遊園地再生事業団
「おはようとその他の伝言」
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宮沢章夫。伝説と言って良いでしょう、ラジカルガジベリビンバシステムの座付き作家を経て、遊園地再生事業団を設立。元々、竹中直人の同級生であるのは有名。 ラジカルにも参加していた大竹まことに「天才」と言われる男。不条理ギャグというジャンルでは、最も先を行っている男。スチャダラパーの名前が、このラジカルの「スチャダラ天国」という作品から取られているくらい。 とにかく、宮沢章夫という人間のやることは全面肯定してしまう。好き、なんてものではない。とにかく尊敬していると言っても良い。それくらい、この人の書くモノに憧れる。とにかく笑える。この人の著作「彼岸からの言葉」は何度読んだ事か?そして、あの本くらい笑ってしまった本も珍しい。それに、笑えるだけでなく、ちょっぴり哲学めいたものさえ感じてしまう。それは目の前に広がる現実への視線の向け方、と言っても良い。まあ、こんな堅苦しい事が似合わない事は分かり切っているのだけれど。 その宮沢章夫が、最も力を入れているのが遊園地再生事業団という劇団だ。劇団と言ってもメンバーは、作家の宮沢章夫だけ。他は流動的で、大人計画がらみの温水正一や、正名僕蔵とか、宮沢自身がワークショップで育てた、戸田昌広、佐伯新など。異色系ビッグゲストとして、小玉和文やしりあがり寿、鈴木慶一などが出演すると言う形を取る。 とにかく、この人の舞台はセンチメンタルだ。最近では笑いと言うのも後退して、最も笑いが少ない「お笑い劇団と認知されている劇団」かもしれない。小劇場の劇団としては、かなり笑いと言うモノは少ないと思う。 しかも、この人の芝居位、面白さを説明するのが難しいモノはない。そこにあるのは日常だからだ。そして、そこに演出という作為的な手が、もちろん見えかくれしているのだけれど、その視点の距離感がたまらなく良いのだ。 例えば、今回の公演は、「今」を扱っている。人間と人間の接し方、死に対する考え方などが、時にシリアスに、時にユーモラスに描かれている。しかし、その視線は決してウェットになることがない。飽くまでもドライである。 誰でも息苦しい雰囲気を持っていて、時に自殺をしたくなる時代。そういう時代をヘヴィになる事なく描くことに腐心している。「おはよう」と言う言葉が象徴するのは人と接する機会、もしくはきっかけだ。その「きっかけ」さえも、今無くなろうとしているように描かれている。作品中様々な「おはよう」が繰り返される。社交辞令の「おはよう」、親愛を込めた「おはよう」、悪意の篭った「おはよう」。それらが繰り返される度に「おはよう」の意味あいが変わってくる。 それらを繰り返すのは、自殺をしたがる女の子、なれ合いの友情ごっこ(「友達だよね」等と確認をする高校生)を繰り返す若者、それにさえうんざりしてシンナーで自己に篭る若者など。ひんやりとした人間関係を繰り返す人々だ。そして、その中で繰り返される「おはよう」には、悲鳴のようなモノを感じる。 しかし、その中で「こうなったら、みんなでリングに上がるしかないよ」と言う男がいる。キオスクからいなくなった知り合いを探す男だ。そして、リングに上がれば何かが変わると思っている滑稽でさえある男の「おはよう」だけが柔らかい。その「おはよう」の中に込められた人と接しよう、という限りなくクールな佇まいだけが美しい。ラストの「おはよう、ただそれだけ」は、宮沢章夫の精一杯クールに決め込んだメッセージのように思えた。 しかし、宮沢章夫にメッセージを描かせる時代は、決して良い時代じゃない。ちなみに、この作品は東京スカパラダイスオーケストラの自殺した青木達之さんにも捧げられています。 |