終止符



1991年

年明けそうそう「Innuendo」発表!このワクワクドキドキ!新しい曲を聴けるのがいつまで続くなんて、そんなことは意識したことがなかった。「今度こそはコンサートツアーしてよ!フレディお願い!」と願った。しかし、またしてもクイーンサイドのコメントは「ツアーは一切しない。」というコメントだった。

すごく残念だった。もう1982年にファンになってから9年が過ぎようとしていた。しかし悪い情報ばかりでもなかった。当時はまだ日本のクイーンファンクラブも健在で、情報は会報から得たものだ。「Innuendo」にともなうコンサートはしないが、フレディは年始にロジャーと食事をして音楽の話しで盛り上がって、ツアーはしないけど、次のレコーディングに取りかかろうとするフレディの精神に対してとても嬉しかった。

そうして月日はゆっくりと流れた。やがて、冬になり11月23日。クイーンのフレデイがAIDSだということをテレビで知らされる。衝撃的だった。身体に激痛が走ったかのようにその場を動けなくなる。

僕らのクイーンのフレディがHIV感染者だと言うことを知って「あとどれくらいフレディは生きていられるのだろう?」ってそんなことばかり考えていた。それまでにHIV感染者で公に発表した有名人はたくさんいたが、感染しても発病するまで時間はかかるという。頭のどこかにまだ数年は生きていられるという勝手な思い込みをしていた。

しかし、思いは思いのままで、翌日11月24日。若干45才という若さでこの世を去った。
新聞やニュースでその情報を知った学校の友人や幼なじみから「フレディが亡くなったらしいな.....。.......大丈夫か?悲しいな....」ってたくさん電話がかかってきた。クイーンファンの友達からも夜に電話がかかってきた。言葉を交わさなくてもお互い言いたいことはわかる。悲しい気持ちもわかる。お互い涙を流しながら少し話をして受話器を置いた.....。

呆然と立ち尽くす...全身の血が体中から抜けていくような感じだった。We Are The Championsを聴きながら「もうライブでクイーンを見ることが出来ないんやな....フレディを見ることができないんやな」そう思うと溢れる涙を押さえることは出来なかった。ものすごく悲しかった。残念だった。それと同時に悔しかった。今まで憧れていた、尊敬していた、人生に影響をあたえてくれたフレディ・マーキュリーがもう見れない。ライブが見れない....。

クイーンファンになってから9年間......思えば、ライブを想像しながら布団の中で、クイーンを聴いていた少年の頃から思い抱いてた夢はそこでピリオドを打った。




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