Baden Powell

 

 

訃報 

バーデン・パウエルが2000年9月26日?リオデジャネイロにて、肺炎合併症により亡くなりました。

お酒やタバコが好きだった様で、それが原因だったのかもしれません。来日時、悟りの境地に達したかのような姿は、なんとも言えないオーラを発していましたが、今思うと、その痩せ細った身体は相当蝕まれていたのかもしれません。サインをもらったり、写真を撮ったり、握手をしてもらったり・・・。挨拶以外に話したことも無く、本当のバーデンのことなんかこれっぽっちも知らない自分ですが、バーデンに受けた影響は計り知れません(これからも)。

今後、彼の素晴らしい演奏を聴くことが出来ないと思うと、ただただ残念です。

天国でもきっとヴィニシウスやピシンギーニャ、ジョビンらとサンバ、ショーロ、ボサノバなんかを楽しく歌っているのでしょう。

故人のご冥福を心からお祈り申し上げます。

 バーデン・パウエルはブラジルでギターを弾く人にとって、憧れの存在です。だってすごいから。外見は人のよさそうなお爺さんだけれども(現在)。彼について少し調べたことを以下に書きつけました。

 バーデン・パウエルは世界を代表するギタリストで(評論家の皆さんもそう言っているので間違いないでしょう)、日本ではボサノバの演奏者として知られているようです。ところが、これも良く知られていることですが、彼の演奏はおよそボサノバらしいものではなく、むしろサンバ風のものや、カンドンブレと呼ばれる黒人宗教に根ざした音楽であることに気付かされます。このことはビリンバウやコンソラソン、セルマオンなどを聞くとはっきりわかります。ボサノバの演奏としてはイパネマの娘やフェリシダージ等を演奏していますが、カルロス・リラやマルコス・ヴァーリなどとは明らかに違った演奏をしています。バーデンに近い演奏をする人にロジーニャ・ジ・ヴァレンサという女性のギタリストがいます。僕自身ほとんど彼女の演奏を知らないため(エドゥやエリス・ヘジーナと共演したものとセルメンにゲスト参加したものだけしか知りません。)、はっきりと言い切ることはできませんが、とても素晴らしい演奏をします。人の話では、バーデンに師事していたとのことなので、当然のことなのかもしれませんが。

 バーデン・パウエル(父親がボーイスカウトの創始者に因んで名付けたそうです)は1937年8月6日、ブラジルのリオでアフリカ系ブラジル人の家庭に生まれました。8歳でショーロギターの名手メイラに師事しギターを弾き始め、10代の半ばにはエスコーラ・ヂ・サンバ(サンバの学校)の名門マンゲイラのバテリア(パーカッション)に所属していたそうです。つまり少年時代のバーデンはサンバやショーロが日常的に存在する環境で育ち、ギターだけでなくパーカッションも演奏していたことになります。このことが彼の鬼神を思わせる演奏の背景となっているのでしょう。ちなみに父親はオーケストラの指揮者、またヴァイオリン奏者であったため、バーデンにはヴァイオリンを弾かせようとしたようですが、彼は伯母の与えてくれたギターに興味を示し、ヴァイオリンを演奏しようとしなかったそうです。

  

 15歳の頃からプロとして演奏をはじめ、19歳のときに作曲したサンバトリスチ(ビリー・ブランコ作詞)が大ヒットしたことにより、広く世間に知られるようになったとのこと。この頃ちょうどリオではボサノバが流行し、バーデンはナイトクラブ等でボサノバ歌手の伴奏をするようになったようですが、ここで外交官で詩人でもあるヴィニシウス・ヂ・モライスと出会うことで、独自の道を歩み出すことになったといいます。ヴィニシウスの家に長期間こもり、彼の作詞との共同作業でサンバ・エン・プレリュード、オ・アストロノウタといった名曲を作っています(尚この間、ウイスキーを1日3本のペースで飲んでいたそうです)。この後、ヴィニシウスの誘いでヨーロッパへわたり、大歓迎を受けたそうです。色々な人の話によると、この頃の演奏が最も油が乗っていたものらしく、非常に良い録音がたくさんあるとのこと。この時代リアルタイムに生きていなかった自分としては非常に残念です。バーデンはブラジルへ帰国後、黒人宗教に興味を示し、ビリンバウ、オサーニャの歌といったアフロ色の濃い曲をたくさん作りました。特にビリンバウは現在ではブラジルの古典として挙げられるくらい有名な曲で、トッキーニョやナラ・レオン等、様々な人が演奏しています。日本にも70年と71年に来ているそうですが、僕はまだ生まれていなかったので、彼をはじめてみたのは96年97年の来日のときでした。最近バーデンは体調を崩しているらしく、以前のような演奏が見られないといわれますが、どうやらマイペースで活動を続けているみたいです。