珠玉紅蓮隊とは?
そもそも2000年問題で世の中はわたわたしていた時代です。
1998年(ごろ?)kikkohという愚か者がおりました。
彼は自分の大学の軽音学部がコピーばかりでしかもいまいちピンとこない
ということに憤りを感じ、初心者にもかかわらず外バン(学外バンド)をやるぞ!
と大したボーカルもできないのに、おれは歌う!と勘違いしつつ、バンドを探しながら
日々をむなしくしていました。
1998年の暮れ、木屋町でkikkohはある弾き語りの流し(分かりやすく言うと路上ライブ)に出会いました。
その人とは加藤たかおさん。(加藤たかお:同志社大学、SMMAの元会長二期つとめる。当時ハラッパカラッパというバンドを組んでいた。今はロボピッチャーというバンドで活動中)
いろいろ話を聞いているうちに自分でサークルを作ろうと思ったkikkohは、1999年の春に向けて人をかき集めました。
これが珠玉紅蓮隊の先駆けだった。が、しかし、プレイヤーと呼べる人はほとんどおらず音楽好きの集まりでしかなかったのでした。
「サークルを作って人を集めれば、好きなようにバンドが組めるぞ!」
と勘違い?をしていたkikkohは結局、当時組んでいたhideのコピーバンド「レッドスコア」もライブ後解散し、一人で
路上ライブを開始することになりました。一応、1999年の春のライブのために弾き語りのオリジナルを数曲作っていたので
これで路上ライブもできる!とか思っていたのですが、結局カバーをこそこそとやっていたのでした。
その間もぼちぼちネットで人を集めたりしながらサークルを肥大させようともくろんでいたわけですが、
バンドをとりあえず組みたい!ということで、バンドのメン募に奔走。
なんとかバンドを組んだkikkohは、そのメンバーを無理やりサークル員にしようとしたのでした。なんという暴挙。
そのバンド「Shot Gun Wedding」ではオリジナルを無理やりバンドでやるという感じでとりあえずライブができたのですが
このバンドもこのライブで解散。
そしてまた春までバンドを作りながら活動の機をうかがいながらライブの用意を進めていました。
テスト期間などもあってなかなかみんなで飲み会をすることができず、ヨーロッパに行ってしまったりでバンドもばらばらとし出し
そのとき組んだ「MILK CROWN」のライブも一ヶ月に迫っていたところでバンド内で喧嘩をしてしまったりで、
ライブは結局、さんさんたる物になってしまい、HPを覗きに来る人も減っていきます。
この辺りから珠玉紅蓮隊の枠がとてもあいまいになってきます。
訪れては人が去り、去っては誰かが訪れ、飲み会を重ねつつ、サークル員でバンドを作ったりという
軽音楽団体的な活動がいまいちできずに時がすぎ、kikkohは思ったのでした。
「まぁ、自分の音楽友達ということでいいじゃないか。サークル名もこうなればHPのタイトルみたいなもんでいいっか」
エキサイトのサークルというカテゴリーでまずHPまがいのものを立ち上げたのですが、結局自分でHPが作りたくなり
勝手に作ってアップしたのです。これがまた「勝手に事を進めた」と反感を買ってしまいました。
本人的には「こんなん作りました!どう?どう?」といいたかっただけのようですが、見切り発車・・・。
物事は順序立てて進めないとおかしなことになるということです。
こうして、HPを作り、動かし始めたわけですが、なかなか飲み会をする機会も減ってきて今の状態に至るというわけであります。
で、珠玉紅蓮隊って何なんでしょう?
うーん・・・。kikkohの周りの音楽友達がふらりと立ち寄る立ち食いそばみたいなHPのタイトルです。
あしからずご了承いただき、末永く遊びに来ていただきたく存じます。
掲示板も栄えていくことを祈願し、締めくくらせていただきます。
この駄文を最後まで読んでくれたあなた、よくここまで読みましたね。あなたは忍耐の人です。
お粗末様ですた。
おまけです。
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