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造り手の欺瞞 映画「ウォーターボーイズ」に観る、明らかに手抜きの映画製作にもの申す! |
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かつて「ゆきゆきて神軍」という映画があった。奥崎謙三という実在の思想的フリークスをカメラで追ったノンフィクションだ。この映画が話題になったのは、奥崎という人物の破天荒さもさることながら、ノンフィクションというジャンルの根幹を問いただした作品だったからだ。 明らかに映画中、奥崎はカメラを意識し、過激な行動をするのです。だとしたら、これはノンフィクションとは言えないのではないか?カメラが介在するか、しないかで、奥崎の取った行動は変わったのではないか?という疑問を提示した、実に刺激的な映画でした。この映画の監督は、その部分で揺れ、映画の副読本を出版した程だったのです。虚か?実か?そんな事を、僕も深く考えました。作り手としての責任感とまでは言わないが、そう言ったものが、ある程度は必要だろう、とその時思いました。 さて、昨年の邦画界の数少ないヒット作「ウォーターボーイズ」を観た。監督は「ひみつの花園」の矢口史靖。実在する浦和高校のシンクロをやった男子学生達の映画だが、典型的な「がんばれ、ベアーズ」的ストーリー。うだつの上がらない者達が奮起し、何かやり遂げるという映画で、嫌いではない。 今までも「シコふんじゃった」等の周防正行の作品、「ロケットボーイズ」「リトルダンサー」等、好きな作品も多い「やり遂げ系」の映画だ。こういう映画のポイントは、主人公(達)の人間が上手く描ける事、観る側が、それをやり遂げる必然性を感じ、「何とか成功させたい」と本気で感情移入し応援したくなる事だ。 「シコふんじゃった」の本木が、ちゃんこ屋で、失礼なまでに侮辱する相撲部のOB相手に啖呵を切り、端で一人唯一正式部員の竹中直人が泣きじゃくるシーン。あれで泣いたなあ。あのシーンで、映画に完全に飲まれて行ったからなあ、とか思いながら、ああいった感動的場面を期待しながら観た訳です。 ところがあ!結局、観ていて一度として感情移入する事なく映画は終わった。いや、物語は悪くないと思うのだけれど、これって実話通りなの?な訳ないし、登場人物は薄っぺらで、展開にも大分無理があって、スローモーションを多用して、スゲエご都合主義な映画なんじゃないの?と憤ってしまった。 いや、これが完全なるフィクションで、下手な物語を映画にしたものだ、というなら此処まで憤ったりしないのです。ただ、これは実在する浦和高校の生徒達の物語であり、その実話を、「どんな無理があっても良いじゃん、実話なんだから」的な作り方をしているのが嫌だったという事でもあると思うのです。例えば「プラトーン」でウィレム・デフォーがベトコンに追われ、撃たれ、空を仰ぐようにして殺されるシーン。あれなども嫌な気分になったのは、ベトナム戦争という実話を映画化しているという事。そして、観る側はフィクションと実話の狭間で嫌な騙され方をされている気がするのです。こういうアメリカ兵が居たのだと。逆パターンとしては、「熱闘!甲子園」でホームランを打たれた瞬間にスローモーションになる瞬間の、実話をよりドラマティックにしようという、そのままで十分感動的な所に余計な演出を施す、観る側を馬鹿にしているとしか思えない行為があります。 それが事実か事実じゃないかを越えた所で、作り手の意図的な創作的介入が入る時の、ぬる〜い浅ましさを、この映画に感じるのは私だけでしょうか?事実を描く事に対する辛辣な姿勢が必要なのではないだろうか?と僕は思うのです。 井筒監督が放った名言「映画は嘘を積み重ねて、真実に限りなく近付いて行く事」でもない。かといって、実在する人物の思想や人となりを描く事で、ある真実を切り取るといったストイックな創作意欲がある訳でもない。この映画の実話を扱いながら笑える映画にしてやるという監督の浅ましい根性は、明らかに罪深いし、失礼なのではないか? 私は竹中直人のファンである。ただ、彼が演じた水族館のおじさんの描写は、明らかに笑わせようという創作が完璧に入っている。あんな人物は絶対に居ないし、アフロが燃えたり、シンクロの最中に主人公のパンツが脱げ、主人公を思う女の子が自分で作ったパンツを投げて、それを上手くキャッチして履いたり、柄本明が演じるおかま役の描写が、殆どゲイに対して差別としか思えない失礼な描き方だったり、とにかく事実なのか、それとも創作なのか分からない所が気に入らない。 ましてや、登場人物達のマンガチックな演技も展開や演出も、映画で何を見せたいのか、さっぱり分からない。シンクロを成功させるという目的さえも何処かへうっちゃって、とにかく笑える映画を撮ろうというなら、そんな実在する高校生の物語なんて必要ないじゃん、と叫びたくなる。不完全な物語を補強する為に実話を利用するなんて作り手としては最低の行為ではないのか?ましてや努力する人物の描写を笑いで描くなんて、実在する人達に対しても失礼だろう、と思うのだ。人間を軽く扱うなよ、ドラマを描く人間としては最低だろう。 全てを笑いによってライトな印象にしているという意味では、余りにも現代的な、余りにも軽い時代を象徴しているようで興味深いものがあるが、僕は絶対にこれを認めない。映画を作る側に、実在する浦和高校の生徒達のちょっとした夏の冒険を描きたかったという情熱の欠片も見つからず、面白い奴が居たんだよと、敬意も好意もない居酒屋のお喋り的なノリで語られた映画を、絶対に認めない。彼らにとって、ある種の冒険だった筈の物語を商売に利用したとまで言ったら言い過ぎか?久々に真面目に不愉快になりました。 |