ビートルズのファーストアルバムは
3月27日付のアルバムチャートに9位で初登場し
7週間後の5月8日付で1位
以来29週間その座を守りました。(スゴイ・・)
トップ10には63週間チャートされました。
アルバムのための新曲は、1963年2月11日
16時間と400ポンドの費用をかけて
レコーディングされました。
1、アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア
ポールが作曲、リードヴォーカル。
ジョンがバック・アップ。
ダフィー・パワー・ウィズ・ザ・グレアム・ボンド・クォーテット
がレコーディングしたヴァージョンが
1963、4月26日リリースされましたが
ヒットしませんでした。
その後、エルトン・ジョン・バンド
(ジョン・レノン、ザ・マッスル・ショールズ・ホーンズ)
によるライブ・ヴァージョンが
1975、3月1日リリースされました。
ポールの歌う、ストレートなロックン・ロールナンバーは
ファンの人気も高いですね♪(のっぽのサリー等)
出だしのカウント、カッコイイですよね〜!
当時いっしょにツアーしていた
ヘレン・シャピロのために書かれた曲。
ポールが手助けして、ジョンがまとめました。
その後この曲はケニー・リンチに贈られ
彼は1963、3月22日リリースしましたが
チャートには入りませんでした。
間に入る、エコー処理されたピアノが
また作品の印象をピリッとさせてます。
イントロばっちり決まってますね!
作曲者アーサー・アレキサンダーが
自ら、1962、9月17日に
リリースしたシングルがオリジナル。
イントロから続く、ギターリフが印象的。
4、チェインズ
この曲は、キャロル・キング&ジェリー・ゴフィン夫妻
(現在は離婚)による共作。
キャロル・キングはその後ソロ活動を始め
アルバム『タペストリー』は
世界中で1千万枚以上の売上ヒットを記録しました。
5、ボーイズ
ルーサー・ディクスンとウェス・ファレルの共作。
オリジナルはザ・シレルズで
『ウィル・ユー・ラヴ・ミー・トゥモロウ』
のB面としてリリースされ
このシングルはミリオン・セラーになりました。
6、アスク・ミー・ホワイ
ジョンとポールの合作。
1962、11月20日レコーディング。
ニューヨーク・フィルの指揮者
レナード・バーンスタインがこの曲を絶賛した話は
あまりにも有名。
まるでジャズのギターのような甘いサウンド。
そしてジョンのヴォーカル
それにからむコーラス
どれも言うことなしです!
ちなみに私はエンディングも大好き♪
早くも天才達の片鱗を感じさせますね。
私の大好きな曲です!
7、プリーズ・プリーズ・ミー
ジョンが作曲。
レコーディングは1962、11月20日。
当初”ラヴ・ミー・ドゥ”のB面として考えられていた。
ちなみにこの曲は
1974年にディヴィッド・キャシディ
がカヴァーして
トップ30入りを果たしています。
彼はこの曲で初めて、才能を持っていることを
証明してくれたんだ。
最初この曲は
ロイ・オービンソン・タイプのものとして
考えられていたんだけれど
ジョージ・マーティンが
『テンポをもっと速くした方がいいね』
と言ったんだ。
テンポを上げたら、みんな良くなったと思った。
そしたら大ヒットさ。』
”ポール・マッカートニー”
『ジョージ・マーティンの貢献が非常に大きかった。
イントロのハーモニカと
『カモン、カモーン!』を聴けば
たいていの人はどこかで聴いた事があると気づくはず。
本当にビートルズの曲って
知らないうちに浸透してますよね。
これもとにかく大好きな曲です。
8、ラヴ・ミー・ドゥ
ポールは学校をズル休みしてこの曲を書きました。
中間の8小節ほどをジョンが手助けしています。
1962、9月11日にレコーディングが行われ
ジョージ・マーティンがOKを出すまで
17回録り直されました。
マーティンは明らかに
リンゴのドラマーとしての才能に疑問を抱いており
またリンゴも
これが初めてのレコーディング・セッションということで
当然アガっていました。
そこで
”ラヴ・ミー・ドゥ”
のB面の
”P.S.アイ・ラヴ・ユー”
レコーディングの際
マーティンはセッション・ドラマーの
アンディ・ホワイトを参加させ
リンゴはマラカスの担当にまわされてしまいました。
さらに、マーティンは
”ラヴ・ミー・ドゥ”
もアンディのドラムで録り直すことを決意。
よってこの曲は
まずリンゴのドラムヴァージョンがシングルとなり
アンディのドラムヴァージョンが
アルバムに収められることになりました。
そんなつまらないことはないだろう
って思うことがあるんだ。
”ラヴ・ミー・ドゥ”は最高の哲学的作品だった。
『愛してくれ、愛しているのは知っているだろう。
いつでも本気なんだ。頼むから愛してくれ。』
あの曲が単純であり真実であるということは
とってもわかりやすいってことなんだ。』
ポール・マッカートニー
『もしぼくらが偉大な哲学を書こうとしてるんだったら
ジョンのブルー・ノートハーモニカがかっこいいですね〜。
ビートルズの記念すべきデビュー曲。
9、P.S.アイ・ラヴ・ユー
詩の面でジョンが少しアシストしたほかは
ポールがほとんどひとりで書き上げました。
アンディ・ホワイトがドラムを叩き
リンゴがマラカスを振っています。
傑作バラード曲の一つ。
タイトルがしゃれていますね。
”P.S.アイ・ラヴ・ユー”
だなんて、もうクラっときちゃいますね!
初期の頃のビートルズが作った
10、ベイビー・イッツ・ユー
マック・ディヴィス
バート・バカラック
バーニー・ウィリアムズ共作のこの曲は
アメリカではザ・シレルズのシングルとして
1961、12月4日
セプター・レーベルからリリースされました。
11、ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット
ジョンがウォルト・ディズニーの映画
『シンデレラ』か『ファンタジア』のどちらかから
アイディアを得て作曲。
ジョージが歌えるように書きました。
この曲の
ビリーJ・クレイマー&ザ・ダコタスによるヴァージョンは
1963、4月26日イギリスでリリースされました。
ウォルト・ディズニーの映画で
『シンデレラ』だったか『ファンタジア』だったか
忘れたけれど
そのどちらかからヒントを得たのを覚えている。
『望みの泉のそばに立って
秘密を知りたい?
言っちゃだめだよ』
とかいう歌だった。』
ジョン・レノン
『僕が書いたんだ。
おっ?、と思わせますが
中身はなんかかわいい感じ♪
最初のファルセットの部分で
ジョージの声が本当にうらがえっているように聴こえて
『初々しくてかわい〜!』て思っちゃいます。
最初の西部劇のような語りで
12、ア・ティスト・オブ・ハニー
1960年の舞台劇『蜜の味』のために
リック・マーロウとボビー・スコットが共作した曲。
オリジナルは
ヴィクター・フェルドマン・クォーテットのヴァージョンで
1962、6月4日にリリース。
その後
マーティン・デニーによる
もう一つのインストゥルメンタル・ヴァージョンが
1962、6月18日にリリースされ
マイナー・ヒットとなりました。
最初のヴォーカル・ヴァージョンは
レニー・ウェルチのものが
1962、9月17日にリリースされています。
13、ゼアズ・ア・プレイス
ジョンが作曲。
ポールとリード・ヴォーカルを分けあっています。
”プリーズ・プリーズ・ミー”?
って勘違いしそうだけれど
とんでもございません!
歌詞をよく読んでみると
後の
”ヘルプ!””ストロベリー”
等に通じる、ジョンの内省的な部分が
はやくも出ています。
イントロだけ聴くと
14、ツイスト・アンド・シャウト
この曲は
”プリーズ・プリーズ・ミー”のアルバムのなかで
一番最後にレコーディングされたものです。
アルバムを完璧な作品とするためには
もう一曲必要だという
ジョージ・マーティンの意向にそって入れられました。
ビートルズは
まる一日がかりのレコーディングを終えたばかりで
とても疲れており
ジョンはもう喉がつぶれていましたが
それでも彼らは
”メドリー/ラッセル”とかいう変名を使って
バート・バーンズが書いたこの曲を選びました。
そしてワン・ティクでレコーディングしたといわれています。
ジョンもとても素晴らしいヴォーカルを聞かせています。
この曲は
ジ・アイズリー・ブラザーズ
(ロナルド、ルドルフ、オケリー)
が1962、5月7日にリリースしました。
また数ヶ月後
ブライアン・プール&ザ・トレメロウズ
によってレコーディングされ
1963、6月28日にリリースされました。
かつてビートルズとともに
デッカ・レコードのオーディションを受け
彼らのほうがビートルズより期待できると判断されましたね。
(なんなのそれ〜?!(笑))
ロイヤル・バラエティ・ショーでの
ジョンの有名な冗談が最高ですよね。
さすがジョン!
そんなところに憧れちゃう!
ブライアン・プールといえば