ヴァンヘイレンのプロフィール

1955年5月8日オランダ、ナイメーヘンに生まれる(アレックス、ヴァンヘイレン)ドラム、兄貴

1955年6月20日イリノイ州シカゴに生まれる(マイケル、アンソニー)ベース

1955年10月10日インデイアナ州ブルーミントンに生まれる(デイビット、リーロス)ヴォーカル

1957年1月26日オランダ、ナイメーヘンに生まれる(エドワード、ヴァンヘイレン)ギター,弟

この4人がオリジナルのヴァンヘイレンメンバー

メンバーの幼少期

アレックス、ピアノを手始めにヴァイオリンやサックス、クラリネットなどに慣れ親しむ。
マイケル、トランペットを手にして以来、8年あまりもレッスンを続行。
デイブ,程度の低い演劇の舞台を踏むも、喧嘩の絶えない毎日。悪行ぶりはエスカレートし、マサチューセッツやコネチカットを転々とする放浪生活。
エディ、新聞配達で貯めた45ドル25セントで、セントジョージドラムキットを購入。しかし、アレックス(兄貴)に奪い取られ、ギターを押し付けられる。

ハイスクール時代

アレックス、エディ、自らのバンドをマンモスと名付け活動、校内最大のライバルバンド、レッドボール、ジェッツよりデイブを迎える。これが運命の出逢い、マンモス、その乱痴気ぶりが災いし、カトリック系のカレッジでギグる際、スペースブラザーズなる変名を余儀なくされる。

ハイスクール卒業後 

マンモス、遂にヴァンヘイレンと改名。1ヶ月の内、23日間もぶっ続けで、一晩に45分のステージを 5セットも組み立て、広くサザンカリフォルニア一帯を巡る過酷なクラブサーキットへと身を任せる。当時のレパートリーは、クリームやレッドツエッぺリン、ブラックサバス、やエアロスミスなどのカバー曲を中心に400曲以上。

ヴァンヘイレン、名物D.J に見い出され、栄えある登竜門のひとつに数えられるハリウッドのスターウッドクラブへの切符を手にする。

地元では毎月定期的に3000人以上もの観客を集めるに至る、しかし、いくつかのローカルレーベルからの誘いをことごとく拒み続ける。

西海岸きっての名プロデューサー、テッド、テンプルマンと、ワーナーブラザーズ社長、モーオ−スティン、何の前触れもなくスターウッドクラブに現れ、1通の契約書をヴァンヘイレンに手渡し、24時間の素早い決断を迫る。

難攻不落のヴァンヘイレン、アメリカ有数のメジャーレーベルのひとつ、ワーナーブラザースの手に落ちる。

ここからヴァンヘイレンの快進撃が始まる!

                                                        

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