能する事である。

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