Green Day In My Mind -パンクロック編-


パンク・ロックという言葉が世に知られるようになったのは今から20数年前、 ハードロック、モンスター・スタジアムバンドが世を席巻していた頃のこと。 メインストリーム、スター主義に反してアンドーグラウンドシーンから 必要最小限のコードとテクニックとあまりにもストレートな叫び声を武器に ロックのリアリティを取り戻さんとすべく複数のバンドNYにてが立ち上がっ たのが始まり。それ以前にもストゥージーズのようなやっていることは まるっきりパンクというバンドも存在したのだが恐らく当時はパンクという 言葉は存在せず、このようなバンドが複数でシーンを築いた70年代中期 頃がパンクの起源、と思われる。

パンクは大雑把に分けるとパティ・スミス、ラモーンズ、バズコックスなどに 代表されるNYパンク、それとセックス・ピストルズ、クラッシュなどに 代表されるUKパンクの2つに分けられる。(気づいたらここまでbuzzの3月号 の文と一緒だ!でもここからはちゃんと自分で考えたよ。)UKパンクは 前述のとおり当時の停滞しはじめていたロックシーン、それと混乱に混乱を 極めていた社会情勢への反抗だということはあまりにも有名すぎるが、 では一方NYパンクシーンは何に対する反抗の表れなのだろうか。buzz誌の とおり反抗の色合いは薄かったのだろうか?そんなことはない。 これまた前述のとおり、肥大化、混迷化したロックシーンへの不満、 これこそNYパンクシーン勃発の最大のモチベーションだったと思う。 「ロックンロールにストリートの声を取り戻す」、NYパンクスが掲げていた 理想はこれ。これだけで充分なのだ。

さて、90年代。パンクという単語は複雑化に複雑化を重ね、その意味も あまりにも多くなりすぎてしまった。この間にパンクを旗印に生まれた バンドは数知れず。あのバンドは本当にパンクだ、あいつらのパンクは まがい物だ、なんて言葉は言えない。それほど多様化してしまったのだ。 そしてそれは思想面としてのパンクと音としてのパンクを切り離し、 片方の条件を満たしていればパンクと呼ばれるようになった。思想面の 顔を持つパンク、これにはうなずけるのだが、困ったのは音としての 条件を満たしているのみのバンド、つまり8ビートのルート弾き、ストローク のみの演奏でパンクと呼ばれるバンドである。このためにパンクという言葉は 次第に有名無実化し、重みの無いものになっていってしまった。 おまけに思想面でさえ「反抗すりゃあそれだけでかっこいい」といった 風潮が蔓延して明確な動機を持たない下手なレジストソングを歌う連中が急増、パンクという言葉は ますます軽くなっていった。でも「何をやろうと自分たちの勝手だろ」 と一言言われたらこちらとしてはぐうの音も出ない。

ちょっと愚痴が長くなってしまったが、ちょっと振りかえってみたい。 90年代を代表する革命といったらもちろんニルヴァーナ、そしてその出来事 の理念はパンクに基づいていたのはいまさら説明するまでもないだろう。 そしてグランジブーム崩壊後に人々が構築を迫られた頃、厄介な出来事が 起こってしまった。それは、メロコアブームの到来。

本来、オルタナティヴというものは反主流の意味を持つ。それがメイン ストリームに踊り出ること自体危険なことであるはずなのに、 NYアンダーグラウンドシーン直結の音を出すメロコアがブームに。 これってありなのか?ロックの再構築のために絶対必要な過程なのか? パンクはますます有名無実化しないか?こんな心配事の尽きない ムーヴメントの扉を開くきっかけとなったのが、他でもない、 われらがグリーン・デイなのである。

僕はメロコアはブームになるべきじゃなかったと思う。それは メロコアの性質上増えすぎたフォロワーに期待できないからである。 しかしメロコアはブームになる要素を充分に兼ね備えていたのだ。 ブームになったのは必然的だったのかもしれない。しかし、その攻撃対象 は何?何に向かって彼らは叫んでいるんだ?明確な敵は存在しない。 戦わなきゃいけない、戦わなきゃいけないけれどはっきりした敵が見えない。 強いて言えば自分を取り巻く日常、そして自分自身か。全てのフォロワーが このような命題を意識し、当事者意識をもてるのか?無理であろう。 案の定、強い自我を持たない多くのバンドがメロコアブーム終焉後に 姿を消した(このことはメロコアに限らずいつのムーヴメントでも 同じであろう)。これがパンクの現状だと考えると、やはりパンクは昔ほど 強い理念ではないのか、と悲しくなってしまう。だから僕はメロコアにブーム になってほしくなかった。メインストリームの壇上で増えすぎる パンクなんか見たくなかった。

さて、ここでひとつ問いたい。グリーンデイは本当にパンクか? 一般的観点から見たら革命を起こして世界をひっくり返したニルヴァーナや プロモーションヴィデオを作らない、チケットマスターと真っ向から激突する といった具体的な戦いを続けるパールジャムなどの方がパンクっぽいように見えるかもしれない。しかし、70年代 中期に勃発したNYパンクシーンの命題を思い出してほしい。そう、 「ロックにストリートの叫びを取り戻す」。ニルヴァーナがそれをやり、 それをキープしつづけるのがフォロワーの役目。そこでグリーンデイは ニルヴァーナやパールジャムが魂をすり減らしてシリアスな姿勢でしか 向き合うことができなかったその命題にユーモアという武器を持って 向かっていった。その結果彼らが僕らにもたらしたものは 「ダークになる必要は無いんだ」という気持ちにさせてくれるオプティミズム。 輝かない毎日を乗り切るために無理やりにでも笑う必要がある、 そうしなきゃ前に進まないと気づかせてくれたのだ。これをパンク と呼んでも差し支えないと思う。そうだよね?

それでも「俺はグリーンデイをパンクと認めない」という人もいるだろう。 そうかもね。それは絶対に違う、なんてことは言えない。だいたい パンクのはっきりした境界線なんてもうありゃしないんだ。これからも パンクはどんどん細分化するだろう。もう誰にもとめられない。 そこでパンクがストリートでもがき、苦悩しながら暮らしつづけるキッズの 叫びを失ったとき、そのときはパンクが本当に死んだ時だ。


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