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猿はどっちだ?
〜ティム・バートン版「猿の惑星」はコメディ映画じゃないのか?〜 |
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ティム・バートンの新作だ。「ピィーウーハーマンの冒険」「シザーハンズ」「バットマン・リターンズ」「スリーピーホロウ」等、独自の映像世界を持ち、ブラックユーモアと独特のロマンチズムを映像化し続けるかなり特殊な映画監督と言って良いと思う。 彼が、あの「猿の惑星」をリメイクするというだけで、かなり興味をそそられる。ティムが作る映像は、カラフルで何処か屈折していて、淡いトーンが特徴のポップさが魅力だ。この作品の予告編を見ても、彼の作品とは思えなかった。本当の猿がポップな鎧でも着て好き勝手に演技をしている方が、よっぽどティムらしいじゃないか。なのに、強面の猿がドスを効かせたり、怒り、飛び跳ねる、かなりバイオレンスなシーンが出てくると、どうなのよ、これは?と思わざる得ない。 で、観た感想としては、よく出来ていると思う。リメイクとして、あれだけインパクトのあったオリジナルと比較しても遜色がなかった。確かにティムに期待するものとは、ズレを感じたけれど、それはそれで十分楽しめた。例えば、オリジナルが作られた頃の時代背景を考えれば、猿は明らかに黒人問題を想定したように思う。結局、そこが地球だったというラストは、いがみ合っているのが白人と黒人という図式を強調するラストなのかもしれない。自由の女神が傾いて埋まっているというのだって、アメリカの自由が傾いている、という時代の雰囲気があったと読んでも良いと思う。 とすればティム版は、支配する猿の種類が、一種類ではなく、オランウータンやゴリラまで出て来て、増えたのは有色人種(他者)が増えたアメリカの現状を、奴隷開放をした大統領リンカーンの顔が猿になっているのだって、猿が人間で、人間が猿で、どちらが奴隷で、どちらが優れた動物か?って疑問提起のようにも思える(それはマイノリティか白人か?って疑問にもつながる?)。 だが、僕は、この映画をティムバートンらしい、ぎりぎりのブラックユーモアコメディ映画と思いたい。この映画の前にティムには、スーパーマンのリメイクという話があった。禿げて疲れたスーパーマンという設定だったという噂。なんと主役は、ニコラス・ケイジという笑ってしまう噂だった。ところが、話によれば、スーパーマンのファンクラブから、総スカンを喰らった為、敢えなく中止したという話だ。ティムの中には、リメイク映画が氾濫するハリウッド映画に一石を投じたい気持ちが有りはしなかったか?だとすれば、この猿の惑星にしても、ちょっと斜に構えてニヤニヤしながら作った気がしてならない。リンカーンって猿顔だよなあ、とか、猿が銃を握った途端、実に滑稽な姿で銃をなぜたりしたら面白いなあ、とか。はたまた、怒り狂って飛び跳ねたりする猿も面白いじゃない、とか思った筈だ。ラスト近くで宇宙船から出てくる無邪気な猿を、知性を持った猿達が崇め立てるシーンは、相当滑稽に見えないだろうか?ティム・バートンのブラックさは、至る所に溢れていて、手に汗握って観る映画とは少しのズレを感じる。現全米ライフル協会の会長チャールトン・ヘストンが、銃を手にする恐ろしさを語るシーンが、本当にヘストンかどうかが確認出来なかったけれど、それが本当なら、正しくこの映画のティム・バートンのスタンスは、極上のブラック・ユーモアと取れる。かなり頭を使った皮肉を駆使したお笑い映画。いずれにせよ、僕は映画館でニヤニヤし、知性をユーモアに巧みに変えていく手腕に心を踊らせたのは確かだ。 最終的に、リンカーンが出てくるのは、マイノリティと白人層の逆転、どっちが猿か?と言ってる気がした。アメリカの有色人種の割合が増え、10年後には白人層こそがマイノリティになっているかもしれない、とまで囁かれるアメリカの現状を反映したラスト。このラストには、様々な感想があると思うけれど、僕は、そんな逆転現象をラストとして持ってきたかったのではないか?と秘かに思っている。でも、最終的に、ティム・バートンは「リンカーンって猿に似てるよね」と笑うのだ。 |