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誰もが主役な訳ではない 愛すべき人々。映画「月のうさぎ」を見て |
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主役と脇役。エンターテイメントの世界には、厳然とした区分けがあるらしい。ただ、脇役がいなければ、主役がいないのも確かで、いかに良い脇役を育てるかが、結構重要な課題でもある。 確かにそうである。出演者誰もがキムタクみたいだったら、ドラマは成り立たないのである。 うだつのあがらないサラリーマンがキムタク。娘から嫌われる寂しい父親がキムタク。引退間近のベンチウォーマーがキムタク。 まったくキムタクは、つかえない役者である。 そう、少し視線を変えて見れば、幾つかの価値観は脆くも崩れるのである。 主役とは、美男子や美女であったり、英雄だったり、素晴らしい事を成し遂げる人である、と僕らは単純に思っている。美しいものを観賞する。偉大なる人の足跡を辿る事で、無限の可能性を見い出す事も、感動を誘うのも確かだ。 ただ、一級のバイプレイヤーが見せる、いぶし銀の立ち姿。 これも、主役を引き立て、物語に厚みを加える欠かせない存在であるのは周知の事実だ。 映画「月のうさぎ」は、そんなコクのある味わい深いドラマを見せてくれる。 アポロ11号。全世界が注目する月面着陸の瞬間を全世界に映像で伝える為、NASAから依頼され、あの誰もが一度は見た事がある映像を受信し、全世界に発信したのは、オーストラリアの片田舎にある巨大なパラボラアンテナで働く3人の男とNASAの技術者だった。そのアンテナのある小さな街で起きた、実話に基づくほんの数日間の騒動が、この映画の物語である。 誰もが知る歴史的瞬間に関わった名も知らぬ脇役達。彼等は、決して主役になりたがったりしない。彼等は脇役という役回りでありながら、この壮大な人間の挑戦に関れた事を喜び、プレッシャーを跳ね除けつつ、その重大な任務を勤め上げる。 この映画、あの古き良き60年代の空気を実にきめ細やかに再現してみせる。音楽も、いわゆる60年代の大ヒット曲を使うでもなく、確実に60年代でありながら、ひっそりとラジオから流れていたにちがいない佳曲を流すナイスなセレクション。 映像も、実際のアポロ計画の映像を随所に挟みつつ、映画は淡々と進行していく。 その目立たないが重要な役回りをまかされたのは、愛する妻を失いつつも、その妻の夢を全うしようと全精力を傾けるリーダーと、田舎者特有の屈折した感情を腹に抱えた優秀な技術者、そして、内気な宇宙おたくと言ってもいい素朴な青年。更に、NASAから派遣された重責に押しつぶされそうな技術者。 この4人の葛藤と、街の人々の素朴な生活。そして、広大な田園にポツリと聳え立つ美しいアンテナ。どこにでもありそうな片田舎の生活に、アポロ計画という壮大なプロジェクトが舞い込んで来た事で起きる珍騒動。 誰もが、自分の生活の枠の中で、精一杯に突如押し寄せた非現実的な出来事に対処するが為に右往左往し、起きるべくして起きる、ちょっとしたユニークな瞬間の数々。 そう、この映画は、ちっぽけではあっても誠実な人々の豊かな人生の瞬間を切り取った作品である。 主演は、「ジュラシックパーク」に出演していた事さえ、うっかりすれば忘れてしまいそうなサム・ニール。地味である。他の出演陣もオーストラリア映画である為、知っている人もいないし、監督も5人のチームか何かのようだ。 そう、ちっぽけな人々が、それぞれの役回りを十分にこなしつつ、ささやかながら世界に彩りを与える瞬間。サイドプレイヤーの目立たないが、深く心に沁みる「良い仕事」。 この映画自体が、ミニシアターで上映され、それなりに評判になったにも関わらず、ささやかなヒットで終わってしまった。 正に、完璧な脇役映画なのである。 |